最近考え方が変わったこと(朗読編)
今日の耳ビジnote部のお題です

部長が声優・ナレーターの宮村麻未さんから、
コラムニスト・作家の尾藤克之さんに変わりました❗️
麻未さん1ヶ月、ありがとうございました、お疲れ様でした。
尾藤さん、1ヶ月よろしくお願い申し上げます。
以前、こんな投稿をした
なので、被らないように違う視点で書きたい。
今、私が取り組んでいるのは朗読。
最近、考え方が変わったことは
――60代になって、朗読が少し違って見えてきた
以前の私は、朗読は「上手に読むこと」が大切だと思っていた。
滑舌よく、声をしっかり出して、間を取り、登場人物の気持ちを表現する。
もちろん、それは今でも大切なこと。
朗読を教えている立場としても、発声や滑舌、アクセント、間などは、きちんと伝えていきたいと思っている。
でも――。
60代になった今、以前とは少し違うことを考えるようになった。
「上手に読む」って、そんなに大事なのかな。
そんなふうに思うようになったのだ。
若い頃なら、きっと「もっと上手になりたい」と思っただろう。
きれいな声を出したい。
間違えずに読みたい。
人から「上手ですね」と言われたい。
でも、人生も半世紀以上生きてくると、少し欲張りではなくなってくる。
いや……。
欲張りじゃなくなったというより、
「上手さだけでは、人の心は動かない」
ということが、少しわかってきたのかもしれない。
朗読をしていると、とても上手なのに、なぜか心に残らない朗読に出会うことがある。
反対に、声が少し震えていたり、言葉につまったりしているのに、胸にすっと入ってくる朗読もある。
その違いは何なのだろう。
最近、私は「その人が生きてきた時間」なのではないかと思っている。
若い頃には、若い頃にしか出せない声がある。
張りのある声。
勢いのある声。
迷いのない声。
それは、それで素敵だ。
でも、60代になった今の私には、今の私にしか出せない声がある。
これまで嬉しかったこと。
悲しかったこと。
悔しかったこと。
大切な人との別れ。
誰かに救ってもらったこと。
自分ではどうにもならないことに、ただ耐えたこと。
そして、どうでもいいことで大笑いしたこと。
そういうものが、知らないうちに自分の中に積み重なっている。
その積み重ねが、声になって出てくる。
だから最近は、
「年齢を重ねることは、朗読にとってマイナスばかりではない」
と思うようになった。
むしろ、年齢を重ねたからこそ読める物語がある。
若い頃には、ただの「悲しい話」だった文章が、今読むと違って聞こえる。
「この人も、きっといろいろあったんだろうな」
そんなふうに思える。
昔は気にも留めなかった一行に、胸をつかまれることもある。
本当に不思議だ。
作品は変わっていないのに、自分が変わったから、見える景色が変わる。
これって、朗読だけじゃないのかもしれない。
人生も同じなのだろう。
20代の自分にはわからなかったことがある。
40代になって、少しわかるようになった。
そして60代になった今、
「ああ、あのときのあれは、こういうことだったのか」
と、ようやく腑に落ちることがある。
人生は、あとから答え合わせをするものなのかもしれない。
だから私は今、
「うまく読めるようになりましょう」
だけではなく、
「その文章を、あなたはどう感じましたか?」
と、生徒さんに聞きたいと思っている。
正しい読み方を覚えることも大切。
でも、それと同じくらい、
自分が何を感じたのかを大切にしてほしい。
声が震えてもいい。
少しくらい間違えてもいい。
若い人のような張りのある声が出なくてもいい。
その人が生きてきた時間は、その人にしかない。
だったら、その声も、その人にしか出せない。
私は最近、そんなふうに思う。
朗読は、文章を声にすること。
でも、その声には、読む人の人生まで乗っている。
そう考えると、なんだか朗読がますます面白くなってきた。
そして60代の今、
「もっと上手にならなくちゃ」
と焦るより、
「今の私だから読めるように読んでみよう」
と思えるようになった。
これも、年齢を重ねたおかげかな。
若い頃の私が聞いたら、
「ずいぶん悠長なこと言ってるね」
と笑うかもしれない。
でも今の私は、こう思う。
人生も朗読も、急がなくていい。
ゆっくり歩いてきたからこそ見える景色がある。
ゆっくり生きてきたからこそ、届けられる言葉がある。
そして、これから先も――。
私にしか出せない声で、
私にしか読めない物語を、
ひとつずつ届けていきたいと思っている。
