【学び】対話は「話し方」だけではなく、共通の体験から生まれる
はじめに
今回は、荒木博行さんのVoicyで紹介されていた「4つのI」のリーダーシップと、久保さんの組織対話カフェでの読書会、そして近内悠太さんの『贈与を巡る旅』から、対話が生まれる構造について整理してみます。
問い記事では、「対話は、仲良くなってから始まるものなのか。それとも、一緒に何かをする中で生まれるものなのか」という問いを残しました。
今回は、その問いに対して答えを決めるのではなく、組織の中で対話が生まれる条件を、いくつかの視点から考えてみたいと思います。
1.4つのIは、対話を「組織の仕組み」として捉える補助線
ボリス・グロイスバーグとマイケル・スリンドは、2012年の論文『Leadership Is a Conversation』と著書『Talk, Inc.』で、組織的対話を構成する4つの要素を示しています。

この4つを見て、私が大切だと感じたのは、「対話=自由に話すこと」だけではないという点です。
親密さがあっても、一方的に話すだけでは双方向になりません。
意見を出し合っていても、一部の人しか参加できなければ、組織全体の対話にはなりにくい。そして、話して終わりでは、仕事の目的や方向性につながらないこともあります。
つまり、4つのIは、どれか一つを達成するものではなく、互いに支え合う関係にあるのだと思います。
2.優秀なリーダーの問題ではなく、依存が生まれる構造
荒木さんの放送で印象的だったのは、優秀なリーダーがいることで、組織が思考停止してしまう可能性についてです。
リーダーが経験豊富で、判断が早く、的確な指示を出してくれることは、現場にとって大きな安心感になります。
しかし、その状態が続くと、メンバーは「自分が考えるより、リーダーに聞いた方が早い」と感じるようになるかもしれません。
これは、リーダーの能力が高いこと自体が問題なのではなく、答えが一人に集まる構造が生まれているということなのだと思います。
私の職場でも、できる人が目の前の仕事も未来の仕事もどんどん進めてくれる姿を見ると、本当にすごいなと感じます。
一方で、その人がすべてを担うことで、
ほかのメンバーが考える機会や、
仕事を自分ごととして捉える機会が少なくなっていないだろうか、
と考えることもあります。
もちろん、すべてを対話で決めればいいわけではありません。
安全や緊急対応、責任を持って判断しなければならない場面では、明確な指示も必要です。
ただ、正解が一つではない課題や、現場の知恵を集めたい場面では、リーダーが答えを出す前に、メンバーが考えを持ち寄る余白が必要なのかもしれません。
3.読書会が生み出すのは、共通の「第三の題材」
では、対話を始める時に、なぜ読書会が有効なのでしょうか。
私なりに整理すると、一つは、本がリーダーとメンバーの間にある「第三の題材」になることです。
普段の会議では、上司の意見に対して部下が反論することに、心理的なハードルが生まれる場合があります。
しかし、本を題材にすると、
「私はこの部分に共感した」
「自分の経験では少し違うように感じた」
といった形で、自分の考えを出しやすくなります。
本があることで、個人の正しさを直接ぶつけ合うのではなく、共通の考え方を一度挟みながら話せるのです。
また、同じ本を読んでいても、印象に残る箇所は人によって違います。
ある人はリーダーシップの話に注目し、別の人は人間関係の話に引っかかるかもしれません。
その違いを聴くことで、普段の仕事だけでは見えにくい価値観や経験に触れることができます。
本は正解を与えるものというより、お互いの考え方を知るための共通の入口になるのだと思います。
4.「同期」は、言葉になる前の関係性を考える視点
もう一つ、今回の放送で印象に残ったのが、近内悠太さんの『贈与を巡る旅―つながりと身体の倫理学』から紹介されていた、沖縄の踊りや音を通した交流の話です。
本書は、各地の人々との出会いや、食卓、祭りなどの営みを通して、効率や交換だけでは捉えられないつながりを考える一冊です。
放送で紹介されていたエピソードでは、沖縄では一緒に踊ることで仲良くなるけれど、東京にはそうした踊りがないと話した際に、「では、どうやって仲良くなるの?」と問われたそうです。
そこから考えられていたのが、身体的な「同期」でした。
一緒に踊る。
同じリズムを感じる。
スポーツで身体を動かす。
同じ作業に取り組む。
こうした体験では、言葉で価値観を説明し合う前に、同じ時間や動きを共有しています。
もちろん、一緒に何かをすれば必ず仲良くなるわけではありませんし、身体を使う活動が苦手な人もいます。
それでも、関係性は言葉による理解だけでなく、共通の体験を通しても育まれるのではないか、という視点は、とても興味深いなと思いました。
5.読書会とスポーツは、違う活動でも構造が似ている
読書会とスポーツでは、身体を使う程度も、活動の目的も違います。
それでも、共通しているのは「同じものに向かって、同じ時間を過ごす」という点なのかもしれません。
読書会なら、一冊の本を読む。
スポーツなら、一つのボールやルールを共有する。
バーベキューなら、食事を準備して一緒に食べる。
そこでは、普段の仕事の役割とは少し違う形で、お互いの反応や考え方に触れることができます。
そして、その体験を通して生まれた関係性が、仕事の中での「ちょっと聞いてみよう」「この人はどう考えるだろう」という行動につながることもあるのかもしれません。
ただし、共通の体験をしただけで、仕事上の対話が自然に完成するわけではありません。
読書会であれば、そこで生まれた気づきを日常の仕事とどうつなげるか。スポーツや交流であれば、普段の業務でお互いの考えを聴く機会につながっているか。
その先まで含めて考えると、4つのIのIntentionality(意図性)にもつながってくるように思います。
6.個人の交流に頼ることと、組織が環境をつくること
ここで、私自身の働き方や生活にもつながりました。
今の私は、仕事以外の時間を家族やnoteに使うことを大切にしています。
昔は飲み会が好きでしたが、今は子どもと過ごす時間が何より優先されていて、その選択に幸せを感じています。
そのため、職場の人間関係を深めるために、休日や仕事終わりの交流へ積極的に参加することには、少しハードルがあります。
だからといって、組織の対話や関係性を大切にしていないわけではありません。
ここには、個人の価値観と、組織が求める関係性の間にあるズレがあるのだと思います。
もし関係性づくりが、仕事以外の交流に参加できる人だけに委ねられてしまうと、家庭の事情や生活の優先順位によって、参加できる人とできない人が分かれてしまいます。
一方で、組織の時間の中に読書会や共通の体験を設けることができれば、普段は参加しにくい人も、その場に加わりやすくなるかもしれません。
これは、個人に「もっと積極的に交流しよう」と求めることとは違い、関係性を育てる機会を、環境として用意するという考え方です。
7.組織の時間で行うなら、何を大切にしたいか
では、実際に読書会を取り入れるとしたら、どのような視点が必要なのでしょうか。
今回の学びを、4つのIと重ねて考えてみます。
親密さの視点では、普段の役職や評価から少し離れて、安心して自分の考えを話せることが大切だと思います。無理に自己開示を求めるのではなく、話せる範囲を尊重することも必要です。
双方向性の視点では、進行役が正解を説明し続けるのではなく、参加者の意見が行き来する余白をつくることが考えられます。
参画の視点では、読書が得意な人だけの場にしないことも重要です。全員が一冊を完読していなくても、短い文章や一つの章を共有するところから始めることもできそうです。
意図性の視点では、最後に「この考え方は、私たちの現場ではどんな場面につながるだろう」と考える時間を設けることで、読書会が単なる感想共有にとどまらず、仕事の意味づくりにつながる可能性があります。
ただし、これらは読書会の正しい進め方というより、場を考えるための補助線です。
参加者や組織の状況によって、必要な設計は変わるのだと思います。
8.最初から全員を巻き込まなくてもいいのかもしれない
もう一つ、今回の放送から考えたのは、対話の場を最初から組織全体に広げようとしなくてもいいのではないか、ということです。
対話に関心がある人もいれば、今はそこまで必要性を感じていない人もいます。私自身も、個人の時間を使ってまで参加したいかというと、今は優先順位が違います。
だからこそ、まずは参加したい人たちが、小さく一緒に何かをする場から始まってもいいのかもしれません。
そこで生まれた気づきや、お互いの考え方を知る経験が、日常の仕事に持ち帰られる。
そして、その人が別の誰かと話す時に、少し聴き方が変わったり、問いを投げるようになったりする。
そうした小さな変化が、網の目のように広がっていく可能性もあるのではないかと思いました。
ただ、参加しない人を「対話に関心がない人」と決めつけないことも大切です。参加しない理由には、時間、家庭、性格、興味、心理的な負担など、さまざまな事情があるはずです。
まとめ|対話を生むのは、言葉だけではない
今回の学びから、対話はファシリテーションの技術だけで成立するものではないのだと感じました。
「4つのI」は、組織の中で対話が生まれる条件を考える補助線になります。
読書会は、肩書きを少し離れ、共通の題材を通してお互いの考え方に触れる機会になります。
そして、同期という視点は、言葉になる前の共通体験にも、関係性を育てる可能性があることを教えてくれます。
もちろん、読書会をすれば必ず対話型組織になるわけではありません。
何かを一緒にすれば、すべての人間関係が深まるわけでもありません。
それでも、個人の積極性だけに頼るのではなく、組織として共通の体験や対話の機会を用意することには、意味があるのかもしれません。
今の私にとっては、家族との時間を大切にすることと、職場の関係性を大切にすることは、どちらか一方を選ばなければならないものではないと思っています。
その両方を大切にできる環境とは、どのようなものなのか。
そして、対話すること自体を目的にするのではなく、一緒に何かに取り組む中で、自然とお互いの考え方に触れられる組織とは、どんな姿なのだろうか。
これからも、日々の現場で起きる小さなやりとりから考えていきたいと思います。
▼この内容のきっかけになった問いはこちら
摩擦を、構造に。
問いを、資産に。
Yuta
