灰谷健次郎さんの本に感銘を受けたタロの助
ぶっちゃけ俺は鼻の穴にこびりついた乾燥した鼻くそくらいアホだったりするのだが、一丁前に本は好きだ。
でもアホなのであまり難しい本は読まない。なぜなら難しくて寝むくなっちゃうから。
で、まあ、俺のどうでもいい感想というか、なんというか、偉そうな話を聞きてくれ。
基本的に専門書とビジネス書、実用書、自己啓発本とかを読むことが多い。あとは自伝。小説は読む頻度が少ない。
で、最近感じることは、最近の本って長く通用しないようなものが多い気がするのだ。(すいません、全ての本を読んだわけではないし、たぶん俺の選定する本がそうなのかもしれない。)
偉そうなことは言えないし、本を一冊書くほどの忍耐力もないので、本を書いて出しているだけでも凄いというのは前提としておく。
で、たぶん、
すぐ使える本はすぐ使えなくなる本だと思うのだ。
なんというか、本質からの枝葉のようなものが多くなった気がする。
すぐ使えるテクニック。。。
でもそれは幹部分じゃない気がするんだよね。
教育等の本もそんな感じがする。
教育そのものの本質からずれているような。。。子どもに勉強のテクニックを優先して教えてもねぇ。点の取り方も大事だけど、それだと楽しくないと思うのだ。
もっと大切なことがある気がする。
コロナで軟禁されているこの数日で
故:灰谷健次郎さんの本を4冊程読ませて頂いた。
俺は涙がでたね。
人としての本質というか、優しさというか、愛というか、心の真ん中というか。。。
まあ、うまく言えないけど、俺は特にこの数年間、人との接し方(特に理学療法士として人と接している自分)はダメだった気がする。
自分と相手との境界線を引き過ぎていたかもしれない。仕事は仕事、あまり入り込むとこっちの心が持たない、との思いがあったように思う。
もちろん、自分なりに誠実に頑張ってはいた。たくさんのありがとうも笑顔ももらった。
でも、俺は心が交わることを大きく拒んでいた気がする。
専門職としてどうにかする、という視点が強くなっていた。
それは人手不足による大変さや患者や利用者、その家族の権利意識の変化による圧迫からもきていたかもしれない。
それでも、やはり俺はもっと心を知るべきだった。
愛するってことは、その人の人生を知るってこと。自分以外の人生を受け入れるってことだ。
優しさってのは、自分の中に、どれだけ違う人たちが住んでいるかってことだ。
そのためには小手先のコミュニケーションテクニックとかじゃなくて、やはり相手を知ろうとする、痛みを分かち合おうとする、その人の人生を愛して受け入れようとするってことが必要だったんだ。
大人になればなるほど、人との接し方は上手になっても、心を溶け合わせるってことは難しくなるのかもしれない。
見えないものがもっともっと見えなくなっているのかもしれない。
本当に大切なことは綺麗な言葉じゃない。
その奥深くにある想いだ。
本当に大切なことは目に見えないし、本当に大切なことはあとから気付くことも多い。
灰谷健次郎さんの本に出会えてよかった。この方の考え方や物の見方こそ、今の時代に必要な気がしてならない。
