綺麗事だけの介護なんて、この世にひとつもない
日中の徘徊、食事の介助、排泄の対応、そして部屋に響き渡る声出し。
5人家族で交代しながら、みんなで手を取り合って父を見ている——文字にすれば「協力し合う温かい家族」に見えるかもしれないけれど、現場はいつだって限界だった。
特に日中、父と向き合う時間が長い私は、心の中でいつも叫んでいた。
「いつまでこの生活が続くの?」
「私だって、まだ鬱が治りきっていないのに」
自分のことはすべて後回し。自分の人生を削りながら、目の前の介護をこなす日々。
心身ともに疲れ果てていく中で、気がつけば「自分が世界で一番大変だ」と、被害妄想のような、でも切実な絶望に囚われていた。
家ではもう見られない。
父の徘徊や声出しに耐えかねて、「緩和ケア病棟に入れたらいいじゃない。もう限界だよ」と思ったことは、一度や二度じゃない。
そのことで、兄とぶつかったこともある。
「入れなくてもいいんじゃない」
そう言った兄に対して、私は張り詰めていた糸が切れたように、きつい言葉を投げつけてしまった。
「ずっと看てないから、そんなことが言えるんだよ」
言った瞬間から、罪悪感が胸を刺した。兄は家族を支えるために、仕事の合間を縫って必死に介護に関わってくれていた。
見ていられる時間が少ないのは、遊んでいるからじゃない。家族のために働いてくれているからだと、頭では分かっているのに。
限界を迎えていた私は、大切な兄に牙を剥き、当たってしまった。そんな自分がまた嫌になる。
いざ病院への選択肢が目の前に迫ると、どうしても足がすくんだ。
緩和ケアに入ったら、もう最期に間に合わないかもしれない。強いお薬をたくさん飲まされて、自由を奪われて、拘束されていたかもしれない。
そんな恐怖が頭をよぎるたび、優しかった「あの頃のパパ」がしてくれた数々のことが思い出されて、どうしても踏み切れなかった。お父さんから受け取ったたくさんの愛情が、私のブレーキになっていた。
だからこそ、逃げ場がなかった。
死んじゃうのは悲しい。会えなくなるのは、何よりも辛い。それは分かっている。分かっているのに、あまりの過酷さに、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、「いつ死ぬんだろう」と思ってしまったことがある。
思っちゃいけない。そんなこと、実の親に対して願っていいはずがない。
でもそう思わなければ、自分の心が崩壊してしまうところまで追い詰められていた。
人が死ぬタイミングなんて誰にも分からないし、介護がいつ終わるのかも分からない。この「先が見えない」という事実が、何よりも重く、暗く、私たちを苦しめ続けた。
排泄の世話も、認知機能が低下して会話が成り立たなくなった父とのコミュニケーションも、毎日毎日本当に疲れ果てる。
いくら過去に感謝の気持ちがあっても、目の前にいるのは、大好きだった頃とは人格が変わってしまった人なのだ。その相手をするのが、どれほど残酷で大変なことか。
ニュースで時々見る、介護に疲れた家族が起こしてしまう悲しい事件。
あの頃の私は、あれを決して他人事だとは思えなかった。
もし私が5人家族じゃなくて、1対1で父と向き合っていたら。私は間違いなく、父を殺していたか、虐待していたと思う。
綺麗事では決して片付けられない。感謝や愛だけでは乗り越えられない、本物の苦しさだった。
