罪と罰と外国語

ドストエフスキー『罪と罰』を昨日読み終えた。この作品を最初に読んだのは大学を入る直前で、これがきっかけで第二外国語はロシア語を選んだ。正直原書を読むようになるまでロシア語を勉強する気はなかったが、成り行きでロシアに留学することとなり、一時期はロシア文学を自習用に読んでいたこともあった。それでもドストエフスキーの『罪と罰』には最後まで手を出さなかった。大学卒業後はロシア語を続ける理由がなくなったので、ロシア語に触れなくなった。それが7年くらい前。読了後、久しぶりに原書をぱらぱらとめくって見たが、やはりブランクがあるので読めないなと感じた。たとえ挑戦したとしても、義務的な辞書引きに終始し、物語の筋よりも文法構造の方が気にかかるような読書になってしまうだろう。もちろん、語学のための読書ならそれでもいいわけだが、特別思い入れのある本ほど、味わうように読みたいという願望が強いので、結局いつまでも読もうとしないのかもしれない。
 私が外国語を勉強するきっかけは読書であることが多い。「何か翻訳作品を読む→原書をチェックする→その作品が原語で読めたらなあと思う」というサイクルを気に入った海外文学を読むたびに繰り返している。『罪と罰』は受験勉強を終えて間もない頃に読んだために一層その思いが強いのかもしれない。今回、改めてこの作品を読んでロシア語をやり直して原書にトライしたいと思った。外国語の勉強としてではなく、純粋に読書として洋書を読めるようになるために、どのようにしてロシア語の勉強を再開したらいいか悩んでいる。実は最近、同じような理由からポルトガル語を再開し、こちらは語学のリスキリングとしてはけっこう上手くいっているので、同じようにロシア語もできないかなあ、などと考えている。
かつて勉強していた外国語をやり直すメソッドなり方法論なりを自分の中で確立したい。私の場合、語学を続ける上でのモチベーションキラーのひとつが「覚えてもすぐ忘れてしまう」という囁きだ。「忘れてもまたやり直せばいいんだ」という気持ちになれば、「忘れてしまう、喪失してしまう、一日でも休んだら後退する」という焦りにも似た恐怖心へのワクチンになる。

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