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【エッセイ】生きたいなんて思っていなかった


 事の始まりは、双極性障害二型の診断を貰った事でした。とある治療薬の副作用で、三ヶ月で20kg以上太った時の話です。

 その時、異常な口渇と異常な食欲に悩んでいました。
 その数ヶ月後、糖尿病性ケトアシドーシスで緊急入院することになるのです。

 
 1日に水は6リットル飲み。
 そして、ご飯はなんと、6食。

「嫌だ、もう食べたくない」
「これ以上食べちゃダメ!」
 
 その気持ちとは裏腹に、脳は命令を発するのです。

「食え。食わなきゃ満たされないぞ」

 それはもう、食事ではなく、食事破壊そのもの。

 地獄の入口のきっかけは、多飲過食の副作用がある薬に変わった事。
 それより。
 地獄への片道切符を得る事になったのは、その夏の異常な暑さで、スポーツドリンクと乳酸菌飲料を大量消費したことにあるでしょう。

 汗をかく。喉が渇く。スポーツドリンクを飲む。喉が渇く。だからまた大量に飲む。
 この繰り返し。

 健康の為に良かれと思ってやっていた習慣が、ジワジワと身体を蝕んでいくのです。

 けれど、異常に気付かない。
 脳の『飢え』は加速していくのです。

 今思えば、それは異常だったと分かります。
 じっとりと汗ばむ身体から、うっすら、甘い匂いが漂っているのですから。

 でも、それに気付かなかったのです。
 そう、その甘い匂いを幼い頃から嗅ぎなれていたからこそ、おばあちゃんのお家の匂いがする。
 それくらいにしか思わなかったのです。

 おばあちゃんは、重度の糖尿病でした。
 それでも、ずっと笑顔を絶やさない人。
 頭を撫でながら「この甘い匂いは『糖尿病』の症状なんだよ」と言われていた事を、思い出せなかった。

 何かを飲んでいたくて。
 何かを食べていたくて。
 飢えに飢えを重ねていたのに、脳は、双極性障害の激鬱に耐える事で精一杯だったのです。

 あの時、運動が少しでも出来れば違かったかな。とか。
 あの時、おばあちゃんの家の匂いの理由を思い出せれば違ったのにな。とか。

 そんなことを考えるいとまは毛頭すらも無かったです。

 ただ、双極性障害の『希死念慮』と戦う事で精一杯だったから。

 
 それから。暑さが引いてきた11月の話。
 運命を左右する薬が処方されました。
 その薬には、禁忌『糖尿病』症状『糖尿病性ケトアシドーシス』と明確にかかれていました。
 わたくしには「そうなのね」程度の認識しかありませんでした。

 異常だった過食と多飲の症状は、静かに鳴りを潜めていったのです。

 でも、遅かったのです。
 内科では、喘息の検査しかしていなかった。

 異常に気付いたのは、精神科で行っている血液検査でした。
 
『♪~~~♪』
 土曜日だというのに、けたたましくなる着信。
 眠気で起きていられなかったわたくしは、その着信に出られなかったのです。
 だから、起きてすぐさま掛け直したけれど、先生は出ない。
 これが、日曜日も続きました。

 そして月曜日。
 精神科の先生は「血液検査の結果をもって、直ぐに内科へ行きなさい」と口にしました。
「明日でもいいですか?」
「いや、今すぐ行くんだよ」

 説明も何もなかった。ただ、異常な血液検査の結果が、現実から頭を遠のかせていきました。

「ああ、お夕飯。食べるの遅くなるわね。また素麺かな……」

 ボーッとした頭のまま、その足で内科へ。
 17時を回っていて、辺りは暗かった。

 診察待ちの患者さんが、5、6名は座っていたのを覚えていますが、この時も異常でした。

 飛び入り診察だったのに、繰り上がり診察で、6人の方々を押し退けて、直ぐに診察に入りました。
 
「間違いなく糖尿病です。それも、危険な状態です」

 これを聞いた時、じゃあ治療をお願いします。そう言おうとしたのに。

「正直、ウチの病院では手の尽くしようがありません。今すぐ大学病院の紹介状書きますので行ってください」
「……時間的に外来は閉まってますよね?」
「必ず!必ず明日の朝イチで行ってください!」
「分かりました」

 帰り際。
「糖尿病か……インスリン注射……か」
 でも、なら。
 帰りに焼き鳥を買って帰りました。
「食べるのが億劫だけど、明日の為に食べておこう」

 次の日、病院の紹介状をもって大学病院を訪れました。
 朝イチで向かい、無事着いたのが安心したのを覚えています。
 
 でも、待っていたのは、大学病院の医師による説得でした。 
 

 診察室に入ったのも、なんと1番目。
 今なら、如何に緊急だったのかが、理解出来ます。
 でも当時のわたくしには、常に脳内を支配している『希死念慮』の方が問題だったのです。

「広臣さん、よろしくお願いします。担当医の〇〇です」

 医師と挨拶し、いざ診療開始です。

「糖尿病と今まで言われた事は?」
「いえ初めてです。母方の祖母が糖尿病を患っていました」

 こんな感じでヒアリングが続く。

「年末なので、お年始の準備もあると思うので、年明けに入院という形を取りましょう」
「はい、それなら助かります。届く予定の荷物もあったりするので……」
「では、血液検査をして、それ次第で予定を立てましょう」

 わたくしは内心ホッとした。ホッとするしか無かったのです。

 血液検査をして、結果を待つ。一時間ほど経った頃、猛烈な眠気が襲う。
「血液検査で、血を採られたし、眠くもなるでしょう……」

 船をこぎながら待合室で待つ。
 すると、「広臣さーん」と呼ばれた。

「すみません最後にこちらでケトン値測りましょう」
「……? はい、お願いします」

 そうして処置室へと向かうと、「指をバチンとしますね」と、指先に小さな穴を開けられる。
 これ自体はあまり痛くは無い。

 だが、検査をしていた看護師さんの顔色が変わった。
「もう一度、バチンとしますね」
「はい、どうぞ……」
 バチン。血液検査をすると、バタバタバタバタと処置室を出て廊下へと消えていった。

 指先の血を脱脂綿でぬぐいながら。考えていることは、音楽聴きたいなぁ、でした。
 LDHが好きな人は知ってるであろう『HiGH&LOW』のオリジナルソング達。

 とても大好きで、映画館で一日に三回も観たなぁ、など考えていた。

 そして帰ってきた看護師さんに言われた第一声。
「処置室の奥で点滴しましょう。まず、極度の脱水症状です」
 わたくしの脳内は『???』です。おかしい水量飲んでいるのに、脱水症状。

 でも、問題はこの後でした。
 脱水症状が緩和され始めたら、目眩が酷くなってきたのです。

 医師一人が現れ、宣告します。
「このまま緊急入院してください」
「あ、なら一度帰って繋がる携帯電話取ってきていいですか?」
「同意できかねます」
「市役所にも連絡入れないと。入院するって」
「それはこちらでやります」
「帰らせてください。大丈夫です。まだ午前中ですし、往復出来ます」
「なら、ちょっと待っててくださいね」

 医師は足早に去っていく。
 脳内は音楽聴きたい、でいっぱいでした。
 理由は「希死念慮」が強いから、好きな音楽で満たされたかったのです。

 でも、朝急いで出掛けたから、WALKMANを忘れていた。WALKMANが無いまま入院なんて、死んだ方がマシだとさえ思う程に、音楽に飢えていた。

 そして、戻ってきた医師は、3人。
 増えている。
 それもイケメン3人。
 何の説得かな、と思ったのは言うまでもないですね。

医者1「広臣さん、何で帰る気ですか」
医者2「徒歩じゃないですよね?」
「バスです」
医者3「今帰るとバスのなかで倒れちゃう可能性が高いんですよ」
「いや、今朝も何とかなったんで往復ぐらいなら」
医者1「確実に悪くなってるのね。精神科のお薬も見直さなきゃ行けないの」
「それは精神科の主治医にも連絡しなきゃあですね」

医者2「それはわたし達病院でやりますから」
「両親への連絡は……」
医者1「それは先程診察された〇〇が終わらせてますから」
「でも音楽く聞けないと困るというか」
医者3「WiFiあるからYoutube見れますからね」
「イヤホンがなくて……」
医者2「病室備え付けのテレビのイヤホン使えますから」
(荷物は諦めるしかないか……限定品だったのに)

 それより、玄関の鍵が開けっ放しという問題があったのですが、WALKMANが残ってればそれでいいと思う事にしました。
 当時のわたくしにとって、自宅は居心地の悪い空間でした。安心出来なかったんですよね。ろくな家財道具を置いていなかったので「盗まれていたら被害届出せばいいか」程度の認識でした。
 結果、家の中は誰も侵入した形跡はなく、無事だったのです。

 心配事が無くなった途端。身体に水分が行き渡ったからか、具合の悪さが一気に出てきました。
「看護師さん、わたくし。動けないかもしれないです」
「そりゃそうだよ、こんな数値叩き出して……死んでてもおかしくないんだから」

 そう言われて医者4人を見ると、「大丈夫です。絶対に助けますから」と言われていよいよ恐怖を覚えたのを覚えています。

 そして、次に言われたのは、手術する、という現実。点滴用の管を直接心臓まで通すという結構大掛かりな手術でした。

 泣き出したくなり、猛烈に逃げたくなった時、心の底にある『生きたい』という強い気持ちの存在に気づき、希死念慮に勝てているという実感が湧いたのです。

 が。
 わたくしはどこまでも作家という生き物なのである。
 そのカテーテルを入れる手術をICPUの一角で施術されたのだ。

 その時のカテーテルが心臓に達し、ザワザワする瞬間に思わず笑顔を浮かべていた。今も時々あのザワザワする感覚を思い出しては、手に汗を握る。
 そう。これはネタになる!と思った。特に心臓にカテーテルをぶち込むなんて、なかなか経験しないと悟ったのだから。
 そう、創作馬鹿なのです。

 心臓までカテーテルを通す。怖くないと行ったら嘘になります。怖かった。でも、施術する医者を信じたのだから、見守る責務がある、と思ったのです。

 そして、手術は成功。すると、そのカテーテルは大量の点滴を繋ぐ関所となるのです。
 ICPUに搬送されたわたくしは、最高で、同時に16袋の点滴に繋がれる事となりました。

 トイレに行くにも移動は車椅子。
 点滴を吊るす棒は二つ必要で。尿道カテーテルを繋ぐかという話が出ましたが、断固として拒否しました。

 たまたま死にかけて、死ぬ前に気付いた。でも、自分の力で排便出来るのに、医療に頼るのは、おかしいと感じました。主治医の先生には褒められましたが、治す気力が無くなる、と感じたんですよね。

 内分泌科(糖尿病系の内科)の病室に移るまで、1日半。集中治療室で対応して頂きました。

 でも。ここまで死にかけると、甘いものへの拒絶反応が出ました。

 糖尿病患者特有の『甘いもの食べたい』は殆ど現れなくなりました。甘いものを食べると、嘔吐反応が出るようになったのです。

 甘いものが許されるのは、自然な甘み。フルーツを求めるようになった。

 病院食にも驚いたのです。
 少し足りない程度ではあったけど、「こんなに食べていいんだ」と思ったのよく覚えているのです。

 理由は、糖尿病食は味気ないものだと思っていた。
 そんなことは無かった。
 ただ、甘い物の制限を受けた。コーヒー牛乳をあまり飲めなくて。
 ブラックコーヒーのみになった。

 それが次の地獄への始まりでした。

 糖質制限をひたすら考えるようになりました。
 でも、病院で体調を管理されている時は、薬の副作用も少なかったように感じます。

 飲めなかった珈琲をブラックで無理やり飲むことに慣れました。
 退院してから。水分はブラックコーヒーと水だけの生活を徹底しました。
 ゼロか百かになりがちなわたくしは、ブラックコーヒーをこれでもかと飲み始めてしまったのです。

 喉が渇く。
 コーヒーを飲む。
 更に水を飲む。
 喉が渇く。
 コーヒーを飲む。
 更に水を飲む。

 今思えば、おかしいことに気付きます。
 でも、辞められなかった。
  
 カフェイン中毒を起こしていた事に気付きませんでした。 
 そして、カフェイン中毒が原因の可能性が高いのですが、飲んでいた睡眠薬があまり効かなくなりました。そして、眠れないことがストレスとなるのです。

 気晴らしにコーヒーを飲む。
 眠れない。
 ストレス。
 気晴らしにコーヒーを飲む。
 眠れない。
 更にストレスに。
  
 そうして、気付いた時、わたくしは異常行動に走ります。

 頭痛と希死念慮が襲って来た不安で、痛み止めを飲むと頭痛が治まらず、鎮痛剤を飲んだことを忘れて更に飲む、を繰り返し沢山の鎮痛剤を飲み干してしまう重大な出来事に繋がりました。
 一瞬、我に返って薬を飲んだあとの残骸を見て、初めて恐怖を覚えました。

 もちろん嘔吐しましたが、救急車案件です。

 今思い出しても吐き気を催すトラウマでもあります。
 病院で、何度も『死なないと約束してください』と約束させられました。
 希死念慮が酷いことを告げると、拘束具を付けられました。一切暴れませんでしたが。
  
 その時は、薬物中毒とカフェイン中毒での入院でした。
 食事が出るわけもなく、ただ、WALKMANから聴こえる音楽が、命を繋いでいました。

 そして、一日で退院出来たのですが、通院日まで時間が空いてしまったのが命取りでした。

 希死念慮が酷すぎて、行動しそうになった時。
 わたくしは必死の思いで警察に電話をしました。今にも死にそうだったから。拘置所にでも何でも入れて、助けて欲しかった。
 前に相談した警察官は、確かに言ったのです。『何かあった時は、何でも相談してほしい』と。
 なのに、対応した警察官に言われたのは『あなたは警察に何を求めているんですか?』でした。

 ぷつん。
 何か糸が切れたわたくしは、話途中で電話を切ると、またオーバードーズしました。
 5分もしないうちに駆け付けてきた警察官は、わたくしの状態を確認しました。その間に薬を大量服用した事情を知ると、即救急車案件になりました。
  
 わたくしは、主治医の病院へ搬送して欲しかった。
 でも、世の中そう上手くは行かない。
 また大病院へ逆戻り。
 大量の炭と下剤を飲まされ、水を飲むのも禁止され。

 一人での帰宅許可は降りず、はるばる福島から両親の元へ緊急帰宅する事になりました。
  
 福島から来た、歳をとった親の顔を見ても、希死念慮は治まらず。服薬する恐怖が今度は襲って来ました。
 
 関東の家を引き払って。
 生活保護を打ち切って、自由が見えた時。漸く生きている実感が湧いて来ました。

 それは、一年前、noteのアカウントを作った頃のお話。劇的に良くなったのは、ØMIさまの音楽を聴くようになってから。
 命を支えてくれたのは、THE RAMPAGE from EXILE TRIBE。
 生きる活力をくれたのは、三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE。

 わたくしには、睡眠は必須なのだ。
 眠い時には、しっかり寝ること。
 そして、音楽がなければ精神状態が悪くなることも分かったのです。

 生きたいなんて思っていませんでした。
 でも、人は何かのきっかけで、命を落とすことがある。
 
 今なら言える。
 わたくしは『生きたい』と。 
 

広臣 柘榴


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広臣 柘榴│日常・エッセイ垢 応援のチップは『小説の資料購入』『イラストの資料集購入』に使わせて頂きます。創作で恩返しをしていくので、応援よろしくお願いします。