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退屈を日常に少しだけ入れてみる。

ふと何気ない退屈な隙間を埋めたくて、スマホに手を伸ばす。
YouTubeを開くと次から次へと面白い動画が出てきます。
特にショート動画ってすごいですよね。
面白いと感じるポイントだけが短時間でまとめられてて、見やすい。

ちなみに最近は水溜まりボンドのトミーさんが新しく立ち上げたチャンネルにハマってます。仲間と一緒にドッキリしあったり、突拍子もない企画をするんですが、ショートは思えない企画です。
トミーさんの、「後輩思いの兄貴」な感じが見ていて安心するんですよね。


何が言いたいのかというと、
身の回りに面白すぎるコンテンツが溢れかえってる!しかも無料!
それはありがたいことなのですが、一方で面白さの沼にハマってしまうような気もするんです。

ある本にこう書かれていました。

2010年代ごろは、良い情報にいかにキャッチアップするかという時代だった。
そこから進み今度は、情報の取捨選択が大事だと言われるようになり、

さらに進んで令和の今は「情報に触れない時間の大事さ」を求められるようになったと。

情報が有り余りすぎて、慢性的に脳が疲れてるみたいな状況は、
多かれ少なかれ経験したことあるのじゃないでしょうか。

一体スマホやテレビが無かったらどんな生活を送っていたんだろう。
この退屈にどうやって耐えていたのだろう。


そんな疑問を抱えつつ、
最近は「若草物語」という小説を読んでいました。

発刊は1869年ということで、
僕が気になっているスマホもテレビも無い時代の話です。

まず思ったのは時間の流れが非常にゆっくりということ。

3つの視点でまとめます。

①旅行が長期間すぎる

例えば登場人物の一人が知り合いに誘われて海外旅行に行くんですが、
期間は1~2年以上なんです。

なんと長い….。
この知り合いがお金持ちだから実現してるのですが、
それでも旅行に行ってきますと言って、2年も海外にいるという感覚がすごいなと。

きっとそれは、
移動にも時間がかかるし、情報もないからこそ、
自然と「ゆっくりと滞在する」ということが実現できるのかなと思った。

僕も以前アフリカ旅行に行ったんですが、
正直スマホで全部検索できるので、長く滞在しなくて良いんですよね。というか長く滞在なんてできなかったです。

だって次に行く場所の答えがすぐ見つかるのに、
同じところにいようなんて思えない。
いくらでも検索すれば面白いことがあるから、同じ場所にいるという感覚になれない

なんというか、「動かなきゃ」という気持ちになっていたような気がするんです。

情報が少ない、移動時間がゆっくり、娯楽が少ないからこそ、
同じ場所に焦らずじっくり滞在するという選択にもなるのかも。

そんなことを思った。

②手紙をめっちゃ書いてる

瞬時に連絡が取れない彼女たちはどうするのか。

手紙をめっちゃ書くんです。

家族や恋人、友人に日常の出来事や旅行先の出来事を、長文で何通も送り合う。

きっと1時間とか、それ以上かけてじっくりと書くのでしょう。

さらに手紙が届くまでに数週間くらいかかるんです!

同じ手紙を何度も何度も読み返したり、
みんなの前で朗読したり、
一喜一憂したり。

相手が何をしてるのかが分からないから、
その間を自分で想像したり、

手紙の文面から読み取ったりする。

手紙の内容も、
情報の伝達ではなくて、

細々とした日常の変化とか、不安とか、悩みとか。
そういうのをブワーッと書いてるんですよね。

情報が限られてる分、
一回に時間を使うという感じがしました。

③人と話したり、編み物をしたり。

何もしない時間はどうするのか。

女性だと、編み物をしてるシーンが出てきます。

仕事だからするという側面もあるっぽいのですが、
それよりも手持ち無沙汰だから、手を動かすという意味で描かれてる。

あとは自分たちで、演劇をしてみたり、
詩を書いてみたり、絵を買いみてみたり。

自分で何かを生み出すという方向で、
時間を使うのかもしれません。

退屈を怖がらなくても良いのかも

さて僕が小説を読んで何を思ったのかというと、

何もしていない退屈な時間があっても大丈夫なんだ!という気づきです。

当たり前と言えば当たり前なんですが、
僕はふと気づくと、空白の時間を何かで埋めたくなってることに思い当たるんです。

ついついYouTubeを見たくなるのも、
ついSNSの情報を追いたくなるのも、
話題のドラマを見なければ….と思ってしまうのも。

空白の時間を埋めないと、
なんだか心がザワザワとする
気がする。

「何かしろ!」と追い立てられてる気がしませんか?

だけど、
若草物語をはじめ、昔の小説を読んでると、

何もしない時間を楽しんでいたり、
情報を取り続けなくても、想像力で埋め合わせたり、
自分で何かを生み出したくなったり。

何かをしなくても、何かを見なくても、

別に大丈夫なんだなって、そんな風に思ったんです。

退屈に慣れるには時間が必要である

昨日3時間くらいデジタルから離れてみた。

PCやスマホをタイムロックコンテナに入れ、強制的に使えなくする。
それくらいしないとスマホの引力から逃れられないんです,,,。


紙のノートを開いて、考えてることをツラツラと書いてみました。

最初の数分は、めっちゃ気持ち悪い。

なんのためにこんな文章書いてるんだろう?
もっと他にやることあるのでは?
意味ないよこんなこと。

でもとりあえず文字を書いてみた。

今の不安について、仕事のこと、将来の不安、昨日読んだ本のこと。

すると気持ちがスーッと、落ち着くのが分かりました。

窓の外にある景色も、じっくりと、いつもより眺めることができました。

追い立てられるようにPCやスマホを見てた時は、
楽しい反面、なぜか不安は増えていく気がする。

だけど、ぼーっと、文字を書いたり景色を見てる時間は、
キラキラと画面が光るわけではないんだけど、
なんとも言えない心地よさを感じる。

退屈を乗りこなすには、最初は慣れが必要だけど、
きっと自分をもっと楽にしてくれる。

退屈な時間を取り入れる

今の生活に、

少しだけ退屈を取り入れていく。

情報は放っておいてもどんどん入ってくる。

以前SNSをいっとき見ないようにしてた時があるんだけど、
それでも重要な情報って、どっかから入ってくるんですよね。

なので今の僕に大事なのは、情報に触れるのを少しだけ減らして、
代わりに退屈な時間を増やすこと。

その退屈な時間があるからこそ、

自分の本音に気付けたり、前からやってみたかったことに取り組めたり、
逆に不安や焦りから、少しだけ解放されたりするのかもしれません。

長文になってしまいましたが、

最近の気づきでした!

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