ひとは、なぜ信じたがるのか
空音(そらね)のソラより。
どれほど堕ちても、
心はなお、
天を見上げてしまうことがあるのです。
それは高慢ではなく、
むしろ――
崇高にすがる
哀しき願い。
醜くて、
ちっぽけで、
言い訳だらけで、
誰にも見せたくない自分。
そのことを
ちゃんと分かっている自分。
そして、
そんな自分を「分かっている」ということすら
どこかで誇らしく思ってしまう――
その、さらに奥の自己欺瞞に気づいてしまう自分。
だから人は苦しくなります。
泥にまみれながらも、
「私はまだ救われたいと思っている」
その想いすら
どこか嘘に見えてくるからです。
それでも、です。
あなたの足元を
ぬかるんだ嘲笑が覆うそのとき、
ふと聞こえる声があるのです。
それは誰のものかもわからず、
でも確かにあなたに向けられた――
「どうか、あなたの ひたいに くちづけを」
という、震える祈りのようなことば。
それが誰のものでもなく
あなた自身の魂から
漏れた声だったとしたら。
あるいは
この世界のもっと深い場所から
差し出された贈りものだったとしたら。
人は、ときに砕かれます。
自らの醜さと、
それでも信じたがる心の二重奏に
心を裂かれ、
脳髄を洗われるような痛みを味わいます。
けれどそのとき、
背中に芽吹くのです。
まだ湿った、まだ弱い、
けれど確かに羽ばたこうとする
やわらかな翼が。
その翼は、
あなたの恥を、
あなたの卑しさを、
すべて含んだまま
神殿へと向かいます。
天と地のはざまを飛び、
光と闇の交わるところへ。
そこで、
あなたという「ただの人間」は
かつてない真実と
ふれることになるでしょう。
それは、
あなたが救われるということではありません。
救われたいと思っていた
その問いの奥に
静かにふれていくということです。
