レジリエンス、それは私の熱源

ずっと自主制作で進めていた映像作品制作。
昨日は映像許諾の件で一歩前進がありました。
さらに外部のアーティストの方に委託をしたい部分についても連絡を取り合って一歩前進することが出来ました。

企画を思いついてもうすぐで3年半。
沸々と情熱が沸いてきて、少しずつ映像素材を集めて、編集をして。
骨格が出来ては、壁にぶつかってを繰り返してきました。

どこまで行ってもその衝動を動かしているのは自分の中で沸き上がってくる情熱に尽きる感覚があります。

自主制作は誰かに「やれ」と言われてやっているものではありません。
自分の脳が自分に「やれ」と言ってきています。

誰かがそれを支えてくれるわけでもなく、誰かがそれを必要としているわけではありません。

それでも私にとって今それを創らなければ先には進めないような感覚がある。
それを創れなければ自分の存在証明が出来ないような感覚さえあります。

40歳という年齢はいよいよ「来たな」という感覚があります。
もう若者でもなんでもない。若いねと言われることもない。急に「残り時間」を考えるようになりました。
いつまでも今のカラダや体力があるわけではなさそう。

カラダの回復も遅いし、かつて若かったからこそ出来たことに対して、今の自分はそれらのことに億劫になる感覚なんかも出てくる。
それでもやりたいと思えてくる情熱の源泉みたいなものは湧いてきますよ。

忙しく編集でカンヅメになっていても、ジムに行って汗を流し、試合をイメージする時間はこの上ない喜びです。

かつてなかったもので、今あるもの。それは経験と知だと思います。

経験値に裏付けられた算段と感覚。
常に勉強をしたいと願い続けてきて行動してきたこと。
そして沢山の失敗をしてきました。

そうしたことが血肉になっていて、情熱がそれをつき動かしてくる。

やってみたいと思うことに対して
「どうすればいいんだろう」とはならずに、自分で出来ることが多いのはこれまでやってきた自分へのギフトだと思っています。

それに加えて今の私には肉体があります。
13年間くらい、ちゃんとジムに行き続けました。
筋肉は地層のようになっていて、やってきたことは積み上げになっていると感じます。
それを投資だと思ったことはありませんでしたが、結果として投資だったのかもしれないとも思える感覚はあります。

少なくともこの筋肉や習慣を筋肉がない人が身につけるのは至難の業です。

昨日、ジムでパーソナルトレーニングをしているのを脇目で見ていました。
受講している人はすごく怠そうにしていて、それまで運動習慣がなかったことは明らかです。
そういう自分を変えるためにトレーナーをつける必要性があることもわかります。

私は誰かに「やれ」と言われることもなく、自分で自分を突き動かせていることは当たり前じゃないんだと思いました。それは今の私の特性であり強みなのかもしれません。弱みももちろんたくさんあります。

数ヶ月前にジェーン・スーさんとの対談がありました。
そのテーマが「レジリエンス」だったことを思い出します。

https://bunshun.jp/articles/-/89705

レジリエンスとは、困難や強いストレス、逆境に直面したときに、折れずにしなやかに立ち直る「精神的回復力」や「適応力」のことです。

対談当初はあまり「レジリエンス」のことがよくわかってなかったのですが、今はめちゃくちゃよくわかります。
私が伝えていきたいことはレジリエンスだった。大事にしてきたこともレジリエンスだし、体現してきたことも結果的にレジリエンスだった。

ずっとそんなことをやってきました。
私は今、レジリエンスを体現したくて、それを誰かに伝えたくて、表現の熱源にしたくて。
それで生きていっています。

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