その痛みを、僕は見過ごさなかった——タトゥーと面談の午後

ビルのエレベーターを降りた瞬間、ほんのわずかな熱気が肌をかすめた。オフィスのあるこのビルには、いくつかの会社が入っていて、エントランスフロアの一角には、入居企業が自由に使える共有スペースがある。ちょっとした打ち合わせや面談がよく行われていて、僕も何度かそこで候補者と話をしたことがある。

その日も通り過ぎるだけのつもりだった。

けれど、ふと、目に入った面談の風景に、僕は立ち止まりそうになった。

そこに座っていたのは、顔を含めて全身にタトゥーが入った候補者。そして、その向かいに座る社員も、半袖からのぞく腕にタトゥーがあった。

二人とも、まっすぐに目を見て話していた。会話の一部が、すれ違いざまに耳に入った。

「……自分も最初は、半そでで隠れる部分にしか入れてなかったんですけど、今はもう、隠れないところにも入れています」

ただそれだけの会話だった。

でも、そのひとことが、妙に心に残った。

以前の僕なら、きっとこう思っていたと思う。

「タトゥーを入れてる人って、大丈夫なのか?」

偏見だった。どこかで刷り込まれてきた価値観。子どもの頃に親や先生から言われた「刺青はダメ」「そういう人とは関わっちゃいけない」という言葉。ニュースで見る犯罪者の腕にタトゥーが見えたり、社会の“ルール”として遠ざけられる存在として語られてきた背景。

でも、今の僕は少し違う。

人事として、これまでたくさんの人と関わってきた。過去に問題を抱えていた人、自信をなくしていた人、やり直したいと思っている人。そういう人たちが、自分の過去や背景を語るたびに、僕はいつも思う。

——この人は、自分を変えようとしている。

外から見えるものじゃなくて、その人の“中身”に触れたときに、ほんの少しでも気持ちが動いた瞬間、僕は「この人を応援したい」と思う。

その面談も、きっと、そんな関係があったのだと思う。

タトゥーがあることが問題なんじゃない。

問題なのは、その人を見ようとせずに、「タトゥーがあるから」という理由で最初から排除してしまうことだ。

そしてそれは、本人が一番よくわかっている。

面談に来ていたその候補者も、たぶん何度も断られてきただろう。書類で落とされ、面接で怪訝な顔をされ、理由も言われずに不採用になった経験が、何度もあったんじゃないかと思う。

だからこそ、「自分も最初は隠してました」と話してくれた社員の言葉が、どれほど心を軽くしたか。

「ここには、分かってくれる人がいるんだ」

そんな安心感が、少しでも伝わったなら、それだけでこの面談には大きな意味があった。

「共感する力」というのは、口で言うほど簡単なことじゃない。

たとえば、相手が泣いていたとしても、自分が同じ痛みを経験していなければ、どれほどの言葉がかけられるだろう?

でも逆に、似た経験があれば、たとえ言葉が多くなくても伝わるものがある。「あのとき、自分もつらかった」「同じように、不安だった」——そういう気持ちが共鳴する瞬間が、関係性をつくるのだと思う。

採用ブランディングって、つい「かっこいい会社」「制度の充実」「未来の可能性」みたいな話に寄りがちだけど、本当に大事なのは、「この会社なら、自分を受け入れてもらえるかもしれない」と思ってもらえることじゃないか。

たとえば、それがタトゥーだったり、学歴だったり、空白の職歴だったり、人によって“ネガティブに捉えられやすい要素”はさまざまだ。

でも、それを否定せず、ただ「わかるよ」と言ってくれる人がいる。

その事実だけで、「ここで頑張ってみたい」と思える人がいる。

共感の力は、決して小さくない。

そして、それはマネジメントにおいても同じだ。

人には、言わないだけでいろんな背景がある。

家庭の事情、心の不調、過去のトラウマ、自信のなさ、失敗への恐怖——そういったものを抱えて働いている人に対して、「何があったの?」と聞ける上司と、「いいからやって」と言う上司では、組織の空気がまったく違う。

「自分も同じような経験があってさ」と語れる上司のもとでは、部下はちょっとずつ心を開いていく。そして、自分が弱さを見せたぶんだけ、相手のことも理解しようとする。

そうやって、人の関係は深まっていくんだと思う。

だから、あの日の面談の社員の姿は、まさに「共感するプロ」だった。

夜、帰宅して夕飯を囲んでいると、娘の朝陽(あさひ)がこんなことを聞いてきた。

「パパ、もし朝陽がさ、悪いことしちゃったとき、怒る?」

僕は少し考えてから、こう答えた。

「うーん、何をしたかにもよるけど……怒る前に、理由を聞くかな。どうしてそうなったのかって」

「それって、優しいの?」

「うーん、優しいっていうより、“わかろうとする”ってことかな。パパも、朝陽と同じように失敗したことあるからさ」

「ふーん……でも、ちょっと怒るよね?」

「そりゃ、ダメなことはダメって言うよ。でも、怒りたいんじゃなくて、伝えたいんだよ。どうしてそれがよくなかったのかを」

朝陽は、少し考えてから頷いた。

「……そっか。じゃあ、ちゃんと話すね」

その一言が、なんだかとても嬉しかった。

共感は、特別な才能じゃない。

「そうか、そう思ったんだね」と受け止めること。

「自分も、そういうことあったよ」と寄り添うこと。

その積み重ねが、信頼を生んでいく。

あの日のビルの一角で交わされた何気ない会話は、きっとそんな「信頼のはじまり」だった。

そして、それはどんな会社にとっても、どんな家族にとっても、何よりも強くて温かい力になるのだと思う。

僕自身には、タトゥーもないし、ピアスもしていない。

それは誰かと比べてどうこうという話ではなくて、自分が自分に約束したこととして、そうしてきた。

僕は、自分の両親からもらったこの身体を、自ら傷つけないと決めている。痛みを与えない、傷を刻まない。それは、僕なりの感謝の示し方でもあり、生き方でもある。

他の人がどうであるかは関係ない。それぞれの選択と背景があることも、今ではよくわかる。

だからこそ、「違いを否定しない」という姿勢の価値を、あの日の面談の風景から強く感じたのかもしれない。

共感とは、同じであることじゃない。違いを認め合いながら、その人を尊重すること。

——僕は僕のままで、あなたはあなたのままで。

それでも、わかり合おうとすることは、できる。

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湯鶴の裏方より

このnoteでは、湯鶴というひとりのパパの日常をもとに、仕事・育児・人生にまつわる物語を綴っています。

無料のエピソードでは、子どもとの時間で考えたことや、仕事をする中で考えていることなど、毎日のなかにあるささやかな気づきを描いています。

でも実は——
誰にも言えなかったことや、少し勇気がいるようなことは、有料エピソードで綴っています。

湯鶴がこれまで向き合ってきた葛藤や選択。
その背景には、言葉にならなかった想いがあります。

僕は、湯鶴の“裏方”として、そのひとつひとつを記録してきました。

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自分のままで在り続けること。

どれかひとつを選ぶのではなく、どれも大切にしていきたい。うまくできない日があっても、それでも今日を重ねていく。そんな湯鶴のまなざしと向き合いながら、言葉を編んでいます。

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