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私が会社を辞めるまで①

私はどうすればよかったのか、今でも分からない。ただ、書き出すことで頭と心を整理しようと思う。

20××年4月1日。私は真新しいスーツを着て、満員電車に揺られていた。
大手調剤薬局の薬剤師として働くことが決まっていた私は、期待と不安で胸がいっぱいだった。当初の予定では、まず同期全員でマナーなどの基礎研修を受け、その後、各店舗に配属されて実践的な業務を学んでいくことになっていた。

私が配属されたのは、自宅から片道約90分かかる場所にある、1日の処方箋枚数が40枚に満たない小規模な店舗だった。大学時代、徒歩3分の距離で一人暮らしをしていた私にとって、往復3時間の通勤は非常に高いハードルだった。

それでも「早く一人前の薬剤師になりたい」という一心で、毎日電車に乗り込んだ。中学・高校と皆勤賞で、粘り強さには自信があった。この通勤時間も、努力で乗り越えられるはずだと思っていた。

配属先には、私の指導役となる薬剤師がいた。仮にAとする。Aは50代のベテラン女性で、その店舗の店長兼管理薬剤師を務めていた。結論から言えば、このAとの出会いが、私が会社を辞める決定的な理由の一つとなった。

Aは毎日、私に雑用ばかりを押し付けた。
Aが散らかした資料の整理、Aが汚した休憩室の掃除……。「これもいつか薬剤師の業務に役立つかもしれない」と自分に言い聞かせ、必死に耐えた。しかし、その雑用が実務に繋がることは一度もなかった。

Aはいわゆる「新人いびり」を楽しむタイプだったのだ。

そんな日々が続いたある日、同期と近況を話す機会があった。そこで私は愕然とした。他の同期たちは、薬局の業務フローはもちろん、ピッキングや一包化、服薬指導まで一通り経験させてもらっていたのだ。
会社が用意したカリキュラムがある以上、それが当然の姿だった。

一方で私は、ピッキングすらさせてもらえない毎日。
少しでも手伝おうとすると、「邪魔」「迷惑」と冷たくあしらわれた。

唯一の例外は、本社の人間が様子を見に来る時だけだった。Aは体裁を繕うために、その時だけ私にピッキングを許可した。そして、お偉いさんが帰った途端、また私は現場から排除された。
私に至らない点があるのは承知していたが、同期と比べて特別に劣っている自覚もなかった。

心身ともに限界が近づいていたそんな折、私の母が亡くなった。

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