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あなたが言ったことに、しました 第二話 言っていない言葉が、共有されている

朝のオフィスは、いつもより静かだった。

 三宅は席に着き、パソコンを立ち上げる。
 画面が明るくなるまでの数秒が、やけに長く感じられた。

(気のせいだ)

 そう思おうとする。
 昨日のことは、ただの行き違いだ。
 誰かが勘違いした。
 それだけの話だ。

 メールを確認する。
 未読は三件。

 一件目は、取引先からの定型文。
 二件目は、社内連絡。
 三件目で、手が止まった。

 件名:昨日の件、了解しました

 差出人は、営業企画の森下だった。

(昨日の件?)

 開く。

 ――三宅さんの提案通りで進めます。
 ――先方にも、すでに伝えてありますので。

 短い文面。
 丁寧で、事務的で、どこにも違和感はない。

 違和感があるとすれば、
 その提案を、三宅は一切していないという一点だけだった。

 椅子にもたれ、天井を見る。
 蛍光灯の白い光が、やけに強い。

(……いつだ)

 森下と話した記憶を、必死に辿る。
 先週?
 先々週?
 立ち話?
 チャット?

 何も出てこない。

 午前の打ち合わせが始まる。
 会議室の空気は、淡々としていた。

「じゃあ、次は例の件ですが」

 部長が、資料をめくる。

「三宅が言ってた通り、リスクは限定的だそうだ」

 数人が、うなずく。
 誰も疑問を挟まない。

 三宅の胸が、わずかに締めつけられる。

「……すみません」

 声を出すと、思ったより乾いていた。

「その話、いつのものでしょうか」

 部長が、きょとんとした顔をする。

「いつ、って。昨日だろ。
 残って説明してくれたじゃないか」

「……残っては、いません」

 一瞬、沈黙が落ちる。

 だが、それはすぐに解消された。

「ああ、そういう意味か。
 正式な会議じゃなかったからな」

 誰かが、軽く笑う。
 場の空気が、元に戻る。

 話題は先に進んだ。

(三宅が言ってた通り)

 その言葉だけが、
 何度も頭の中で反響する。

 昼休み、社内のカフェスペース。
 三宅はコーヒーを手に、窓際に立った。

 外では、工事の音が規則的に響いている。
 世界は、きちんと回っている。

 ポケットの中のスマホが、震えた。

 森下:
 昨日はありがとうございました。
 正直、助かりました。

 指先が、冷たくなる。

(……昨日、何を言った)

 返信しようとして、やめた。
 何と書けばいいのか、分からない。

 代わりに、
 昨日の行動を時系列で整理する。

 定時。
 退社。
 駅。
 スーパー。
 帰宅。

 誰とも、仕事の話はしていない。

 帰宅後、
 テーブルの引き出しを開ける。

 白い封筒。
 中身は、あのメモ。

 ――ありがとうございました。助かりました。

 紙の感触を、確かめる。
 確かに、現実だ。

(感謝されるようなことを、
 “言った”ことに、なっている)

 言葉が、勝手に共有されている。
 自分の知らないところで。

 夕方、コピー機の前で、佐伯とすれ違う。

「あ、三宅さん」

「……何?」

「さっきの件ですけど。
 ああいう言い方、助かります」

「どういう……」

「ほら。
 『相手の立場を考えて、無理はさせない』って」

 三宅は、何も言えなかった。

 それは、
 確かに自分が言いそうな言葉だった。

 帰り道、駅のホーム。
 電車を待つ人たちが、黙って並んでいる。

(誰かが、俺を真似ている)

 声の出し方。
 言葉の選び方。
 善意の方向。

 完璧ではない。
 だが、不自然でもない。

 それが、何より気持ち悪かった。

 家に帰り、
 玄関の電気をつける。

 ふと、靴箱の上に目をやる。

 見覚えのない付箋が、一枚。

 ――言った通りにしておきました。

 短い文字。
 黒のボールペン。

 震えは、なかった。
 ただ、胸の奥が、静かに冷えていく。

 これは、偶然じゃない。

 誰かが、
 自分の言葉を拾い、
 自分の代わりに、使っている。

 そして、その誰かは——
 自分を、よく知っている。

 三宅は、付箋を剥がし、
 ポケットに入れた。

 まだ、問い詰める気にはなれなかった。
 怖いのは、相手よりも、
 この状況を“受け入れかけている自分”だった。

 部屋の中は、静かだった。

 だが、
 言葉だけが、
 どこかで、勝手に歩き続けていた。

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