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好きが尊敬に変わった本。ドリトル先生シリーズ

ドリトル先生シリーズが大好きで、小さい頃、何度も何度も読んでいました。動物が好きだった私は、動物と話せるドリトル先生ってすごいなーと思って読んでいました。大人になった今も、全巻、実家に置いてあります。

なぜか。理由は2つあります。

理由その1:井伏鱒二の美しい日本語

大人になって読み返してから気づいたんですが、なんといっても日本語が美しい。

英語で書かれたものの翻訳なんだけど、とても読みやすく、わかりやすく訳されている。日本語も美しいし、訳もうまい。Pushmi-pullyuをオシツオサレツと訳すこのセンス!一体訳者は誰なんだろうと思って見てみると、井伏鱒二。わあ!

小さい時に知らず知らずのうちに、井伏鱒二の名文に触れていたことに感謝です。たまに、美しい日本語に触れたい、と思うとき(そして実家にいるとき)読み返す本の一つです。

理由その2:戦地から息子へ送られた物語

もう一つは、シリーズの本の解説にあった話です。どの本の解説だったか忘れたんですが、読んだ時、わーっと思いました。

作者のヒュー・ロフティングさんは、ドリトル先生の一番最初の物語を、出版のために書いたわけではありませんでした。

第一次世界大戦で従軍している時に、家に残してきた息子に書く手紙の中に、この物語を書いたそうです。

第一次世界大戦というのは、当時のイギリスの人々にとって、今まで見たことも聞いたこともないぐらい悲惨で残酷な戦争でした。遠い戦地で離れて暮らしている父親としては、子どもに手紙を書きたい。でもまさか、毎日見聞していることを書くわけにはいかない。

そんな状況で、そしてそんな状況だったからこそ、このとても素敵な物語が生まれたんだそうです。

ヒュー・ロフティングさんが戦地の中で、子どものために何を伝えようと思った時に、目の前に起きていることではなく、嘘を書くんじゃなくて、ヨーロッパが血みどろの戦いをしている中で、人間と人間、隣人同士が争う中で、人間と動物が心を通わせる話を書いた。

そのヒュー・ロフティングさんの美しい心ばえを知ることで、ドリトル先生の純粋な心が一層リアリティを持ったように思えます。

小さい時はそんなことは一切知らずに、でも夢中になって読んでいました。両親がなぜこれを私たちに買ってくれたのは分かりませんが、感謝です。

私にとっては、その作者と訳者の美しい心と美しい言葉が、今も宝になっています。

そして、このヒュー・ロフティングの姿勢は、私にとっての信仰と重なります。

信じることが選択肢にすら思えないような現実の前で、それでも選ぶ。ヒュー・ロフティングは人の善性を信じることを選びました。そして、私は、ほんとに、神様っているんだろうかと思わされる出来事も多いし、全てを理解できなくても、それでも神を信じるということを選んでいます。

ドリトル先生は、そんな私を形作った人の一人です。


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