【学び】想像力を「事故を防ぐ力」として構造から考える
はじめに
前回の記事では、
「想像力が乏しいと、なぜ事故の確率は高くなるのだろう?」
という問いを残しました。
きっかけは、信号機のない横断歩道での出来事です。
歩行者がいたため私が車を止め、対向車も止まった。
ところが、後ろから来た車が私の車を追い越し、そのまま横断歩道を通過していきました。
幸い事故にはなりませんでした。
この出来事から考えたのが、
「前の車が止まったのには、何か理由があるのではないか」
と考える力についてです。
今回は、この「想像力」を少し構造から整理してみたいと思います。
学び① 人は「見えている情報」だけで判断しやすい
運転しているとき、私たちは膨大な情報を処理しています。
信号。
前の車。
対向車。
歩行者。
速度。
道路標識。
そのすべてを一つひとつ深く考えていたら、運転することはできません。
だから経験を重ねるほど、
「この道なら大丈夫」
「ここでは人はほとんど渡らない」
「前の車が遅いだけだろう」
と、過去の経験から瞬時に判断するようになります。
これは決して悪いことだけではありません。
経験があるからこそ、素早く判断できる場面もたくさんあります。
一方で、その経験が、
「今回もいつもと同じだろう」
という思い込みになることもあります。
つまり、見えていないものがある
のではなく、見えていないものは存在しない
と判断してしまう。
この二つには、大きな違いがあります。
今回の出来事でも、止まっている車だけを見れば、
「前の車がなぜか止まっている」
という情報しかありません。
しかし、その車のさらに先には歩行者がいました。
自分から見えている情報が、必ずしもその場にある情報のすべてではない。
ここに、想像力が必要になる理由の一つがあるのかもしれません。
学び② 想像力は「正解を当てる力」ではない
想像力というと、
「この先に歩行者がいると予測する」
ことだと思ってしまいます。
でも、実際には歩行者がいるかどうかを、毎回正確に当てることなんてできません。
むしろ大事なのは、
「歩行者がいるかもしれない」
と可能性を残しておくことではないでしょうか。
例えば、
前の車が突然止まった。
理由は分からない。
このとき、
「歩行者がいるに違いない」
と正解を当てる必要はありません。
ただ、
「自分には見えていない”理由が何かあるかもしれない”」
と思えればいい。
歩行者がいるのかもしれない。
何かが落ちているのかもしれない。
車の前に動物がいるのかもしれない。
その可能性が一つでも残っていれば、すぐに追い越すのではなく、一度待つという選択肢が生まれます。
そう考えると、想像力とは未来を正確に予測する能力というより、
まだ見えていない”可能性を消さない力”
なのかもしれません。
学び③ 「もし〜だったら」と考えることが事故を遠ざける
今回の出来事から思い出したのが、畑村洋太郎さんの『失敗学のすすめ』です。
この本では、「仮想演習」という考え方が扱われています。
実際に失敗してから考えるのではなく、
「もし、こうなったらどうなるか」
と頭の中で状況を動かしてみる。
例えば、
「もし、この陰から子どもが飛び出してきたら」
「もし、前の車が人を避けるために止まっていたら」
「もし、自分の死角に自転車がいたら」
と考えてみる。
もちろん、すべての危険を想定することはできません。
それでも、あらかじめ「あり得る」を持っているだけで、判断は変わります。
「まさか、こんなことが起こるとは思わなかった」
という状態を少しでも減らすためには、
起きてから考えるのではなく、”起きる前に少し想像してみる”。
その習慣が大切なのだと思います。
今回の出来事も、
「まさか歩行者がいるとは」
ではなく、
「自分に見えていないだけかもしれない」
と考えることができれば、違った行動につながった可能性があります。
学び④ 「想像する力」と「待つ力」はつながっている
ここで一つ面白いと思ったのが、
想像力と、待つことの関係
です。
なぜ前の車が止まったのか分からない。
分からなければ、一旦待つ。
でも、
「ただ遅いだけだろう」
「何もないだろう」
と決めてしまえば、待つ理由はなくなります。
つまり私たちは、
意味が分からないものほど、”早く自分なりの答えをつけて処理したくなる”
のかもしれません。
しかし、
「何か理由があるのかもしれない」
と想像できれば、その数秒を待てる。
運転中の数秒。
子育てで子どもの話を聞く数分。
仕事で誰かの背景を確認する時間。
一見まったく違う出来事ですが、
すぐに判断せず、”一度保留する”
という点では、同じ構造があるように思います。
想像力があるから待てる。
待つことができるから、さらに情報が見える。
そんな循環があるのかもしれません。
学び⑤ 子育てや仕事でも「行動の後ろ側」を想像する
この構造は、車の運転だけではありません。
例えば、子育て。
子どもが朝なかなか着替えない。
言ったことをやらない。
急に機嫌が悪くなる。
親からすれば、
「早くして」
と言いたくなることもあります。
でも、
「なぜ今、この行動をしているんだろう?」
と一度考えてみる。
眠いのかもしれない。
学校に行きたくない出来事があるのかもしれない。
別のことに集中しているのかもしれない。
本人なりの理由があるのかもしれない。
理由を当てる必要はありません。
ただ、
目の前の行動だけが、”その子のすべてではない”
と考えることができる。
そうすると、
「言うことを聞かない子」
と決めつける前に、少し背景を見る余白が生まれます。
仕事でも同じだと思います。
誰かがミスをした。
お願いしたことをやっていなかった。
想定と違う動きをしていた。
そうすると、
「なんでやっていないの?」
と、人に原因を求めたくなります。
しかし、一度、
「なぜ、この判断になったんだろう」
と考えてみる。
情報が伝わっていなかったのかもしれない。
優先順位の認識が違ったのかもしれない。
別の仕事を優先せざるを得なかったのかもしれない。
役割そのものが曖昧だったのかもしれない。
ここでも正解を想像する必要はありません。
大切なのは、
本人の能力や姿勢以外にも”理由が存在”するかもしれない
という余白を持っておくことです。
それだけで、人ではなく構造を見る入口が生まれます。
構造から整理すると、想像力とは「問いを一つ増やすこと」
今回の出来事を整理すると、
想像力という言葉を少し違う形で捉えられるようになりました。
例えば、
前の車が止まった。
→ 邪魔だから追い越そう。
ではなく、
前の車が止まった。
→ なぜ止まったんだろう?
子どもが言うことを聞かない。
→ 怒る。
ではなく、
→ なぜ今、この行動をしているんだろう?
仕事でミスが起きた。
→ 誰が悪かったのか。
ではなく、
→ なぜ、この状況が生まれたんだろう?
目の前の出来事と行動の間に、
「なぜ?」
という問いを一つ入れる。
すると、ほんの少しだけ余白が生まれます。
そして、その余白が、
「待つ」
「見る」
「確認する」
「別の可能性を考える」
という選択肢につながっていきます。
まとめ|見えていないものがあると認める
今回の経験から私が学んだのは、
想像力とは、見えていないものを勝手に決めつける力ではなく、見えていないものがあると”認める力”なのではないか
ということです。
もちろん、すべての場面で立ち止まり続けることはできません。
すぐに判断しなければならない場面もあります。
それでも、
「本当に、自分に見えているものだけがすべてなのだろうか」
と、一度問いを置いてみる。
その問いが、
事故を防ぐことにつながるかもしれない。
子どもに怒る前の余白になるかもしれない。
職場で誰かを責める前に、構造を見るきっかけになるかもしれない。
目の前の出来事をそのまま受け取るのか。
それとも、
「この後ろには何があるんだろう?」
と、もう一つ問いを置いてみるのか。
想像力とは、その小さな問いを持ち続けることなのかもしれません。
▶︎この内容のきっかけになった問いはこちら
摩擦を、構造に。
問いを、資産に。
Yuta

