見えすぎる人の、孤独。の話
※この記事のヘッダーはUnsplashのHasan Albariが撮影した写真です。
これは 理解されない という話ではありません。
説明が、追いつかない という話です。
孤独には、種類がある
孤独ってどんなイメージですか?
「誰にも相手にされない」
「一人ぼっち」
そんなイメージがありますよね。
でも実際には、もっと色々種類があって、そのうちのひとつに
「見えている世界の解像度が、周りと合わない」
っていうのがあるんです。
これが結構厄介で。
拒絶されているわけじゃないし、 嫌われているわけ…でもない。
でもどこかずっと、他人との間に
「話が噛み合っていない感じ」
が付きまとう。
雪が積もるように、静かにしん、しん、と。
寂しさが重なって、いつしか高い壁が出来上がっていく。
そんな孤独です。
ダ・ヴィンチと熊楠を読んで
この二人が抱えていたのは、まさにこの種類の孤独だったんじゃないかな
って思っています。
熊楠の孤独 ― 説明が追いつかない
熊楠は粘菌を通して、森の中に宇宙を見ていました。
他の人が「雑草」と呼ぶものに 彼は複雑な関係性の網を見ていた。
神社合祀に激しく反対したのも 「制度が嫌」とか、そういうことではなくて
見えている関係性が、破壊される
という感覚だったんじゃないかなと思います。
でも、それを言葉にしようとすると 説明に時間がかかりすぎる。
「なんでそんなに怒ってるの?」
と聞かれても
「全部説明するのに3時間かかるんだけど」
という状態。
これが熊楠の孤独です。
「分かってもらえない」ではなく「説明が追いつかない」。
なんです。
これね、タロットでも出してくるんですよ(笑)
あなたが本当に望んでることは?って聞いているのに
「いやね、焦っててさ。だからさ。。選べなかったんだよ。」
いやだから、そこじゃなくて、あなたにとって大事なものってなあに?
「えっとね、それで、ナイーブな自分を一生懸命抑えてたんだ。」
タロットでも性格を押し出してこなくてもいいのに、面白い人でした。
ダ・ヴィンチの孤独 ― 時間軸がずれている
ダ・ヴィンチはほんのちょっとまた違っていて。
人体解剖から飛行機械まで同時に構想した人が
同じ時代にいた人と話が合うわけがないですよね(笑)
彼のノートは ある意味未来へのメモでした。
時間軸がずれている人は 現在に居場所を持ちにくい。
これは社会不適合でも変人でもなくて
「今ここにいながら、別の時代が見えている」
という構造の話です。
なんとも不思議な人でした。
でも確実に、どんな物も、見て、触れて、手を使って書き起こして、ただ喜びを感じる。
時には解剖までしちゃう変態さんだったことには間違いありません。(ひどい(笑)
衝突したか、距離を取ったか
同じ「見えすぎる人」でも
熊楠は衝突した。 ダ・ヴィンチは距離を取った。
これはチャートで読むと
熊楠の火星が獅子座(正面から出る)で
ダ・ヴィンチの火星が水瓶座(冷静に引く)
という違いから来ています。
どちらが正解とかじゃなくて
見えすぎる人の孤独の、出し方の違い
なんですよね。
宙吊りになる感覚
見えている世界が違う人って
他人を責めることもできない。
(相手は見えていないだけだから)
自分を疑うこともできない。
(実際見えてしまっていることは本当だから)
どちらにも着地できなくて宙吊りになってしまう。
これ、「優れているから孤独」という話じゃなくて
単純に重いんです。
そしてここで陥りやすい罠があって。
「理解されない」が続くと
「もしかして自分が間違っているのかな」
という方向に向かってしまうことがある。
※すなりやすいチャートの人もいます。わたしです(笑)
でもそれは違くて。
見えている階層が違うだけなんですよね。
間違っているのでも、おかしいのでもなくて
ただ、見えているものの解像度や時間軸がずれているだけ。
そこを混ぜこぜにしてしまうと、ずいぶん自分を傷つけることになる。
かけてる眼鏡がみんな違っているだけなんですよね。
美化への注意
ここで一つだけ。
「分かる人にだけ分かればいい」
という方向に入ると、対話を諦めることになてしまいます。
熊楠は最後まで書き続けた。 ダ・ヴィンチは描き続けた。
孤立はしていたかもしれないけれど
沈黙はしていない。
見えているものを 何とか形にして 地上に置き続けた。
そこが、ただの「孤独な天才」と 違うところだと思っています。
二人とも性質上、形にすることを止められなかっただけかもしれませんが。
翻訳し続けること
見えすぎる人の孤独って
理解されない悲劇
というより
「翻訳し続けなければならない労力」
なのかもしれません。
彼らは翻訳し続けました。
熊楠は森の複雑さを。
ダ・ヴィンチは「今ここ」にないデータを。
爆発させるのではなく 距離を取るのでもなく
少しずつ、言葉や形にして地上に置いていく。
それが二人の共通点だったと思っています。
そして現代でも
SNSを開けばたくさんの人と繋がれるのに
「なんか話が噛み合わない」 「説明するのが疲れた」
という感覚を持っている人は けっこういると思っていて。
それは弱さじゃなくて
見えている解像度の問題
かもしれないですよ。
どうしてもSNSの仕組み上、白か黒か、正しいのは自分のほうだ。みたいな話になりがちですしね。
孤独の種類が分かると
少しだけ、自分に優しくなれる気がする。
そんなお話でした。
この記事は「星で読む偉人」シリーズの番外コラムです。
もしよろしければ、ダ・ヴィンチ編・熊楠編と合わせてお読みください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました🙌
また次回も読みに来てくださるとうれしいです🥰
それではまた次の記事でお会いしましょう。またね👋
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