【ピリカ文庫】すばらしい日々
1993年 夏
「ねぇ、こないだ出たユニコーンの曲だけどさぁ」
「うん。あれいいよな!単調なんだけど、グッとくる」
「うんうん。切ない曲調だけどさ、サビのとこはこう、開放感あったりもしない? あ、それでねそれでね? ここの歌詞の意味がわかんなくて」
「え?」
木目のテーブルの上で細長いCDケースを開き、その歌詞を指でなぞる。
「ほら、ここ。“君は僕を忘れるから、そうすればもうすぐに君に会いに行ける”って」
「うん」
「これ、どういうこと?」
「いや、俺そんな歌詞を深く聴いたりしないしなぁ」
「そっかぁ〜。でさ、アウトロめっちゃ長くない? それがすっごい良んだけどね」
「てかあれ、イントロと同じだよな?
あのギターリフ、始まりからなんか掴まれる」
「そう!すごくいい!でさ、長ーいアウトロがさ、そのまままたイントロに繋がる感じしない?」
「あー」
「ね? 終わってまた始まるの」
「始まって終わり、終わってまた始まる……。無限ループだな」
笑いながら、チラと壁の時計を見る。
「あ!やべ!もう三限目始まるぞ!」
残りのアイスコーヒーをズゴゴゴゴーッと一気に吸い上げ、伝票をクシャっと掴んで出口へ急ぐ。
「ほんとだ!やば!」
同じく慌ててトートバックにCDを放り込む。教科書やらノートがいっぱい詰め込められたバックの紐が、ずしりと肩に食い込んだ。
「マスター!また!」
「待ってー!やっぱさー!“君は僕を忘れるから君に会いに行ける”ってどういうことだろねー!」
カランカランッ
慌ただしく二人が去ったあと、マスターは静かに、水滴のついたグラスと、ナタデココ入りフルーツポンチの入っていたデザートグラスを下げた。
その秋、ユニコーンが解散した。
1995年 秋
「どう?仕事忙しい?」
小さなフォークでミルクレープを口に運ぶ。
「景気悪いからなぁ。でもまぁ、俺たちよく滑り込めたよね」
グァテマラ産の深煎りコーヒーを啜りながらしみじみと言う。
証券会社二年目。スーツ姿もそれなりに似合うようになった。
「就職活動、厳しかったよねー。でもほんとラッキーだった」
ミルクレープをひとくち食べたあと、浅煎りのモカを啜る。
甘いものを食べる時は、砂糖は入れない。
交互する、甘さと軽い苦味が堪らない。
マスターは、カップを拭きながらそっと二人に目を向ける。
そしてまた自分の手元に目線を戻した。
1997年 冬
「ごめん!遅くなった!」
黒いロングコートを脱ぎながら、慌てていつもの席へ向かう。
「いやいや、大丈夫ですよ? これ、育ててましたから」
「育てる? あ、マスター!いつもの深煎りお願いしまーす」
「ふふ。これですよ。我が社のイチ押し商品!」
得意そうに笑って、手に持ったそれを目の前に突き出した。
「たまごっちかー!」
「ま、私は商品開発には関わってないけどね」
「でもすごいじゃん。ボーナス上がるんじゃない? 仕事、続けたくなるよな」
「うん。なんか楽しくなってきた。いい?」
「ま、もともと君は主婦には向いてなさそうだし」
苦笑しながらそう言って、鞄からごそごそとパンフレットを取り出す。
「こちら、わたしからのサービスです」
マスターが二人の前にスッと差し出したのは、焼き立てのベルギーワッフルだった。
「わぁ! マスター、こんなのも作れちゃうの?!」
「新しいもの好きですから。あ、大きなケーキじゃなくて悪いね」
「いえ!ご馳走になりますっ!」
パンフレットの束を慌てて脇によける。
「美味しそう! あ、しまった!お砂糖入れちゃった」
三人同時に笑う。
「旅行、香港は無しかなぁ」
「そうよねー。夏に返還されたばかりじゃん?なんか様子が見えないよね」
ペラペラとパンフレットを捲って、結局そのままそっと伏せた。
「ま、まだ先の話だしな。休みがとれたらね! さ、温かいうちにいただくか!」
「うん!」
窓の外に、ちらちらと雪が舞い出した。
1999年 春
「出向が決まった」
「え。何年くらい?」
カップを持つ手が止まる。が、すぐに笑ってこう言った。
「大丈夫。私も今すごく忙しいから。
汗かいちゃうくらい」
「夏でもないのに?」
思わず一緒に笑った。
「二年とか三年、かな?」
「なるほど」
カップを両手で包み込んで、いつものモカを啜った。今日は砂糖を入れている。
カップを静かに置いて、また「ふふっ」と笑ってみせた。
ほんとはちょっと不安。ニューヨークなんて遠すぎる。二年なんて長すぎる。
2000年はあっという間に通り過ぎ、
世界は、新しい世紀を迎えた。
2015年 夏
昨年に続き、西日本は冷夏だった。
キャリアアップし、新しい事業部に移動した。仕事はとても充実している。
いつもの窓際の席。今日もひとり。
シロップを入れて、カラカラとアイスティーをかき混ぜる。
ふと、左端、カウンター前のテーブルに目を遣る。若い男女が向かい合い、一つのイヤホンを片耳ずつ分け合ってつけている。二人とも、色味の深まったテーブルに肘をつき、軽く頭を揺らしている。時々目を合わせ、嬉しそうに頷き合う。
なんの曲を聴いてるんだろう。
知る由もなく、そっとアイスティーを吸って、持って来た文庫本を開いた。
なんだか二人が眩しかった。
2025年 秋
待ち侘びた秋がようやくやって来た。
今年の夏は、例年よりずっとずっと暑かった。
変わらずきちんと整えられたマスターの髪は、いつの間にかグレーになっている。自分もそっと、アッシュブラウンの髪を耳にかけた。
いつからだろう。
ここのスイーツはティラミスだけになった。せっかくコーヒーが美味しいんだから、それが正解かも知れない。餅は餅屋だ。この例えはちょっと違うか。
そのティラミスをひとくち。そのあとグァテマラ産の深煎りコーヒーを啜る。
ナッツとチョコレートの味がした。
ふぅ〜っと椅子にもたれかかる。
朝も 夜も 歌い ながら
時々はぼんやり考える〜♪
ふと口ずさんだ。
あれ? これなんの曲だっけ。
なんだか眠くなってきた。
なんだか、とても。
落ちる。落ちていく……。
あ、違う。
浮いてるのか?
カラダがふわふわと軽い。
なつかしい歌も笑い顔も
すべてを捨てて僕は生きてる
なんの曲だっけ。
どこだかわからない世界を、大の字になって浮遊しているようだ。
カランカラン
店の扉が開いた。
誰かが入って来た。思わずスーッとそちらに向かう。
そしてゆっくりと床に降り立ち、その顔を見上げた。
「会いに来たよ」
アウトロのギターが、いつまでも鳴っている。
