美術館日記[88]時代のプリズム@国立新美術館2025.10
昭和が終わり、平成の始まった1989年から2010年までに、日本でどのような美術が生まれ、日本からどのような表現が発信されたのか。本展は、国内外の50を超えるアーティストの実践を検証します。この20年間は、冷戦体制が終わり、人、ものが行き来するグローバル化の始まりによって、国際的な対話が大いに促進された時期です。当館はアジア地域におけるパートナー美術館、香港のM+との協働キュレーションにより変化に富んだ時代を見つめ直します。
本展は、80年代初頭以降の国際化の胎動を伝える「プロローグ」に始まり、続く「イントロダクション」では、日本社会が大きな転機を迎えるなか1989年を転換点として登場した、新しい批評性を持つ表現を紹介します。そして、以降の時代をテーマに基づく章=3つのレンズを通して見つめていきます。1章「過去という亡霊」では戦争、被爆のトラウマ、戦後問題に向き合い続ける探求を、2章「自己と他者と」では自他のまなざしの交換のなかでアイデンティティやジェンダー、文化的ヒエラルキーを問う実践を、3章「コミュニティの持つ未来」では、既存のコミュニティとの関わりや新たな関係性の構築に可能性を探るプロジェクトを紹介していきます。国内外のアーティストによる実験的挑戦は、時代、社会の動向をとりこむプリズムとなって、さまざまな問いかけを含んだ作品へと反射されていきました。
この20年間の日本というプラットフォームを国内外の双方向的視点で捉えながら、複数の歴史と文脈が共存する多元的な美術表現を提示します。
自分がちょうどアートに興味を持ち、アートの世界に踏み込んでいこうとしていた時代の美術がついについにまとめて振り返りの対象になってしまった!

当時の自分と今の自分は考え方や社会的な立場が違うので、作品の見え方も感じ方も異なるのは当然なのですが、通して思ったのは自分が過激な作品、刺激の強い作品への耐性がなくなっているということ。
きつく感じる作品が多かったです。
作品が作られた時からいまだに解決されていない社会的な問題を含んだ作品が多く、直接的な表現に喰らい気味の自分がいました。
当時はそんなことなかったのだけど。
でもこれはきっとより真剣にものごとを考えるようになったからなのだろうと思うことにしました。
逃げじゃない。と思いたい。

初めに海外のアーティストが来日した様子などを写真で紹介され、来日時にボイスが使用した黒板なども展示。
かつて水戸芸で、ボイスが来日していた8日間だけにスポットを当てた展覧会が行われていましたが、それだけでコンテンツになるほど日本の美術業界にとって事件だったのだなとボイスの凄さとカリスマ性を感じたことを思い出しました。
逆に草間彌生など海外に飛び出していく日本のアーティストの写真もありました。
そこからはもうあの展覧会であれ見たな、これはあそこで見たな、いつどこで見たか覚えてないけど知ってるなのオンパレードです。
写真撮影不可でしたがやなぎみわのエレベーターガールシリーズを見た時はあまりの懐かしさで卒倒しそうでした。



あと大きくなくなっている部分の砂はどこへ行ったのだろうか。
崩れないものですね、砂。

過剰な熱を感じる

昔の方が警告的な性質が強く、恐怖感を煽る作りだったのだなと思いました。

露悪的な表現に多分昔なら女性の側からこういう作品が出てくるのってすごいな、かっこいいなと判断してそれで終了だったと思うのですが、大人になってみると「ピンク=女性」の固定概念問題からスタートして、女児をイメージさせるものに猥雑さを持たせる気持ち悪さとか、いろいろいろいろ考えてしまって見ていられずすぐ退散(作者がそうしたことを意図しているのは重々承知ですが見ていられなかった…耐性が無くなってるというのはこういうことです)。
フェミニズムをテーマとしていたこの部屋の作品は全体的に他人事じゃない感じが強すぎて頭の中で「あまり見つめすぎると心が削られるのでご用心!」警報がずっと鳴り響いてました。

赤い色や臓物を想起させる作りがダメになってました。

森村泰昌。




自分の中でかつて心がふるえたものがそうでもなかったり、昔「よくわからん」で終わってたものが、しみじみ良く思えたり自身の変化に思いを馳せる展覧会でした。
川俣正みたいに昔からずっと「かっこいー!」と思うものもあれば、島袋道浩みたいに「わかるとかっこいい気がするけど、やっぱ自分にはわからん」なものまで再確認できて面白かったです。
島袋道浩…いつかわかる日が来るのだろうか。
