京都の夜、びっくりするよなパスタを食べる
びっくりするくらいおいしい、というのは、こういう場面で使うのだろうな。
そんな冷静な感想はあとから浮かんだことで、その時の私はただ、びっくりしているだけだった。
四条大橋を渡って、にぎやかな大通りから木屋町のほうに逸れ、しばらく歩いたところに、路地から身を隠すようにして、ひっそりとそのビストロがある。何年か前から行きたいなあと思っていたのだけれど、なかなかタイミングが合わず(今回も早い時間には予約が取れず20時過ぎの枠)、念願の来訪だった。二階席からは鴨川が見え、とっぷりと深い闇の中で水面がきらめく様子がきれい。
そして差し出されたメニューの中でぱっと目を惹いたのが、「炙り秋刀魚とフェンネル、ブドウのシチリア風のパスタ」。多い多い、情報量が多い。他にもプッタネスカやアーリオオーリオ、お出汁のリゾットなど、味の想像がついて間違いなくおいしい炭水化物が列をなしているけれど――フェンネルと秋刀魚。そしてブドウ。ああ、どんな味がするのかしら。
こういう時に「知らない味」を選ばせる力のあるお店ってすごいなあと思う。だって最終的に私たちがそれを注文したのは、前菜の2品があまりに美味しかったからなのだ。メニューにあると8割の確率で頼んでしまう(そしてビストロのメニューにはたいていあるのでいつのまにか定点観測をしているみたいになってしまっている)パテ・ド・カンパーニュは、ごろごろと触感の残った豚肉をしっかり噛み締めると甘い脂と旨味がじんわり滲むし、それにあつあつの分厚いココットごとやってきたスフレ・フロマージュときたら!

今までお菓子ではなく料理としてのスフレを食べたことがなくて、あのふわふわしたシフォンケーキのような食べ物を想像していたので、取り分けようと大きなスプーンを差し込んだ瞬間、鮮やかな黄色の肌からじゅわっとスープが滲んだことに驚く。火傷しそうなひと匙を頬張ると、ベーコンの出汁やチーズの旨味をふかふかの卵がふんわりくるんで、洋風の茶碗蒸しという風情。はふはふしながら飲み込んだところの熱を、冷たい白ワインが優しくなだめてくれる。チーズが焦げたところももちろんおいしくて、競い合うようにして食べた。
こんなになにもかもおいしいのだから、聞いたこともない料理だって、絶対美味しいはず。そんな確信のもとに追加注文した、秋刀魚とブドウのパスタがついにやってきた。

やや平たい太めの麺を噛んだ瞬間、「!!!」とほっぺたの奥あたりに衝撃が走る。
クミンのエキゾチックな香りにフェンネルの甘さとさわやかさ、セロリの香気に秋刀魚の脂と香ばしい焦げ目。もちもちとした麺と松の実やパン粉の触感のコントラストが楽しく、そしてそこにあたたかく汁気の豊富な生の葡萄!
い、いろんな味がする。馬鹿みたいな感想が頭に浮かぶ。いろんな味と、いろんな香りと、いろんな触感。全部合わさって、口の中で「おいしい」が拡張する。夫と二人、「おいしい……」「おいしい……」とつぶやきながらひたすらフォークを動かし、気づけば皿の上は空になっていた。
最後に供されたのは鶏腿肉のコンフィ。ぱつんと張った皮目としっとりした肉にスパイスが馴染んでとてもおいしかったし、「知ってる食べ物だ」と思って安心した。

鶏よりも先にパスタを運んできてくれたのは、単にイタリアンのコースの順番がそうだから、とことなのだろうけれど、我々にとってはなんというか、パスタの驚きをソフトランディングさせるという意味でもありがたい配膳の順番だったと思う。おかげで呆然としたまま帰途につかずに済んだ。
ナッツのタルトやレモンの入ったカタラーナなど、魅惑的なデザートに後ろ髪をひかれながらも退店。おいしいものへの欲望よりも幸せな範囲の満腹感を優先できるようになったなんて、私も大人になったものだなあと思う。
が――次来るときはメインを豚にしよう、前菜は自家製ベーコンを使っているというサラダにして、デザートを食べる余裕を作ろう。帰りの電車の中でもうそんなことを考えているのだから、やっぱりそうも言いきれないのかもしれない。
