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音の向こうに見える音〜J・マスシスとジョニー・マー

音楽を聴くというのはどんな行為だろうか。

僕は昔から音楽雑誌などの記事やインタビューなどを読み、そこから窺い知れるその人となりを想像しながら聴くということをしてきた。誰に薦められたわけでもなく、自然にそうしてきた。

時代は進み、音楽はネットで検索してすぐに聴けるようになった。情報を集めることも簡単になった。でも結局情報の総量は昔と何も変わっていないように感じる。ネットが発達しても、核心的な情報や新しい特別な情報が増えたわけではない。たくさんの人が発信している不特定多数の感想や意見が増えただけ。このNOTEみたいに(笑)。

少なくとも音楽や芸術に関してはネットが発達したからといって本質的な情報の量は何も変わっていない。アーティスト本人がSNSで発信をしていれば本人の言葉を聞くことができるということが大きく変わったことか。それでもやはりまとまったインタビューなどの方が読み応えもあるし、楽しかったりする。結局、自分の好きな作品に対してはその作品に深くのめり込み、その細部まで凝視し自分の腹の底に落とし込んで消化吸収する、というあり方は何十年経っても変わっていないし、これからも変わることはないのだろう。

僕はギタリストなので、音楽を聴く時にはその音楽の成り立ちや構造を分解するのがデフォルトになっている。曲のコード進行や構成を書き出して確認したり、音を聴いて使っている楽器やアンプやペダル(エフェクター)などの機材を想像したりする作業です。そこに興味があるし、単純にとても楽しい作業なのです。

その作業によって「その音楽の向こう側にある音」が見つかる。その音楽はどこから来たのか。この人はどうしてこんな音楽を作ったのか。そういうビジョンや直感が掴める時がある。一方的な思い込みかもしれないけれど、その作曲者や演奏者の気持ちや感覚を理解できるような気がする。これはただの妄想かもしれないけれど、それを見出すことによって僕の音楽生活はとても楽しく豊かになる。僕はある音楽を好きになると、その音楽のルーツや背景までも知りたくなるし、好きになってしまう。

ダイナソーJrというとてもかっこいいバンドがいる。
もうすっかりクラシック・ロックという枠組みに押し込まれてしまうバンドなのかもしれないが、音のインパクトは全く古くない。当たり前のことだけど。ある日、ふと彼らの曲の中でも一番好きな曲である「Little Fury Thnings」をギターで弾いてみたくなった。音をよく聴いて耳を澄ませたり、映像をみたりして、その曲のギターをコピーして弾いていると「ああ!これはスミスだ!」と思った。その時僕は、J・マスシスがザ・スミスから影響を受けているのかどうかは知らなかった。でもJ・マスシスのギターをコピーして弾いていると、僕の目と耳にはそこにはっきりとジョニー・マーが見えた。「スミスが爆音になった。それがダイナソーJrか!」とその日の日記に書き綴った。

実際はそんな単純なものではなく、一人のアーティストの中には何百人ものアーティストが血肉となって息づいているわけなのだが、その中の一部を確実にキャッチしたような気持ちになりとても嬉しかった。ダイナソーJrは凄まじいまでの爆音が大きな魅力のバンド。一方のザ・スミスはそんなバンドではない。でもそこにははっきり太いつながりが見えた。ダイナソーJrがただの爆音のバンドではなく、不思議な繊細さをもった音楽を作り続けているのはそういうことだったのか!と僕は個人的な大発見をした、と勝手に思い興奮しました。
ちなみにその確信は後に、ダイナソーJrのライブにジョニー・マーが共演者として参加してザ・スミスの「The Boy With The Thorn In His Side」を演奏するという奇跡みたいなシーンを目の当たりにすることで、完全に答え合わせができた。それを見た時は涙が出るほど興奮した。

さらに、ちなみに。
ジョニー・マーは、僕が人生で死ぬほど敬愛するギタリストのうちの一人です。彼についての思いはまたいつか書きたい。

音の向こうに音を見る、というのはこういうことなのだ。
素晴らしい名曲、素晴らしい演奏、素晴らしい音楽の向こうに、それを生み出す土壌となった豊かな音楽・作品がある。それはどこまでもどこまでも深く深く掘り進めることができる。無限である。そうやって作品を一つ発見するたびに僕は感動し興奮する。僕はそれを貪るように吸収する。その土壌はとても豊潤で尽きることがない。
音の向こうに音を見る。言葉の向こうに言葉を見る。絵画の向こうに絵画を見る。映画の向こうに絵画を見る。そんな喜びがあるだけでも人生って素晴らしいと思う。
そんな楽しみをAIなんかに渡すわけにはいかない。蛇足ですが。

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