「自分の言葉」とは、語尾を変えることではないAI時代のレポートに「書いた本人」が残る場
「自分の言葉」とは、語尾を変えることではない
AI時代のレポートに「書いた本人」が残る場所

こんにちは、ぜっとです。
前回の記事では、
「コピペ率を下げても、あなたの考えは増えない」
という話を書きました。
文章の類似率を下げることと、自分の考えを深めることは別です。
既存の文章と似ている部分を見つけ、表現を変える。
引用漏れを確認する。
出典を整える。
こうした作業は必要です。
しかし、文章の表面をいくら直しても、
「このレポートの中で、自分は何を考えたのか」
が増えるわけではありません。
そこで今回は、その先にある問題を考えてみたいと思います。
よく言われる、
「自分の言葉で書きなさい」
とは、そもそも何なのでしょうか。
「自分の言葉に直す」が、少し危ない理由

レポートを書くとき、
「そのまま書くとコピペになるから、自分の言葉に直してください」
と言われることがあります。
この説明自体は間違いではありません。
ただ、これだけを強く受け取ると、
「自分の言葉=言い換え」
だと思ってしまうことがあります。
例えば、
「生成AIの普及によって、大学教育における学習方法が変化している」
という文章があったとします。
これを、
「生成AIが広がったことで、大学での学び方にも変化が生じている」
と書き換える。
確かに文章は変わっています。
でも、考えている内容はほとんど同じです。
言葉は自分のものになったかもしれません。
しかし、
考えまで自分のものになったとは限らない。
私は、ここを分けて考えた方がよいと思っています。
自分の言葉は「文章」より前にある

文章を書く前には、実はたくさんの判断があります。
何をテーマにするのか。
何を問題だと感じるのか。
どの資料を読むのか。
どの資料を信用するのか。
何と何を比較するのか。
どの違いを重要だと考えるのか。
反対意見をどう扱うのか。
どこまでなら言えるのか。
最終的に何を結論として採用するのか。
文章は、その後に出てきます。
つまり、
自分の言葉は、文章表現だけに存在しているわけではありません。
むしろ、
「何を見て、何を選び、どうつないだか」
の中に、かなり強く現れます。
同じ十本の論文を読んでも、全員が同じレポートになるわけではありません。
ある人は効率に注目する。
ある人は公平性に注目する。
ある人は学生の理解度を見る。
ある人は教員側の負担を見る。
ある人は五年後、十年後の教育制度まで考える。
資料が同じでも、
どこから見るかによって、見える問題は変わります。
ここに「書いた人」が残ります。
同じ資料を読んでも、違うレポートが生まれる理由

例えば、
「大学で生成AIをどこまで使ってよいのか」
というテーマについて調べるとします。
Aという資料には、
生成AIを使うことで情報整理が速くなる
と書いてある。
Bという資料には、
AIへ考える工程を任せすぎると、学習が浅くなる可能性がある
と書いてある。
Cという資料には、
AIの利用そのものより、利用方法や教育設計が重要だ
と書いてある。
ここまでなら、三つの資料を要約しただけです。
しかし、
「Aは効率について話している。Bは学習の深さについて話している。そもそも二つは同じ尺度でAIを評価していないのではないか」
と気づいたとします。
ここで初めて、一つの新しい観測が生まれます。
さらに、
「では、生成AIの教育利用を『良い・悪い』だけで評価するのではなく、効率、理解、著者性、説明責任という複数の軸で評価した方がよいのではないか」
と考える。
すると、既存の資料を並べただけだった状態から、
自分で比較軸を作った状態
へ変わります。
これが、私が考える「自分の言葉」の重要な部分です。
視点・視座・切り口・価値観を分けてみる

自分の考えがどこにあるのか分からないときは、
「視点」
「視座」
「切り口」
「価値観」
を分けてみると整理しやすくなります。
視点は「何を見るか」
例えば生成AIについて、
文章力を見るのか。
学習効率を見るのか。
誤情報を見るのか。
学生の理解を見るのか。
同じ現象でも、注目する場所が違います。
視座は「どこから見るか」
学生から見る。
教員から見る。
大学経営から見る。
企業から見る。
五年後の社会から見る。
見る位置を変えると、同じ問題でも意味が変わります。
学生にとっては便利なAIでも、
教員からすると評価方法を難しくする存在かもしれません。
企業から見ると、
AIを使えることよりも、AIを使った後に本人が判断できるかの方が重要かもしれません。
切り口は「どう分けるか」
良い・悪い。
使う・使わない。
という二分法だけではなく、
問いを立てる工程。
情報を探す工程。
比較する工程。
文章にする工程。
最終判断をする工程。
と分けてみる。
すると、
「AIを使った」
という一言では見えなかった違いが見えてきます。
価値観は「何を大事だと判断するか」
効率を優先するのか。
理解を優先するのか。
公平性を優先するのか。
本人の成長を優先するのか。
どの価値を上に置くかによって、最終的な結論は変わります。
ここは、完全に消すことはできません。
だからこそ、
「私は何を基準に判断したのか」
を自分で分かっていることが大切になります。
自分の考えは「感想」とは違う

ここでもう一つ、注意しておきたいことがあります。
自分の考えを書くというと、
「私はこう思いました」
を増やせばいいように感じる場合があります。
しかし、それではレポートとして弱くなります。
例えば、
「私は生成AIを大学で積極的に使うべきだと思う」
と書くだけでは、意見です。
なぜそう考えるのか。
何と比較したのか。
どの資料を根拠にしたのか。
どの問題より、どの利益を大きいと判断したのか。
どんな条件なら、その結論を変更するのか。
そこまで説明されて初めて、
意見が「考察」に近づきます。
自分らしさを出すために、無理に感情を書く必要はありません。
淡々とした論文でも、
比較軸。
資料選択。
問題設定。
推論。
判断基準。
結論の限定。
そこには十分に著者が現れます。
「自分の経験」を入れればオリジナルになるわけでもない

反対に、
自分の体験を書けば自動的にオリジナルになる
とも限りません。
例えば、
「私もChatGPTを使ったことがあります。とても便利でした」
だけでは、個人的な体験ではありますが、研究上の付加価値はまだ小さいでしょう。
そこから、
どの作業で使ったのか。
使う前と後で何が変わったのか。
どこでは便利だったのか。
どこでは自分で考えた方がよかったのか。
何回使っても同じ傾向があったのか。
既存研究と一致したのか、違ったのか。
まで観測すると、
個人的な経験が、考察材料へ変わります。
一次情報の価値は、
「自分に起きたから価値がある」
だけではありません。
既存知識と照合できる形まで整理したときに、強くなります。
AIは「自分の言葉」を作ってくれるのか

生成AIに、
「もっと自分らしい文章にしてください」
と頼むこともできます。
AIは文体を変えられます。
文章を柔らかくする。
語尾を変える。
少し人間らしい揺れを入れる。
説明を短くする。
しかし、
それだけでは「自分の言葉」ができたとは言えないと思います。
なぜなら、
何を問題として見るか。
何を比較するか。
何を重要だと判断するか。
どの結論を引き受けるか。
という部分までAIに任せてしまえば、
文章だけ本人らしくても、思考の主体は曖昧になるからです。
AI時代だからこそ、
「文章を書いたのは誰か」
だけではなく、
「判断したのは誰か」
を見る必要があります。
AIには「文章を書く」より、自分の考えを探させる

これは生成AIを使わない方がよい、という話ではありません。
私はむしろ、かなり使えると思っています。
ただ、使う方向を少し変えます。
完成文章を書かせる前に、
自分の考えがどこにあるのかを探すために使う。
例えば、草稿を書いたあと、AIに次のように尋ねます。
この文章を書き換えないでください。
文献の要約にとどまっている部分と、私自身が比較・推論・判断している部分を分けてください。
「なぜそう考えたのか」が不足している箇所について、私が考えるための質問だけを返してください。
これならAIは代筆者ではありません。
鏡になります。
もう一つ使える問いがあります。
このレポートから私の名前を消した場合、同じ資料を読んだ別の人でもほぼ同じ文章を書けそうな部分を指摘してください。
その部分について、比較軸、判断基準、具体的な適用条件を深めるための質問をしてください。
これはかなり厳しいチェックになります。
しかし、文章を人間らしく見せるより、
「どこに自分の判断が足りないか」
を見る方が、はるかに学びになります。
自分の言葉を確認する三つのテスト

レポートを書き終えたら、私は次の三つを確認するとよいと思います。
【消去テスト】名前を消したとき、誰が書いても同じ内容になっていないか。
【説明テスト】なぜその資料、比較軸、結論を選んだのか、原稿を見ずに説明できるか。
【反論テスト】自分とは違う結論を示されたとき、根拠を使って答えられるか。
三つともできるなら、
かなり「書いた本人」が文章に残っています。
逆に、
文章はきれいなのに説明できない。
なぜその結論なのか分からない。
資料を変えるとすぐ結論も崩れる。
という場合は、
文章は完成していても、思考はまだ完成していないのかもしれません。
自分の言葉は、研究前から持っている必要はない

ここは、私はかなり大切だと思っています。
レポートを書く前から、
「独自の意見を持たなければならない」
と思う必要はありません。
最初は、
分からない。
何を考えればよいか分からない。
どの資料が正しいか分からない。
それでも構いません。
むしろ研究とは、
分からない状態から始めるものです。
資料を読む。
違いを見る。
矛盾を見つける。
比較軸を作る。
反対意見を見る。
一度決めた考えを修正する。
その途中で、
「私はここを問題だと思う」
「この二つは分けた方がいい」
「この条件なら成立する」
という考えが少しずつ生まれます。
自分の言葉は、
最初から頭の中に完成品として入っているものではありません。
調べ、比べ、考える中で作られていくものです。
そして、ここから「独自の認知チャンク」が生まれる

ここまで考えると、
もう一段先の問題が見えてきます。
自分の視点を持つ。
比較軸を作る。
資料同士をつなげる。
既存の概念を分ける。
新しい条件を発見する。
そこまで進むと、
単なる「自分の意見」ではなく、
一つの新しい考え方のまとまり
ができる場合があります。
例えば、
「AI利用の良し悪し」
という大きな一つの問題を、
「問いを立てる」
「根拠を探す」
「比較する」
「判断する」
「文章化する」
という工程に分解する。

そして、
「AIを使ったかどうかではなく、どの工程の判断主体を誰が持っているかを見る」
という考え方を作る。
これは一つの再利用可能な認識単位になっています。
別の課題にも使えます。
企業の企画書にも使える。
採用試験にも使える。
AIによる意思決定にも使える。
私は、このようなものを、
「独自の認知チャンク」
として評価できるのではないかと考えています。

おわりに
「自分の言葉で書く」
という言葉は、一見すると文章表現の話に見えます。
しかしAI時代には、もう少し深く考えた方がよいと思います。
自分の言葉とは、
語尾を変えることだけではない。
言い換えることだけでもない。
AIらしい文章を人間らしく直すことでもない。
何を問い。
どこから見て。
何を選び。
何と何を比べ。
どの違いを重要だと考え。
どこまでを自分の判断として引き受けたのか。
そこに、その人の言葉があります。
そして、おそらくこれから重要になるのは、
「自分らしい文章を書ける人」
だけではありません。
既存の知識から、
新しい見方を作れる人。
新しい比較軸を作れる人。
混ざっていた概念を分けられる人。
別々だった知識をつなげられる人。
そして、その考えを他の問題にも使える形で残せる人です。
次回は、その部分をもう少し深く掘ります。
テーマは、
「独自の認知チャンク」とは何か
AI時代のレポートに、概念を生み出す力をどう評価するか

です。
珍しい言葉を作ることと、独自の概念を作ることは何が違うのか。
学生レポートに世界初の発見を求めなくても、どこに独自性を見つけられるのか。
そして、生成AIが既存知識をいくらでも整理できる時代に、人間が新しく作るべきものは何なのか。
次の記事では、そこを考えてみます。
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