【コピペ率を下げても、あなたの考えは増えない】AI時代のレポートで、本当に評価されるものは何か
コピペ率を下げても、あなたの考えは増えない
AI時代のレポートで、本当に評価されるものは何か

こんにちは、ぜっとです。
最近、生成AIについて書いた記事へのコメントの中で、「コピーモニター」という言葉を目にすることが増えました。
大学のレポートや論文を書くときに、
「コピペ判定に引っかからないだろうか」
「AIが書いた文章だと判定されないだろうか」
「類似率をもう少し下げた方がいいのではないか」
そんなことを気にしながら文章を書いている学生さんもいるようです。
もちろん、コピペや無断引用を確認することは大切です。
自分では普通の表現だと思っていた文章が、既存の文章とかなり重なっている場合もあります。
引用したつもりでも、出典の書き方が不十分なこともあるでしょう。
そういう意味では、コピーチェックツールは便利です。
ただ、少し気になったことがあります。
コピペ率を下げることが、レポートを書く目的になってはいないだろうか。
ということです。
数字を下げても、自分の考えが増えるわけではない

例えば、ある文章が既存の文章と重なっていたとします。
そこで、
言葉を入れ替える。
語順を変える。
文章を少し短くする。
別の表現に置き換える。
もう一度チェックする。
類似率が下がった。
これで問題は解決したように見えます。
提出物としては、それで通る場合もあるかもしれません。
でも、ここで一つ問いを置きたいのです。
「その修正によって、自分の考えは何か増えただろうか」
文章は変わっています。
しかし、
何を問題だと考えたのか。
なぜその資料を選んだのか。
複数の資料のどこが違うのか。
その違いをどう考えたのか。
最終的に、なぜその結論を選んだのか。
こうした部分が変わっていなければ、文章の表面だけを変更したことになります。
これは、コピーモニターという道具が悪いという話ではありません。
むしろ逆です。
道具の役割を、少し整理しておいた方がいいと思うのです。
コピーモニターは「考える道具」ではなく「確認する道具」

例えば、食品を扱う仕事では、温度計や鮮度管理の基準を使います。
温度がおかしい。
保存状態に問題がある。
基準から外れている。
そうした異変を確認するためには、とても重要な道具です。
しかし、温度計は、
「この商品を誰に売るべきか」
「どんな料理に使ってもらえば喜ばれるか」
「どんな価値を伝えれば選ばれるか」
までは考えてくれません。
計測と判断は別です。
コピーモニターなどのチェックツールも、私は似た位置にあると思います。
文章の重なりを確認する。
引用漏れに気づく。
既存文章への依存が強すぎないかを見る。
そういう品質管理には使えます。
しかし、
このレポートの問いに価値があるか。
文献Aと文献Bを比較したことで何が見えたか。
どんな新しい切り口が生まれたか。
自分自身が何を考え直したか。
そこまでは計測できません。
ここを混同すると、
「良いレポートを書く」
という目的が、
「検知されない文章を作る」
という目的へ、少しずつ置き換わってしまいます。
「自分の言葉で書く」を、言い換えだと思わない

よく、
「自分の言葉で書きましょう」
と言われます。
この言葉も少し曖昧です。
自分の言葉とは何でしょうか。
難しい文章を、普段使う言葉へ変えること。
文章の順序を変えること。
自分らしい口調にすること。
もちろん、それも文章を書く上では意味があります。
ただ、研究やレポートにおける「自分の言葉」は、それだけではないと思います。
例えば、三本の文献を読んだとします。
文献Aでは、
「生成AIは学習効率を高める」
と論じられている。
文献Bでは、
「生成AIへの依存は思考力を弱める可能性がある」
と論じられている。
文献Cでは、
「利用方法によって学習効果が変わる」
と論じられている。
ここで三本を順番に要約すれば、文献紹介になります。
しかし、そこで、
「では、AIを使ったかどうかではなく、どの思考工程をAIへ渡したかで評価した方がいいのではないか」
という問いが生まれたとします。
さらに、
問いを立てる。
文献を選ぶ。
根拠を確認する。
比較する。
結論を選ぶ。
反論に答える。
という工程に分けてみる。
すると、
「AI利用の有無」ではなく、
「人間の判断がどの工程に残っているか」
という別の見方が生まれます。
ここには、文章の言い換えとは違う「自分」があります。
何を見るか。
何と何を比べるか。
どこに違和感を持つか。
どの基準で判断するか。
私は、この部分の方が「自分の言葉」に近いと思っています。
AIを使ったレポートだからこそ、考えた履歴を残す

生成AIが登場したことで、文章を書くこと自体はかなり簡単になりました。
テーマを渡せば構成を作ってくれる。
文章も作る。
要約もする。
比較表も作る。
反論まで考えてくれます。
便利です。
だからこそ、逆に人間側では、
「私はどこを考えたのか」
が重要になります。
例えばレポートを作るとき、次の三つを残しておくだけでもかなり違います。
【何を借りたか】
どの資料から、どの事実や考え方を得たのか。
【どう考えたか】
なぜその資料を選び、何と何を比較し、どう結論へ進んだのか。
【何が変わったか】
調べる前の自分と比べて、どの考えが変わったのか。
私は、この三つを、
「出典の履歴」
「推論の履歴」
「成長の履歴」
として残しておくとよいのではないかと考えています。
完成した文章だけを見ると分からないことでも、この三つを見ると、その人がどう研究したかがかなり見えてきます。
考えが変わらなくても、成長している場合がある

ここで注意したいことがあります。
研究した結果、最初の意見と違う結論にならなければ成長していない、という意味ではありません。
最初の考えが、調査後も残る場合もあります。
しかし、
理由が増えた。
反対意見を理解できるようになった。
適用できる範囲が狭いと分かった。
例外が見つかった。
確信度が下がった。
「まだ分からない」と言えるようになった。
こうした変化も立派な学習です。
むしろ、
研究前は、
「絶対こうだ」
と思っていたものを、
研究後には、
「この条件では、こう言えそうだ」
と説明できるようになった。
これはかなり大きな変化です。
知識が増えただけではありません。
世界の見分け方が細かくなっています。
良いレポートとは、答えを知っている文章なのか

ここで、レポート評価そのものについても考えてみたいと思います。
文章がきれい。
引用も正しい。
参考文献も多い。
論理もつながっている。
もちろん、どれも大切です。
しかし生成AIが、これらのかなりの部分を補助できるようになりました。
だとすれば、これからのレポートでは、
その人が何を新しく見分けられるようになったか。
複数の知識をどう組み合わせたか。
どんな比較軸を作ったか。
そこからどんな考えを作ったか。
こうした部分の評価も、これまで以上に重要になるのではないでしょうか。
例えば、
これまで別々に扱われていた三つの知識を、一つの構造として整理した。
誰も比較していなかった二つを、同じ軸に乗せて考えた。
既存の議論では混ざっていた二つの概念を分けた。
一般論を具体的な現場へ適用した結果、新しい条件が見えてきた。
こうしたものは、単なる「感想」ではありません。
既存の知識を使って、新しい認識のまとまりを作っています。
私はこれを、
「独自の認知チャンク」
という考え方で捉えられるのではないかと考えています。
独自の認知チャンクとは何か

まだ詳しい話は次の記事で扱いますが、簡単に言えば、
複数の知識や経験を組み合わせ、
「この問題は、こう見ると整理できる」
という再利用可能な考え方を作ることです。
大げさな新発見である必要はありません。
例えば、
「AIを使ったか、使っていないか」
という二択しかなかった問題を、
「問い・根拠確認・比較・判断・文章化のどの部分をAIへ渡したか」
という五段階に分けたとします。
それによって、
「AI利用」という一つの言葉では見えなかった違いが見えるようになります。
これは小さな概念生成です。
学生レベルのレポートでも十分に起こり得ます。
そして、私はむしろこの部分こそ、AI時代に人間が学ぶ意味の一つになるのではないかと考えています。
認知チャンク関連記事
コピーモニターを使わない、という話ではない

誤解のないようにしておきたいのですが、
この記事は、
「コピーモニターなんて使わなくていい」
という話ではありません。
確認には使えばいいと思います。
類似部分が見つかった。
では、なぜ重なったのかを見る。
引用すべき場所だったのか。
出典が抜けているのか。
専門分野では一般的な定型表現なのか。
原文に依存しすぎて、自分が十分理解できていないのか。
そこを確認する。
ただし、
数字を下げることそのものを目的にはしない。
私はこの距離感が大切だと思います。
チェックツールを使いながら、
その一段上で、
「このレポートの中で、私は何を考えたのか」
を見る。
その方が、レポートを書く時間そのものが、将来にも残る学習になります。
レポート作成は、社会に出た後にも続いている

これは学生だけの問題ではありません。
社会に出ても、私たちは毎日のように似たことをしています。
市場情報を調べる。
競合を見る。
資料を読む。
AIに分析してもらう。
会議資料を作る。
企画書を書く。
改善策を考える。
既存の情報をまとめるだけなら、生成AIはかなり得意になっています。
その中で人間に残る仕事は、
自分たちの現場では何が違うのか。
どの情報を採用するのか。
何を優先するのか。
どんな新しい関係を見つけたのか。
それを、どう現実へ使うのか。
という部分です。
大学のレポートは、単位を取るためだけの文章ではなく、
「既存の知識から、自分なりの判断を作る」
練習でもある。
そう考えると、コピーモニターの数字だけを追いかけるのは、少しもったいない気がします。
おわりに

AI時代になって、
「自分で書いた文章とは何か」
という境界は、以前より曖昧になりました。
けれど、
「自分で考えたとは何か」
という問いは、むしろ以前より重要になっています。
私は、自分で考えるということを、
何もないところから世界初の答えを生み出すことだとは思っていません。
既存の知識を読む。
違いを見つける。
比較する。
疑う。
組み合わせる。
自分の経験や問題へ当てはめる。
そして、
「私は今、こう考える」
という暫定的な判断を作る。
そこまでの過程に、その人の知性が現れるのではないでしょうか。
コピペ率を下げることはできます。
AI判定の数字も変わるかもしれません。
でも、それだけでは自分の考えは増えません。
そのレポートを書く前には見えていなかったものが、書き終えた後には見えるようになったか。
私は、そこを一度確認してみてほしいと思います。
次の記事では、この続きをもう少し深く考えます。
テーマは、
「自分の言葉とは、本当は何なのか」
です。
語尾を変えることでも、AIっぽさを消すことでもない。
レポートのどこに「自分」が現れるのかを、問い・比較・判断・価値観という視点から分解してみます。
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