スキが消えて、私の記憶も消えているのか
日々のちょっとしたこと。
最近、皆さんのところに遊びに行って、昨日つけたスキなどがついていないことがある。
私の記憶の中ではスキをしたはずなのに、そのスキが数日分ついていなかったりする。
今、note で不具合が起きているということなのだろうか。
それとも、私の頭の中で不具合が起きているのか……。
私は記憶違いを恐ろしく思うよりも、それを面白く眺めるタイプの人間というか、そういう自分に慣れてしまった人間かもしれないけれど、つけたはずのスキが数日分に渡って消えているとしたら、私の数日も消えているように思えてくる。
ここ数日何をしていたのか、生活の隙間でこまごましたことは思い出せなくて、私自身がぱっと消えて、今やっと現れたような気までしてくる。
生活はほぼルーチン化されていて、やることはあまり変わらない。
書く文章だけは少し違うけれど、それも僅かな差異という感じで、皆さんの記事が逆に私を別の刻み方で記しているのか。
そうなるとそれへつけたスキが消えて、私の特異性も消えるのだろうか。
とかなんとか、消えてしまった数日をいよいよ恐ろしく考えたりしている。
別の話。
ああ、そういえば、忘れるでいうと、車に乗っているときに壮大で最高なアイディアが思い浮かぶ。
「次に止まった時か、駐車場を見つけてメモしようか」
と思っていると、いざメモしようとしたときにすべて消えている。
三つくらい思い浮かんだものの中で、この一つだけは絶対に覚えておくぞ、などと思って脳に刻み付けても、その一つどころか根こそぎ持っていかれる。
あまりにも手元に残らないから、
「わしゃ、戦国時代の農民か!」
「まあ、今の時代も年貢率で言ったら同じようなものか」
などと一人つぶやくことになる。
この消え方は少し不安になるようなものだ。
昔誰かが、
「忘れてしまうようなアイディアは大したものじゃない」
「大事なアイディアはまた思い出す」
などと言っていたけれど、全然そんなことはない。
少なくとも、「ああ!!」と思ったその瞬間に広がるアイディアからの連想は大したもので、それと同じものを思い出すことはない。
作ってみてボツにして初めて、いやボツにするところまで含めて、アイディアを確かめられるのであって、消えてしまったアイディアはアイディア後を失くしてしまったことで大した損失になる。
そうだな、消えてしまうことはそれを検証もできないということで、失敗にも損失にも何にもできないことで困るのかな。
アイディアをアイディアの成果で測っているうちはなくなっても問題がないけれど、実際に動いていることといえば、アイディアを育てたり捨てたりする膨大な経験がアイディアを成果にするのだろうから、一時的な見方をしているうちはアイディアがアイディアになっていかないのだろう。
まあ、一時の思い付きもアイディアと認められる時代だから先のような、「消えたアイディアはそもそも価値がなかった」と言えて、受け入れられるのだろうか。
たぶん私も知らず知らずのうちにそういう受け入れ方もしているんだろう。
別の話。
先日、ケーキを買った。
店員さんがまごまごして、客が一人や二人のレジもうまく捌けなくて、私のケーキはどんどん劣化していくような気がしていた。
ケーキが溶けることもないけど、人にあげるものだから、溶けるような気がしてやきもきした。
店員さんに悪意も何もないのはわかっている。それでも、このケーキ屋はいつも手際が悪い。混んでいてもいなくても、レジだけは必ず詰まっている。
そして、いろいろに思い出して、田舎にきて一番思うのは、店を選べないことだとまた考えたりした。
田舎では同業他社のような競合が少ないか、あっても客が店を変えられないくらいの数しかない。
「この店いやだなぁ」
「この店員さんの接客は厭な感じだなぁ」
などと思っても、その店に行くしかないのだ。
またはそもそもの接客レベルが低いというか、接客という感覚が東京の店と比べると希薄に感じられることが度々ある。マニュアル化されていないか、そのマニュアルが守られていない感じ。
つまりは、接客というよりも、店員さんの人の好さで良い印象を抱いたり、厭な人が嫌な人のままでいたりする。
厭な人が最低限の水準になったり、良い人の接客レベルが実務的な意味で上がったりすることはない。だから、田舎でよい気分で買い物をするためには、人の良い店員さんに当たるしかない。
しかし同時に、田舎の接客で店員さんたちに同情するのは、年配の人たちの接し方が横柄だったり、いきなり身内話を長々したり、殆ど介護に近いもので、そういう客が多いから苦労している面もあるだろうと思う。
年配に限らないか。ローカルルールや身内の縁故まで持ち出す人は多くいて、厄介な思いもするかもしれない。
本当に厳密に考えてしまうと、田舎だからとか都会だからとかではなく、コミュニティの問題になる。
東京でも何処でも小さなコミュニティで成立している場合は、ローカルルールや厄介な人が厄介なまま存在している。
都会では逃げ場があって、田舎では逃げ場がないというだけの話なのか。
何処であっても、マニュアルでは対応できないことまで対応を要求されていることが、何かの作用で人間を変えているかもしれない。むしろそちらが最初だろうか。
私はそれを逆転して、不満を田舎都会論争にしてぱっと消費してしまったのかもしれない。
不満に思う私の汚染を知ったほうがいいのか。
ケーキを待つ時間も、私がずーっと田舎に住んでいれば、ローカルルールや環境にそれほど違和感を持たずにいられたのだろうか。
待つ時間を無駄に思うこととアイディアの消えた後を思うことと、人間は無いを色々に扱って、それらからも角度を得る。
鋭角な陰を見るよりも、私ももう少し田舎の接客で自分に接したほうがいいのかもしれない。
色々に順応するのでも反発するのでも、自分を介護するようなことになっていくんだろうかなぁ。
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