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【日本に光を灯した冒険宣教師】『聖フランシスコ・ザビエル像』。教科書でおなじみの名画に隠された、不屈の生涯と信仰のドラマなのだ!

みんな、こんにちはなのだ!「ずんだもん美術館」へようこそなのだ!

今回は、日本の歴史を語る上で絶対に外せない超有名人、フランシスコ・ザビエルの激動の生涯を紹介するのだ! 誰もが学校の社会科の教科書で一度は見ている、あのあまりにも有名な肖像画とともに解説していくのだ。

まずは、おなじみのこの絵をじっくり見てほしいのだ。

『フランシスコ・ザビエル肖像』

天を見上げるザビエルと、胸元で激しく燃え盛る情熱のハート。 実はこの絵、ザビエルが亡くなったずっとあとに、江戸時代初期の日本人のキリシタン絵師によって命がけで描かれた、重要文化財の超貴重な作品なのだね。

今回はこの絵に隠された秘密に触れつつ、世界の果てを目指した彼のノンフィクションのドラマを紐解いていくのだ!


貴族のイケメンエリートから「神の戦士」へ

フランシスコ・ザビエルは1506年、現在のスペインにあるナバラ王国のザビエル城で、名門貴族の末っ子として生まれたのだ。

頭がめちゃくちゃ良くて、19歳のときにフランスのパリ大学へ留学。当時はスポーツ万能のイケメンで、将来を約束された超絶エリートだったのだね。 そんな彼の運命をガラリと変えたのが、大学のルームメイトだったイグナチオ・デ・ロヨラとの出会いだったのだ。

カトリック教会の修道会であるイエズス会の創立者の1人にして初代総長
イグナチオ・デ・ロヨラ

ロヨラから「人が全世界を儲けても、自分の命を損じたら何になるのか」と熱く説かれ、魂を揺さぶられたザビエルは、世俗の出世や財産をぜんぶ捨てて宗教の道へ進むことを決意。彼らは16世紀の宗教改革の嵐の中、カトリックの立て直しを目指して少数精鋭の組織「イエズス会」を結成したのだね。


奇跡の出会いと、世界の果て「日本」への大冒険

イエズス会の宣教師となったザビエルは、ポルトガル王の要請を受けてアジアへの命がけの布教旅に出発することになるのだ。 インドのゴア、マレーシアのマラッカと、当時は病気や難破でいつ死んでもおかしくない過酷な船旅を続けながら、各地で熱心に教えを広めていったのだね。

『国王ジョアン3世に別れを告げるフランシスコ・ザビエル』
「ゴアで説教する聖フランシスコ・ザビエル」

そしてマラッカに滞在していたとき、彼の運命、そして日本の歴史を大きく変える運命の出会いがあったのだ。 それが、日本人のアンジロー(弥次郎)という人物なのだ!

アンジローとザビエル

アンジローから日本の文化や人々の性質について聞いたザビエルは、「日本人はとても理性的で、知識欲が旺盛だ。この国ならきっと神の教えが広まる!」と大感動。未知の東洋の果てへと向かう覚悟を決めたのだ。 そして天文18年(1549年)、ついにザビエルは鹿児島に上陸! これが日本へのキリスト教伝来の歴史的瞬間なのだね。


日本での苦闘と、叶わなかった中国への夢

日本での布教は、決して簡単なものではなかったのだ。 言葉の壁はもちろんのこと、仏教の僧侶たちからの激しい反発や論戦、さらには京の都にのぼったものの、戦国時代の戦火で荒れ果てた街並みにショックを受けたりもしたのだね。

それでもザビエルは、戦国大名たちに気に入られるために、時計やオルゴール、メガネといった珍しいヨーロッパの文物をプレゼントする見事な外交術を発揮! 山口や平戸、豊後(大分)などで着実に信者を増やしていったのだ。

日本人の知性の高さに改めて感銘を受けたザビエルは、「日本に影響を与えているのは、その文化の源流である『中国(明)』だ。まず中国にキリスト教を広めなければ、日本を真に動かすことはできない」と考え、次の目的地を中国に定めたのだ。 しかし、当時の中国は厳しい鎖国状態。上陸のチャンスを待つ中、1552年、広東省沖にある上川島(じょうせんとう)という小さな島で、熱病のために46歳で息を引き取ったのだ。志半ばでの、あまりにも早すぎる最期だったのだね。


肖像画の隅々まで!じっくり観察してみるのだ

それでは、もう一度、この肖像画をじっくりと観察して、ザビエルの本当の姿と絵に込められた謎を解き明かすのだ!

  • 絵ではハゲているけれど、実際はフサフサだった!?:
    ザビエルといえば「頭のてっぺんが丸くハゲている(トンスラ)」というイメージが強く、この絵でもばっちりそう描かれているのだよね。でも実は、これこそが後世の日本の絵師の「想像」が生んだ勘違いなのだ! ザビエルが所属していたイエズス会には、頭を丸く剃り上げる習慣は一切なかったのだね。つまり、生前のリアルなザビエルは頭のてっぺんまで髪の毛が生えていたのだ!日本人の絵師が、トンスラ頭が描かれた「別の宗派」の西洋版画を参考にしたため、「西洋の高名なお坊さんはみんなハゲているのだな!」と思い込んで想像で描いてしまったと言われているのだよ。

  • 胸から飛び出す情熱のハートとラテン語:
    ザビエルが両手を胸の前で交差し、そこから真っ赤に燃え上がる「ハート(心臓)」が描かれているのだ。これは神への燃えるような愛(聖心)を表しているのだね。さらにその右上にはキリストの磔刑像があり、彼の口元には「Satis est, Domine, satis est(主よ、十分です、もう十分です)」という、あまりの神の恵みに感極まったセリフがラテン語で書かれているのだ。

  • 下部に書かれた漢字と、日本人の絵師
     
    画面の下の方には、不思議な文字や、落款(はんこ)が押されているのが見えるのだね。この絵はザビエルの死後、江戸時代にキリスト教が厳しく弾圧される中で、隠れキリシタンとなった元・狩野派の日本人絵師(ペドロ・カノなど)が、海外の銅版画を参考に見よう見まねで命がけで描いたものとされているのだ。


🎨 「ずんだもん美術館」でさらなる名画の深淵へ

エリートの地位を捨て、世界の果てである日本にまでやってきて激動の生涯を駆け抜けたフランシスコ・ザビエル。 彼が日本に遺した一歩は、単なる宗教の伝来だけでなく、ヨーロッパの最先端の科学や文化を日本にもたらす大きな架け橋となったのだね。

激しい弾圧の中で、日本の絵師が命をかけてこのザビエルの姿をキャンバスに描き写し、現代まで守り抜いたというバックストーリーを知ると、この絵が持つ重みが一気に変わってくる気がしないかな?

これからも巨匠たちのこだわりと歴史の裏側に隠されたドラマを分かりやすく届けていくから、次回の作品もお楽しみに!

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