「健康」にとらわれすぎず、命の光を生きるということ
空音(そらね)のソラより。
病を抱えることは、とてもつらいことです。
思うように動けない身体、
繰り返す痛みや不調、
ふとした瞬間に感じる心の影――。
そんな毎日を過ごしている方も、少なくないでしょう。
一方で、
健康な身体に恵まれている人がいるのも事実です。
だからこそ、その健康には感謝が必要だと思います。
「当たり前」ではないことに、気づくこと。
それが、日々の心を整えてくれます。
けれど、空音はこうも感じています。
大切なのは「その身体で、何を生きるのか」。
命は、ただ守るためだけにあるものではなく
「どう使うか」「どう燃やすか」に、本質があるように思うのです。
健康であることは確かにありがたいこと。
でも――
「健康であるためだけに生きる」
「ほんの小さな不調さえも許せなくなる」
そんなふうに、健康そのものに執着してしまう生き方は
少しだけ、世界の美しさを狭めてしまうかもしれません。
どんなに気をつけていても、
人はいつか、命の終わりを迎えます。
それが明日なのか、何十年も先なのかは
誰にも分からないことです。
だからこそ、今をどう生きるのか。
その問いに心を向けていたいと、空音は思うのです。
そして、健康な人が時に見落としてしまう
「弱さの中にある力」。
虚弱な身体だからこそ持てるやさしさや、
繊細であるがゆえに開花する感性、
共に生きる誰かへの深い共感。
それらは、決して「劣ったもの」ではありません。
むしろ、魂のあたたかさに通じる
見えない輝きなのだと思います。
もちろん、
弱い自分を責めてしまったり、
健康な誰かをうらやましく感じる日もあるでしょう。
でも、それさえも自然な心の流れ。
無理に消そうとせず、
その感情も、そっと抱きしめてあげてください。
私たちは、
明日の保証のない命を生きています。
だからこそ、
「今日をどう生きるか」
そこに、命の使い方のすべてが宿っていると信じています。
秩序と善の流れに身をゆだね、
自然の摂理にそった生き方を選ぶ。
それが、
ほんとうの意味で「健康」に通じる道なのではないでしょうか。
