【封印】なぜ手塚治虫は『マグマ大使』を封印したのか?大ヒットが招いた手塚バブル崩壊の真相に迫る!
日本の男の子なら誰もが通る通過儀礼、特撮ヒーロー!
『ウルトラマン』や『仮面ライダー』など巨大産業の礎となった、
記念すべき国産カラー特撮第1号をご存じでしょうか?
それこそが、
今回ご紹介する手塚治虫原作の『マグマ大使』です
しかしこの作品、華々しい栄光の裏で、完璧主義すぎた手塚治虫が自滅し、
大スランプへと突き落とされる「ターニングポイント」となった曰く付きの作品でもありました……。
今回は、知られざる誕生の歴史と、
巨匠のしっちゃかめっちゃかな裏話を一挙にご紹介します
特撮にあるまじき濃厚ストーリー
本作は1965年から「少年画報」で連載が始まりました。
ストーリーは、地球の創造主アースに造られたロケット人間「マグマ大使」が、地球侵略を企む宇宙人「ゴア」と戦うSF活劇です。

「どうせ子供向けの特撮原作でしょ?」と高飛車に構えていると、
足元をスコーンとすくわれますよ。
舐めたらあきません。
本作のストーリーは、大人の鑑賞にも耐えうる圧倒的な濃厚さを誇ります。
TV特撮版の印象が強すぎるため意外に知られていませんが、原作漫画は特撮放映の1年前から連載がスタートしており瞬く間に人気が爆発しています。
冒頭から主人公の家ごと恐竜時代へタイムスリップするなど、
とても特撮の原作とは思えない怒涛の展開が描かれます。
なかでも圧巻なのが、
地球人がいつの間にか“偽物”にすり替わっていく不気味さを描いた
「人間モドキ」編。
アーサー・コナン・ドイルの『ロスト・ワールド』や、ジャック・フィニィの『盗まれた街』へのオマージュが散りばめられた、まさに「手塚節」全開の傑作。
ちなみにジャック・フィニィの『盗まれた街』といえば、
SF小説の古典中の古典。
『ボディ・スナッチャーズ』や『インベージョン』といった映画タイトルで幾度もハリウッドリメイクされているため、ピンとくる方も多いのではないでしょうか。
正体不明の存在に侵略されていくサスペンスフルな恐怖
この手のSF展開は、手塚先生が最も得意とし、愛してやまなかったテーマで『グランドール』『赤の他人』『7日の恐怖』『人間牧場』など、先生の作品群のそこかしこにその遺伝子が息づいています。
TV特撮への大きなカベ
こうした背景もあり、『マグマ大使』は連載直後から爆発的な人気を誇り、特撮化される前から大きな話題を呼んでいました。
原作漫画の爆発的なヒットを受け、
当然のように持ち上がった『マグマ大使』の映像化企画。
しかしそこには手塚治虫の実写NGという大きな壁が存在していました。
理由は7年前の出来事。
実写版『鉄腕アトム』のあまりにチープな特撮映像に強いショックを受け、「二度と実写化はさせない」と心に決めていたんですね。

円谷プロの『ウルトラQ』が大ヒットした際も、珍しく対抗意識を燃やさず沈黙を貫いていたほどです。
そんな折、旧知の仲であったピー・プロダクションの「うしおそうじ」氏から『マグマ大使』映像化の打診が入ります。
アニメ化だと思って当初は快諾した手塚先生ですが、
それが「特撮」だと知るや一転。
「うしおさん、実写は困ります。それなら許諾できません。
この話はなかったことに」
と断っています。
それほどまでにトラウマとなっていた実写化ですが、うしおさんの情熱と確かな技術的裏付けに押し切られる形で、最終的に特撮化を承諾。
「あの手塚治虫が実写化を許可した」というニュースは業界内に大きな衝撃を与えました。手塚先生がいかに、うしお氏の実力を買っていたか、全幅の信頼を寄せていたかが窺えるエピソードですね。
2週間早い日本初の金字塔
許可が下りてからの展開は迅速でした。
1966年7月4日、ついに実写特撮ドラマ『マグマ大使』の放送がスタート。
あの『ウルトラマン』が放映を開始する、わずか2週間前のことです。
この「たった2週間」の差により、
『マグマ大使』は日本初のカラー特撮テレビ番組という歴史的称号を手にすることになります。
放映が始まると、かつての実写版『鉄腕アトム』の不調を完全に吹き飛ばす勢いで視聴率は急上昇。
怪獣ファン・漫画ファンの心を掴む大ヒット作となりました。
これはストーリーもさることながら、
やはり見た目のカッコ良さが抜群でしたね。

特にピッカピカに光るロケットはなんなんでしょ…。
最高に心トキめくデザインでしたよね。
光ってるってだけで科学の最先端を想起させるインパクトがあって
子供たちの憧れを抱くには十分な佇まいでした。
このあたりはマンガ家であり映像作家でもある
うしおさんの技量が爆発したと言えると思います。
その後、オモチャも発売されてめちゃくちゃ売れましたし
スポンサーも「ロッテ」で「ロッテのマグマ大使ガム」が爆売れします。
とにかくクロスマーケティングが最高に噛み合った「マグマ大使」は大ヒットし子供たちを虜にするわけであります。

実は原作のみだった?
そんなスーパーヒットをかました「マグマ大使」でありますが
実は当初、手塚先生があまりにも多忙なため
手塚先生は原案のみを担当する作品でありました。
実際の作画は虫プロのマンガ部が担当するはずだったんです。
当時の手塚先生といえば、まさに人気の絶頂期。
国産TVアニメの先駆け『鉄腕アトム』に続き、
日本初のカラーアニメ『ジャングル大帝』も大ヒット。
描くものすべてが爆発的に売れる超人気作家であり、
どの漫画雑誌も「手塚作品」を喉から手が出るほど求めていた時代です。
本来であれば、
スケジュール的に『マグマ大使』の新連載を立ち上げる余裕など皆無です。
もう一度言いますが皆無です。
水一滴入る余地のないパンパンの状態です。
しかし、ここで発動してしまうのが手塚治虫という男の“完璧主義”(笑)。
他の作家に任せるくらいなら自分が描く!
と黙っていられなくなり、自ら執筆を決意します。
やっぱりかい!
はい。皆さんのお察しのとおり完璧主義が発動して黙っていられなくなり、ついに自分で描いちゃうんですね(笑)。
こうして始まった『マグマ大使』は、第1回から大反響を呼んで大ヒット。
結果として連載第1回から凄まじい反響を呼び、
さらに実写特撮ドラマまで社会現象級の大成功を収めるのですから、
手塚先生の誇らしげな笑顔が目に浮かびますよね。
しかしそんな「超絶オーバーワーク」が長続きするわけもありません。
案の定、過密すぎるスケジュールはほどなく破綻。
連載後半になるとアシスタントによる代筆が激増。
最終エピソードである「サイクロップス編」に至っては、もはや手塚先生本人はほぼ関与していないという前代未聞の事態に。
全集のあとがきにもはっきり
「ボクの絵ではありません」って書いてありますからね(笑)
「自分の絵ではない」という理由から、最終回含めた「サイクロップス編」を単行本を未収録として封印。のちに単行本収録を自ら拒否することになる伝説のエピソードを残し、この多忙を極めた連載は幕を閉じるのでした。
そして破滅へ
手塚先生って、作品の成否に関わらず「すべてを自分の手で手掛けたい」という業を抱えた漫画家なんですよね。
どれほどスケジュールが破綻していようが、やりたくて堪らない。
その執念こそが手塚治虫の凄みであり、
同時に破滅と紙一重の性分なんですよね。
案の定と言うべきか、トップに君臨していた手塚治虫の栄華は、
まさにこの時期から崩壊の兆しを見せ始めます。
連載中には漫画界を揺るがした「W3(ワンダースリー)事件」が勃発。
テレビ特撮では『ウルトラマン』に爆発的なブームを奪われ、
漫画界には「劇画」や「スポ根」の波が押し寄せます。
ここから手塚先生は長き大スランプへと足を踏み入れ、やがて虫プロ、虫プロ商事の倒産という人生のどん底へと転落していきます。
あまりの多忙さから「最後まで丁寧な仕事を残せなかった」という意味で、この『マグマ大使』は手塚治虫の栄華崩壊を象徴する、
重要なターニングポイントであったと言わざるを得ません。
まさに栄枯盛衰。
この絶頂期において、のちに倒産まで追い込まれるなんて、当時誰が想像できたでしょうか。まさに「手塚バブル崩壊の引き金」となった作品といえます。
特撮史における金字塔でありながら、手塚先生自身が本作を語る言葉は少なく、どこか他人事のようでもありました。多くの代筆が入り、自分の手を離れてしまったことへの不本意な思いがあったのかもしれません。
しかしそれは、手塚先生がいかに自身の作品に誠実であったかの裏返しでもあります。
天才の底知れぬ創作意欲と、その光と影。
それらが濃縮された作品こそが
『マグマ大使』であったのではないでしょうか。
最後までご視聴くださりありがとうございました。
ではでは
