丘を登って、降りること——サンフランシスコは社会階層の街?——
真っ赤で壮大なゴールデン・ゲート・ブリッジ。海に囲まれたカラフルな家々。丘にそびえ立つ不思議な地形。丘の上と低地をつなぐケーブルカー。笑顔のアメリカの中産階級の家族イメージ。アメリカの1990年代の大人気ドラマ『フルハウス』を見て以来、ずっと憧れていた街・サンフランシスコにやってきた。坂が多くて、なぜケーブルカーが有名なのかも、来るまではよくわかってなかったけど。

たった一言で結論を言い切ろう。サンフランシスコ。それは、丘を登ること、降りることが、社会階層をそのまま意味するような街だ。どういうことだろうか。一緒にみていこう。
丘に登ること、丘を下ること——社会階級のシンコペーションと摩擦
一般的に、丘の上には上流階級が暮らし、街とその下に住む人間を見下ろしている。その丘を下ると、そこにはその日暮らしの多くの人びとが暮らす。これは、世界中であまねく共有化された条件だ。ひとは、自分の社会階層の誇示のために高いところを必要とする。摩天楼、タワーマンション、そうした事例は枚挙にいとまがない。
文化史家のピーター・バークは、中世ヨーロッパでもすでに、人間が高いところを欲望して塔をつくって、その上からの視点を獲得することに躍起になっていたと説く。要するに、人間の欲望は昔から何一つ変わらない。物理的にも精神的にも、文字通り人びとの上にいることは「特権/優越感を持つこと」であり、地上や地下に近づくことは、「反体制/アンダーグラウンド/地下組織」を指す。
サンフランシスコでも、まったく同じ人間の欲望をみることができる。サンフランシスコの丘の頂上に登ることは、社会的上昇を意味している。そこにあるのが、Nob HillやPacific Heights などの超高級住宅街だ。逆に、その坂を下って海に近づけば、カウンターカルチャーや、アンダーグラウンドな香りが一気に漂う(あとは排泄物のにおい)。ホームレスや、移民、労働者をふくめた地区がそこにたち並んでいる。ちなみに朝の4時から、ローワー・ノブ・ヒル(Lower Nob Hill)では「ヒーハァーーー!」と叫びながらスケボーで猛スピードで坂を下る青年と、電動車椅子でムーン・ウォークをしている年配の方がいた。ふむ。サンフランシスコ。なかなか賑やかだ、、。


そして、1873年に誕生したケーブルカーは、まさにこの物理的な社会階層を日常的に縦断してきた装置である。その上でケーブルカーは、この両者をつなぐための非常に重要な意味合いを帯びている。しかし、あくまでそれは物理的には、だ。その点が、サンフランシスコのケーブルカーの特異点である。どういうことだろうか?


実は、サンフランシスコのケーブルカーは、ノブヒルやパシフィック・ハイツといった丘の上の高級住宅街を結ぶための「富裕層専用の乗り物」だったのだ。当時の5セントの運賃は、労働者にとっては日給の数%に相当し、丘の下の移民や労働者たちが、ケーブルカーを利用して丘の上に行くことを実質的に阻んでいたのだ。徒歩で登るにはなかなかきつい坂である。つまり、ケーブルカーは、物理的には社会階層の異なる両者をつなぐような顔をしながら、実質的には丘の上へのアクセスを阻止するための装置だった!
そんなケーブルカーは、いまや観光のための資源になっている。20世紀半ば、モータリゼーションと郊外化の波の中で、ケーブルカーは市民の足から観光アトラクションへと役割を変えた。ただ、現代の片道8ドルという運賃は、歴史的にも常に高額だった「社会階層の値札」のレガシーだ。スマホで購入できるモバイルチケットにくわえて、現金支払いは可能だが、Exact change(おつりなし)という条件にどこか19世紀的な気配がある。これは、ニューオリンズの路面電車とも重なるところがある。

ケーブルカーはこうして、単なる移動手段以上の存在であった。丘の上と下をつなぎながら、同時にサンフランシスコの人びとのあいだの社会階層の距離を暴いていたからだ。「ギギギギギ」という、坂道のレールを引っ張るその音は、ひとびとのあいだの「社会階級の摩擦音」そのものなのかもしれない。歩きながらふとそんなことを思った。そうして、わたしも当時の労働者のように、意地でも自分の足で丘を上り下りしてみた。なかなかに勾配がきつい坂だった。In-n-out バーガーの裏メニュー、トリプル・トリプルとBlack and White シェイクを摂取したあとの、たるんだ身体にはもってこいの運動だった。

色彩の都市:丘上と低地に刻まれた「カラフル」な歴史
さて、サンフランシスコの街中を走っていると、カラフルな建物に目を止めることになる。これにはいくつかの歴史的背景が絡み合っているようだ。順を追ってみていこう。
またしても、カラフルな建築は、丘の上か、丘の下の低地か、のふたつに分かれる。丘の上を代表するのは「ペインテッド・レディーズ(Painted Ladies)」と呼ばれるビクトリア様式やエドワーディアン様式の木造住宅群だ。ひとことでいえば、あの『フルハウス』のオープニングに出てくるカラフルな家々だ。これらは19世紀末から20世紀初頭にかけて大量に建設され、1906年の地震・火災で一部は失われたものの、その多くが再建された。もともとのヴィクトリア様式住宅は、19世紀当時から多彩な色を使っていたが、20世紀半ばには、都市美観の統一の名のもとに灰色やベージュに塗りつぶされてしまったようだ。
転機となったのは1960〜70年代の「カラーリスト運動」である。アーティストや建築家が、かつての鮮やかな色彩を復元しようと立ち上がり、複数色のペイントによって繊細な装飾や建築ディテールを際立たせた。それが功を奏して、現在まで続く観光資源としても確固たる地位を得たようだ。

いっぽうで、低地に広がるミッション地区のカラフルさは、まったく異なる歴史・文化的背景をもつ。ミッション地区とは、1776年にスペインのフランシスコ会修道士によって創設されたミッション・サン・フランシスコ・デ・アシス(通称ミッション・ドロレス)を中心に、ラテン系コミュニティが形成された場所である。この地区は、20世紀後半にはメキシコ系や中南米系移民の一台文化拠点となった。すなわち、ここの壁画の鮮やかな原色は、ラテンアメリカやメキシコ、ひいていえばスペイン系譜の色彩感覚からきている。
こうして、丘上と低地のカラフルさは、まったく異なる歴史と文化の層を抱えている。丘上の色は、復元と観光資源化によって再生された歴史的美学であり、訪れる者を魅了するための西洋的な美の演出だ。いっぽうで低地の色は、コミュニティの抵抗、記憶、そして文化的アイデンティティを表象している。わたしはランニングで低地のミッション地区から走り出したため、丘の上の「ペインテッド・レディース」に辿り着く頃には、体力の限界を迎えていた(笑)。情けない。



そして、この街にはびこる霧は、このカラフルさを際立たせるために絶対に外せない条件となる。太平洋の冷たいカリフォルニア海流と、ヒートアイランド現象によってあたためられた、内陸の乾いた高温の空気が夏季に衝突すると、ゴールデン・ゲート・ブリッジをつうじて冷たい海霧が流れ込む。湿った冷気は丘の斜面を這い上がり、都市の輪郭をスモッグのように柔らかく隠す。その霧によって、カラフルな家の外壁は一層鮮明に浮かび上がり、鮮やかなコントラストをなす。

アナザー・カラフル? カウンター・カルチャーと文化の切れ目
ミッション地区から、さらにあゆみを進めると、一気に景観が変わった。レインボーの旗が立ち並ぶ地区に躍り出た。いわゆるLGBTIQ +の権利を掲げている地区だ。ここをカストロ地区というようだ。自分のなかでなんとなく合点がいった。サンフランシスコに来て以来、なんか妙にゲイ・カルチャーの影響を感じるファッションの方が多かったというか、カウンター・カルチャーとパンク・スタイルが融合したような、開放性のあるスタイルを好んでいる人が多いなと感じていた。サンフランシスコはリベラルの牙城なのだろう。マイノリティの権利を掲げている旗や家がとにかく多い。

1960年代のカウンター・カルチャー。それは、たしかに全米に広がった運動だったが、西海岸がもっとも先進的でアヴァンギャルドだった。この文化革命は、「既存の権力」と「代替/対抗文化」が真っ向から対峙するものだったが、もっとわかりやすくいいかえると「東海岸」対「西海岸」だったように思える。そう、セルティックスとレイカーズ、ヤンキースとドジャーズのように。永久にわかりあうことのない宿命のライバルが、そのまま文化全体に波及したようなものだ、とわたしは考えている。サンフランシスコは、たにかくカウンター・カルチャーの残り香をたっぷり感じる街であった。どおりで、わたしの大好きなブルックス・ブラザーズが閉店していたのもうなづける。シスコにアイビー・スタイルはいないようだ・・・。
そこからさらに走ると、Duboce Parkのあたりでまた建築様式が変わった。周りがヴィクトリア建築様式になった。この道路の北と南が実質的に「文化の切れ目」になっていたということだ。そういえば、ダウンタウンのトンネルを超えると、そこからチャイナタウンに一気に変わったことを思い出した。それにはびっくりした。そこもサンフランシスコの「文化の切れ目」のひとつだった。そこからしばらく歩くと、チャイナタウンの街並みが、瞬く間にリトル・イタリーに変わった。アメリカの都市では、1ブロックでまるで世界観が変わる。ここは、人間の意志と文化が織りなしてきた不思議な街だった。



今回の渡航は、過去5回の渡航とは全く質が違うものだ。文字通り、人生の新しい章としてここにやってきた。最初のステイ先にサンフランシスコを選んだ理由は単純で、LAの大型連休の大混雑を避けたかったのと、友人のいるSFを選んだためだ。でも、久々に友人にも会えたし、本当に良かった。SFに着いて、ふたたびアメリカの匂いを嗅ぎ、海に向かってなびくアメリカ国旗を見た時、なぜかわたしを待っててくれたような気がした(ただの錯覚だけど笑)。6年前の自分の決断が、いまの自分をこの国に連れてきたこと、その道をようやく実現したこと、その不思議な気持ちを噛み締めながら、星条旗を感傷的な気持ちでしばらく眺めた。

