処女は処女でも、処女作です。
※この物語は完全なるフィクションです。
フィクションを書いてみたい女が、更年期の揺らぎから生み出した代物です。
実在する人物・病院・出来事とは一切関係ありません。
どうか安心して、震えてください😎
私は夜勤の時、ときどき黒い影を見ます。
男なのか、女なのかも分かりません。
ただ、人の形をした黒い影。
それはいつも廊下の奥に現れ、ゆっくりと同じ場所へ向かっていきます。
その先にあるのは、一枚の扉。
もう10年以上前から使われていない場所へ続く扉です。
扉には南京錠がかけられています。
鍵がどこにあるのか、私は知りません。
そもそも、なぜそこが閉鎖されたのかも知りません。
ただ、黒い影はいつもその扉へ向かう。
そして扉の前まで来ると――
消える。
最初に見た時は、疲れているのだと思いました。
夜勤です。
眠気もあります。
見間違いだろう。
そう思っていました。
でも、二度、三度と見るうちに、あることに気づきました。
黒い影が現れる日には、ひとつだけ共通点があったのです。
それは――
私が泣いた日。
悲しいことがあった日も。
悔しくて泣いた日も。
なぜか理由もなく涙が出た日も。
決まってその夜、黒い影は現れました。
そして今日。
私は朝から泣いていました。
理由は、自分でもよく分かりません。
ただ、涙が止まりませんでした。
そして今日は――
夜勤です。
たぶん、今夜もあの影は現れる。
なぜかそんな気がしていました。
でも今日は、いつもとは違います。
朝からずっと胸騒ぎがするのです。
まるで――
今夜、何かが起こることを知っているように。

夜勤は、いつもと変わらず始まりました。
申し送りを受け、患者さんの様子を確認する。
忙しくしているうちに、朝から感じていた胸騒ぎも忘れていました。
消灯を過ぎ、病棟が静かになった頃。
ふと廊下の奥を見ると――
いました。
黒い影。
やっぱり。
今日は朝から泣いていた。
きっと現れると思っていました。
影はいつものように、ゆっくりとあの扉へ向かいます。
そして扉の前で止まりました。
いつもなら、ここで消えます。
でも今日は――
消えない。
しばらくすると、黒い影がゆっくりこちらを向きました。
顔も目も見えない。
それなのに分かりました。
私を見ている。
初めてでした。
影が、こちらへ向かってきます。
逃げようとした瞬間、
足が動かない。
声も出ない。
黒い影が目の前まで来ます。
影の中から、何かが伸びてきました。
手。
私に触れようとした、その瞬間――
ナースコールが鳴りました。
同時に、目の前が眩しくなりました。
……明るい。
さっきまで深夜だったはずの病棟に、昼の光が差し込んでいます。
廊下には何人ものスタッフ。
患者さんの声。
慌ただしく行き交う足音。
なんで?
私、夜勤中だったよね?
その時、声が聞こえました。
「先生、お願いします!」
「心肺停止です!」
何人ものスタッフが、床に倒れた誰かを囲んでいます。
胸骨圧迫をしている。
私はその人の顔を見ました。
そこに倒れていたのは――
私でした。

何が起きているのか分かりません。
私はここにいる。
なのに、私が倒れている。
その時でした。
「戻ってこい!」
聞き覚えのある声がしました。
スタッフの間から、一人の男性が駆け寄ってきます。
彼でした。
私が勝手に「王子」と呼んでいる人。
こんな時なのに、やっぱりかっこいいと思ってしまいました。
「戻ってこい!」
必死に私の名前を呼んでいます。
その声を聞いた瞬間、誰かに腕をつかまれました。
振り返ると――
黒い影。
いつの間にか、すぐ後ろに立っています。
影は私の腕を引きました。
向かう先は、
あの扉。
嫌だ。
行きたくない。
「戻ってこい!」
また彼の声が聞こえます。
すると黒い影が、初めて声を出しました。
「聞くな。」
男なのか、女なのか。
やっぱり分からない声でした。
「戻ってこい!」
「聞くな。」
王子の声と、黒い影の声。
どちらを信じるかなんて、考えるまでもありませんでした。
私は影の手を振りほどきました。
目を開けると、眩しい光が見えました。
そして、私をのぞき込む彼の顔。
「分かる?」
私は小さくうなずきました。
「よかった……」
彼はそう言って、安心したように笑いました。
やっぱりこの人は、私の王子様だ。
そう思いました。

それから数日。
不思議なことが起きました。
私は泣かなくなりました。
あれだけ理由もなく出ていた涙が、ぴたりと止まったのです。
そして夜勤をしても、
黒い影は現れなくなりました。
終わったんだ。
あの日、私は助かった。
黒い影からも解放された。
そう思っていました。
それから数日後。
夜勤中、あの扉の前で足が止まりました。
何か聞こえます。
泣き声。
一人ではありません。
何人もの女の人が、扉の向こうで泣いています。
南京錠は、かかったまま。
なのに、
泣き声だけが近づいてきます。

「どうしたの?」
真後ろから声がして、振り返りました。
彼でした。
「何か聞こえない?」
「何も聞こえないけど。」
その瞬間――
泣き声が、ぴたりと止まりました。
「疲れてるんじゃない?」
彼は優しく笑いました。
私が彼と歩き出した時。
ガチャ。
背後で南京錠が鳴りました。
そして、あの声。
「聞くな。」
振り返っても、
そこには誰もいませんでした。
それから彼は、よく声をかけてくるようになりました。
「無理するなよ。」
「何かあったら、俺に言って。」
優しい声。
私は昔からイケメンに弱い。
そして困ったことに、
イケメンの甘い言葉には、もっと弱い。
ある夜。
また、あの扉の前を通りました。
泣き声がします。
何人もの女の声。
その中に、あの声が混じっていました。
「聞くな。」
その時。
「こんなところにいたんだ。」
振り返ると、彼が立っていました。
「探したよ。」
そう言って、優しく笑います。
その瞬間――
扉の向こうの女たちが、一斉に泣き始めました。
「……あなた、何か知ってる?」
「何のこと?」
彼は笑っています。
その時でした。
廊下の向こうから、一人の女性スタッフが歩いてきました。
「あ、いた。」
彼女は彼に近づきました。
「昨日も言ったじゃん。私が夜勤の時は待っててって。」
……昨日?
そこへ、もう一人。
「今日、送ってくれるんじゃなかったの?」
私は彼を見ました。
一人。
もう一人。
そして――
扉の向こうでは、何人もの女が泣いている。
ようやく分かりました。
あの夜。
黒い影が言った、
「聞くな。」
あれは私をあの世へ連れていく言葉ではなかった。
私は彼を見ました。
「……クソ野郎。」
その瞬間。
ガチャ。
南京錠が外れました。
扉が、ゆっくり開きます。

扉の奥に見えた、
いくつもの人影。
でも次の瞬間――
すべて消えました。
残っていたのは、
あの黒い影だけでした。
影はゆっくり私の横を通り過ぎ、
彼の前で止まりました。
彼の顔から、
初めて笑顔が消えました。
私には、
影が少し笑ったように見えました。
その時でした。
黒い影が、少しずつ薄くなっていきます。
そして初めて、
その顔が見えました。

男性でした。
王子様のようなイケメンではありません。
むしろ――
だいぶ、ハゲ散らかしています。
でも、
とても優しい顔をしていました。
「……あなたが、助けてくれてたの?」
男性は何も答えません。
ただ、もう一度笑って、
消えていきました。
それ以来、
黒い影を見ることはありませんでした。
私はこの一件で、ひとつ学びました。
黒い影が、悪いとは限らない。
イケメンが、王子様とも限らない。
甘い言葉が、優しさとも限らない。
そして――
毛根の薄い人に、悪い人はいない。
……たぶん。
完

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は完全なるフィクションです。
ただし――
イケメンと甘い言葉に弱い女だけは、実在します。
私は、いろいろ経験してきた一応女性です。
だから、これだけは言っておきます。
女性を騙す男、傷つける男は、クソ野郎です。
騙される女性についてはーー
長くなるので、またいつか。
じゃあ、どんな男性がいいのか。
見た目でも、言葉でもありません。
自分の勘です😎
以上、54歳からのアドバイスでした。
