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今日も1日に約4000億通のEメールが飛び交っている - なぜ誰も読まないメールが増え続けるのか

起床とともに、スマホを眺める。

ロック画面には、たいてい何かが溜まっている。ECサイトの発送通知、航空券の予約確認、大学や会社からの一斉連絡、SaaSの利用規約変更、セキュリティ警告、ニュースレター、割引クーポン、二要素認証のコード、パスワードリセットのリンク、どこかのサービスからの「あなたへのおすすめ」。

問題は、それらの多くを私たちが読まないことだ。少なくとも、手紙を読むようには読まない。件名だけを見て削除する。通知だけ確認する。検索であとから呼び出す。あるいは未読のまま、受信箱の底に沈める。

にもかかわらず、メールは減っていない。むしろ増えている。

Radicati Groupなどの推計によれば、2026年の世界では、1日に約3925億通のメールが送受信されている。2024年の約3616億通から増え、2028年には約4242億通に達すると見込まれている。利用者数も世界で45億人を超え、インターネットを使うこととメールアドレスを持つことは、広い範囲で重なり合っている。

これは少し奇妙な事態である。LINE、WhatsApp、Messenger、Slack、Microsoft Teams、Discordなど、会話のための道具はこれほど増えた。私たちは友人にメールを送らなくなった。職場の雑談も、プロジェクトの細かな調整も、チャットに移った。若い世代にとって、メールはしばしば「学校や会社から来るもの」であって、「親しい誰かと話すもの」ではない。

それなのに、メールは増えている。

ここに、2026年のテクノロジーを考えるための大きな入口がある。メールは、死んだのではない。かといって、かつてと同じ意味で生きているわけでもない。メールは、人間同士の会話のメディアであることを少しずつ手放し、社会のより深い層へ沈み込んだ。言い換えれば、メールはメディアとしての華やかさを失うことで、インフラになったのである。

「開封率」は、もう人間の注意を測っていない

まず、メールがどれくらい「読まれている」のかを考えてみたい。

かつてメールマーケティングでは、開封率が重要な指標だった。メール本文の中に小さな画像、いわゆるトラッキングピクセルを埋め込み、それが読み込まれたら「開封」と記録する。単純で、便利で、長いあいだそれなりに使えた。

しかし、この指標は現在、かなり信頼しにくくなっている。

大きな転機は、2021年にAppleが導入したMail Privacy Protectionだった。Apple Mailでは、受信者が実際にメールを開く前に、Apple側のサーバーが画像などのリモートコンテンツを先読みする。その結果、本人が読んでいなくても、トラッキングピクセルが読み込まれ、「開封」と記録されることがある。

もちろん、これはプライバシー保護のための仕組みであり、悪いことではない。だが、メールを送る側から見れば、「開封」という数字が、人間の注意ではなく、機械の挙動を大量に含むようになったことを意味する。開封率が40%を超えていても、その数字がどれほど実際の読書行為を反映しているかは、もはや簡単にはわからない。クリック率や返信率のように、より明確な行動を伴う指標はずっと低い。

さらに示唆的なのが、Hostingerが2026年1月に自社インフラを通過した10億通のメールを分析したデータである。これは全世界を代表する標本ではないので慎重に扱う必要があるが、それでも現代のメール環境を考えるうえで興味深い。分析によれば、全体の56.1%はスパムやウイルスなどのフィルターで受信箱に届く前に遮断されていた。そして届いたメールの中でも、個人メールサービスや低頻度送信者など、人間が実際に書いた可能性が高いカテゴリーは全体の一部にとどまる。すべてのメールトラフィックに対して見ると、人間が書いた可能性の高いメールは約13%ほどだとされる。

つまり、現在のメールの多くは、人間が人間に宛てて書いた文章ではない。機械、企業、制度、マーケティングシステム、認証システム、犯罪的な自動送信網が、人間の受信箱をめがけて信号を投げ続けている。

メールは、もはや単なる「手紙」ではない。それは、人間の注意を測定しにくくなった、巨大な自動通知システムである。

かつてメールは、感情のメディアだった

この状況の異様さを理解するには、少しだけ時間を戻す必要がある。

1990年代後半から2000年代初頭、日本では携帯電話のメールが、きわめて生々しいコミュニケーションのメディアだった。iモード、キャリアメール、絵文字、顔文字、デコメール、写メ。そこで問題になっていたのは、予約確認でもパスワードリセットでもない。友情、恋愛、親密性、孤独、返信の遅れ、学校内の人間関係だった。

伊藤瑞子、松田美佐、岡部大介らが関わった日本の携帯電話研究は、この時代の空気をよく伝えている。携帯電話は、家の電話とも、手紙とも違って、個人の身体にくっついたメディアだった。どこにいても、親しい相手からの短い言葉が届く。メールは情報伝達である以上に、「つながっている」ことを確認する儀式でもあった。

だからこそ、返信速度の規範が問題になった。すぐ返さなければならない。返事が遅いと、相手を軽く扱っているように見える。既読表示が一般化する前から、返信の遅延は小さな社会的事件だった。

この時代、メールは熱かった。メールを打つこと、待つこと、返すことが、感情のドラマを帯びていた。「メールが来た」というだけで、世界が少し動いた。

ところが、2020年代になると、学術研究におけるメールの位置づけも変わっていく。Eメールを単独の「新しいメディア」として論じる研究は目立たなくなり、代わりに、メール過負荷、通知疲れ、労働時間外の連絡、テクノストレス、AIによる返信支援、組織ネットワーク分析といった領域へ吸収されていく。

Journal of Computer-Mediated Communicationが2020年の特集号で示したように、1990年代には「コンピュータ媒介コミュニケーションとは何か」が新しい問いだった。しかし、四半世紀が過ぎると、むしろ「コンピュータに媒介されていないコミュニケーションとは何か」を探すほうが難しくなる。媒介は例外ではなく、環境になった。

メール研究の後退は、メールの重要性の低下だけを意味しない。むしろ、メールが社会の背景へ沈み込み、単独の対象として見えにくくなったことを示している。

目立つメディアは研究される。見えなくなったインフラは、別の問題の中に現れる。メールはいま、「メールについて」の研究ではなく、労働、注意、法制度、セキュリティ、AIについての研究のなかで生きている。

会話はチャットへ、メールは制度へ

では、メールは何になったのか。

ひとことで言えば、メールは「会話」から「制度」へ移動した。

友人との日常的なやりとりは、LINEやMessengerやWhatsAppに移った。職場内の細かなやりとりは、SlackやTeamsに移った。ゲームや趣味のコミュニティはDiscordに移った。そうしたサービスは、短いやりとり、即時反応、スタンプ、スレッド、絵文字、リアクション、状態表示に適している。

一方で、メールには別の役割が残った。

ECサイトで買い物をすると、注文確認メールが来る。飛行機を予約すると、旅程表がメールで届く。ホテルのバウチャーも、大学の公式連絡も、行政からの通知も、金融機関の取引明細も、たいていメールで届く。新しいSNSに登録するにも、クラウドサービスを使うにも、パスワードを忘れて復旧するにも、メールアドレスが必要になる。

メールは、相手と親しく話すための道具から、社会的手続きが完了したことを証明する電子的な控えへと変わった。あるいは、制度が人間へ到達するための通知経路になった。

この変化を「メールはまだ便利だから残っている」と説明してしまうと、少し浅い。検索できる、保存できる、非同期で送れる。もちろんそれは事実だ。しかし、より重要なのは、メールが便利だから選ばれているというより、社会の多くの手続きがすでにメールを前提に組まれているという点である。

私たちは、メールを選んでいるようでいて、メールが組み込まれた社会を生きている。

インフラは、壊れたときに姿を現す

ここで、インフラ研究の視点が効いてくる。

スーザン・リー・スターとカレン・ルーレーダーは、インフラを単なる「物」としてではなく、実践との関係で捉えた。重要なのは、「何がインフラか」ではなく、「いつ、誰にとって、それはインフラとして働くのか」という問いである。

彼女たちはインフラの特徴として、社会や技術の中に埋め込まれていること、ふだんは透明であること、広い範囲に届くこと、共同体の成員になる過程で当たり前のものとして学ばれること、標準を体現していること、既存の基盤の上に構築されること、そして壊れたときに初めて可視化されることを挙げた。

メールは、ほとんどこの条件に当てはまる。

メールアドレスは、学生や会社員になると自然に配られる。多くのWebサービスでIDの基盤になる。SMTPやIMAPやDNSやSPF/DKIM/DMARCといった規格を意識しなくても、私たちはメールを送受信できる。世界中の異なるドメイン、異なる会社、異なる端末のあいだで通じる。そして、メールサーバーが落ちたとき、認証メールが届かないとき、迷惑メール判定で重要な連絡が消えたとき、パスワードリセットのメールが受信箱に来ないとき、初めてその仕組みの存在を意識する。

インフラとは、便利なものではなく、失敗したときに世界を止めるものである。

2011年、フランスのIT企業Atosは、社内メールをなくす「ゼロメール」政策を掲げた。当時のCEOティエリー・ブルトンは、従業員が受け取る大量のメールの多くが不要であり、社内コミュニケーションを企業向けソーシャルネットワークへ移すと宣言した。実際、一定の削減には成功した。しかし、複数のケーススタディが示すように、メールを完全に取り除くことはできなかった。

これは象徴的な失敗である。単なる惰性で残っているだけなら、トップダウンの強い意志と予算で消せたはずだ。だが、メールは社内の会話だけではない。外部との連絡、契約、記録、アカウント、法的証跡、本人確認、組織をまたぐ相互運用性に絡みついている。

メールを業務から消すには、メールアプリを消すだけでは足りない。企業ルールを変更するだけでも届かない。社会の手続きそのものを設計し直さなければならないのだ。

古い技術は、新しい技術の下に潜る

ポール・N・エドワーズの『A Vast Machine』は、気候科学の本である。けれども、そこに描かれているインフラの考え方は、メールを考えるうえでも重要な補助線になる。

エドワーズは、私たちが「地球の気候」を知るのは、地球をそのまま直接見ているからではないと論じる。観測所、船舶、気球、衛星、標準時、通信網、データセンター、数値モデル、再解析、国際機関、IPCC。そうした巨大な知識インフラによって、はじめて「グローバルな気候」は知識として成立する。彼の言葉でいえば、気候科学はglobal knowledge infrastructureによって支えられている。

この発想をメールに移すなら、私たちが見ている「一通のメール」もまた、単独のメッセージではない。送信者、受信者、メールクライアント、OS、SMTPサーバー、DNS、ドメイン管理者、送信者認証、スパムフィルター、AI分類、通知システム、組織文化、返信規範、アーカイブ、法制度が、その都度つながって成立する出来事である。

エドワーズはまた、インフラは既存のinstalled base、つまりすでに広く配置された技術、制度、慣行の上に作られると考える。新しい技術は、白紙の上に登場するのではない。すでにあるシステムに接続し、その制約を引き受け、その上で動く。

メールは、このinstalled baseの典型である。

新しいSNSに登録するために、メールアドレスが必要になる。Slackを始めるにも、サブスクリプションを契約するにも、ECサイトで買い物するにも、本人確認やアカウント回復にはメールが使われる。新しいサービスは、メールを代替したように見えながら、実際にはメールの上に乗っている。

普通、メディア史は横に並べて語られる。新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、SNS。しかし、現在の情報環境はむしろ縦に積み重なっている。

SNSの下にメールがある。メールの下にSMTPやDNSがある。その下にTCP/IPがある。その下に通信網、データセンター、電力がある。異なる時代に生まれた技術が、同じ現在の中で積層している。

新しい技術は、古い技術を殺すだけではない。古い技術の一部の機能を奪い、古い技術を別の層へ押し込む。メールは、表層の会話をチャットに譲り渡すことで、下層の制度的通信へ移動した。

ここで、エドワーズのもう一つの概念が役に立つ。infrastructural inversion(インフラストラクチャル・インバージョン)である。ふだん背景に退いているインフラを、あえて前景化する。見えている画面ではなく、その画面を可能にしている標準、データ、装置、労働、制度を見る。

メールをインフラストラクチャル・インバージョンしてみると、受信箱の背後に広大な機械が見えてくる。メールは摩擦なく流れているように見えるが、実際には無数の摩擦がある。認証に失敗する。スパム判定に落ちる。送信ドメインの評判が悪化する。画像プリロードによって開封データが歪む。古い記録の意味を復元できない。届いたはずのメールが、人間の注意には届かない。

エドワーズが気候データについて語ったdata frictionは、メールにも別の形で現れる。データは、ただ流れるのではない。届く、読まれる、証拠になる、検索できる、信頼される。その一つひとつに摩擦がある。

サービスは消えるが、フォーマットは残る

では、なぜメールはここまで長生きしたのか。

理由の一つは、メールが特定企業の製品ではなく、フォーマットでありプロトコルだからである。

LINEはLINEヤフーのサービスであり、SlackはSalesforceのサービスであり、MessengerはMetaのサービスである。それらは企業の経営判断、利用規約、収益モデル、プラットフォーム戦略に依存している。もちろん強力で便利だが、その企業が仕様を変えれば、ユーザー体験も変わる。

これに対して、Eメールそのものは一企業の所有物ではない。Gmail、Outlook、Apple Mail、独自ドメインのメールサーバー、大学のメール、企業のメール。私たちが実際に触っているのはそれぞれの製品だが、その下にはSMTPやInternet Message Formatのような標準がある。

SMTPの基礎は1982年のRFC 821に遡る。2008年にはRFC 5321として整理され、現在もIETFのEmailcore Working Groupで、RFC 5321bisやRFC 5322bisとして改訂作業が続けられている。重要なのは、その作業が華やかな新機能の追加ではなく、既存仕様の矛盾や曖昧さを直し、互換性を壊さずに標準を保守する作業だということだ。

これは、技術史を考えるうえで重要である。私たちはイノベーションの物語が好きだ。新しいアプリ、新しいデバイス、新しいAI、新しいプラットフォーム。しかし、社会の大部分は、新しさではなく、保守によって動いている。スティーブン・J・ジャクソンの修繕研究や、リー・ビンセルとアンドリュー・ラッセルのメンテナンス研究が批判してきたのも、まさにこの新規性への偏りだった。

メールの歴史は、発明の歴史であると同時に、修繕の歴史である。初期SMTPには、なりすましを防ぐ仕組みがほとんどなかった。そこでSPF、DKIM、DMARCのような認証層が追加された。HTMLメール、添付ファイル、多言語文字、スパム対策、暗号化、企業ポリシー、大量送信者への要件。古い仕組みを壊さず、その上に何層も貼り足してきた。

この積層性こそが、メールの古さであり、同時に強さでもある。

アレクサンダー・ギャロウェイは『Protocol』で、分散化のあとにも制御は消えないと論じた。インターネットは、TCP/IPのような分散的な仕組みと、DNSのような階層的な仕組みが組み合わさっている。メールアドレスも同じだ。「@」の前はローカルな名前であり、「@」の後ろはDNSという階層的なドメイン管理に依存している。

だから、メールは単純に自由で分散的なメディアではない。プロトコルとしてはオープンで相互運用可能だが、経験としてはGmailやMicrosoft 365のような巨大プラットフォームに強く媒介されている。分散と集中、自由と制御、標準と企業サービスが、同じ一通のメールの中で同居している。

それでもなお、フォーマットとしてのメールは長生きする。サービスは消えることがある。会社は買収され、仕様は変わり、SNSは廃れる。しかし、標準化されたフォーマットやプロトコルは、製品より長く生きることがある。

Ccという化石、AIという未来

メールの画面には、過去がたくさん残っている。

To、Cc、Bcc、Subject、Inbox、Outbox、Draft、Attachment、Archive、Trash。

その多くは、郵便、紙の書類、オフィス机、複写紙の文化を引きずっている。Ccはcarbon copy、つまりカーボン紙で複写を作っていた時代の語彙である。InboxとOutboxは、デスク上の書類トレイの名残を思わせる。Attachmentは、書類に別紙を添付する感覚をそのままデジタル化している。

メディア考古学の視点から見ると、これは単なる古い言葉ではない。現在の技術の中に、過去のメディア形式が地層のように残っているのである。

しかも、その古い外形の中で、いま起きていることは奇妙に未来的だ。

2026年現在、GmailやOutlookにはAIによる要約、返信案作成、優先順位づけ、分類の機能が組み込まれている。企業の営業メールやカスタマーサポートの文面は、AIによって生成されることが増えている。受信側では、AIが長いスレッドを数行に要約し、ユーザーは本文を読まずに判断する。

もちろん、重要なメールでは人間が最終確認する必要がある。完全自律の送信はまだリスクが大きい。それでも、メールの流れの中で、人間が一字一句を書く場面、人間が一字一句読む場面は少しずつ減っている。

AIが書き、システムが配送し、AIが分類し、AIが要約し、人間は要約だけを見る。

それでも画面には、Cc、Subject、Attachmentが残っている。19世紀のオフィス文化の語彙をまとったまま、21世紀のAIが機械的な通信を処理している。

この時間のねじれが、メールの面白さである。

フェリックス・グァタリは、マスメディアによる一方向的な主体形成を超えて、人々がコミュニケーション技術を再び自分たちのものとして使い直す「ポストメディア」の可能性を語った。メールは、技術構造だけを見れば、その夢に近い部分を持っている。分散的で、相互運用可能で、単一企業に所有されず、誰でも送受信できる。

しかし現実には、メール体験の多くは巨大プラットフォームに媒介され、スパムフィルターやAI分類やCRM配信システムに取り囲まれている。ポストメディア的な分散性は、プラットフォーム資本主義の現実と矛盾しながら共存している。

メールは、解放の夢と管理の現実が同居する、複雑なメディアなのである。

メールは本当に「メディアをやめた」のか

とはいえだ。ここで、少し立ち止まったほうがいい。

「メールはメディアをやめてインフラになった」という言い方は強い。しかし、そのまま受け取ると単純化しすぎる。

実際、メールはいまもメディアである。ビジネス、研究、教育、法律、行政の現場では、人間が人間に向けて、慎重に文面を練り、責任の所在を明確にしながらメールを送っている。企業間の交渉、大学教員と学生のやりとり、取材依頼、契約に関わる確認、謝罪、依頼、報告。そこではメールは、いまも非同期の文章コミュニケーションとして重要だ。

また、地域差もある。国によっては、チャットアプリが公私の手続きまで広く担っている。世代差や職業差も大きい。若い人がまったくメールを読まないという単純な話でもないし、高齢者だけがメールに依存しているという話でもない。

さらに、SlackやTeamsやLINEも将来的にはインフラ化するかもしれない。実際、大規模障害が起きると、多くの企業の業務が止まる。これは、スターとルーレーダーの言う「壊れたときに可視化される」というインフラの条件に近い。

だから、正確に言えば、メールはメディアであることを完全にやめたのではない。

メールは、前景的で新奇な会話メディアであることをやめた。そして、公式性、証跡性、相互運用性、本人確認、制度的通知のためのメディアとして、インフラ的な性格を強めた。

メディアとインフラは、排他的ではない。むしろ、成功したメディアの一部は、十分に定着するとインフラになる。メディアとして知覚されなくなることは、メディアとしての死ではなく、別の存在様式への移行かもしれない。

技術は、いつ古典になるのか

ここで最初の違和感に戻ろう。

なぜ、誰も読まないメールが増え続けるのか。

答えは、メールが「読まれる文章」だけを運んでいるわけではなくなったからである。メールは、通知、記録、認証、証跡、警告、領収書、ログ、復旧手段、制度的な到達経路を運んでいる。人間の注意を獲得することだけが目的ではない。あとから検索できること、送ったという事実が残ること、他のサービスが本人に到達できること、それ自体が役割になっている。

メールは、読まれなくなったから無意味になったのではない。読まれなくても機能する方向へ、役割を変えたのである。

ここに、「技術の古典化」と呼びたくなる現象がある。

もちろん、これは学術用語として慎重に扱うべき言葉だ。インフラ、installed base、パス依存性、ドミナント・デザイン、レガシーシステム、残存メディア、メンテナンス。既存の概念で説明できる部分は多い。

それでも「古典化」という言葉には、少しだけ独自の手触りがある。

古典とは、単に古いものではない。昔の優れたもの、という意味でもない。ここでいう古典とは、新しさを競う必要がなくなったものだ。後から来るものが、その上に立たざるを得ないほど社会に定着したものだ。

Slackは、Slackより便利なものが出れば置き換えられるかもしれない。LINEも、Messengerも、Teamsもそうだ。彼らはまだ製品であり、プラットフォームであり、競争の中にいる。

メールは違う。もちろんGmailやOutlookは競争している。しかし、Eメールというフォーマットそのものは、すでに別の階層にある。それは最新である必要がない。むしろ、変わらないこと、誰とでもつながること、古い組織にも新しいサービスにも通じることが価値になる。

私たちはテクノロジーを「何が新しいか」という軸で見すぎている。

新しいAI、新しいSNS、新しいデバイス、新しいアプリ。そこに注目することはもちろん重要だ。しかし、社会を本当に深く支えている技術は、しばしば新しくない。誰も驚かない。誰も感動しない。誰も仕組みを語らない。しかし、壊れると社会が止まる。

その段階まで沈んだ技術こそ、ある意味でもっとも強い技術なのかもしれない。

メールは、かつて感情のメディアだった。次に、仕事のメディアになった。そしていま、制度のインフラになっている。これからAIによって、人間が直接書かず、直接読まない通信の比率はさらに増えるだろう。メールはますます鬱陶しくなり、ますます見えにくくなり、ますます取り除きにくくなるかもしれない。

受信箱に未読メールが溜まっている。それは単なるだらしなさの問題ではない。そこには、テクノロジーが社会に定着する一つの歴史が沈んでいる。

技術は、新しいものに負けて消えるだけではない。

ときに技術は、負けることで場所を変える。表舞台から退き、下層へ潜り、他の技術を支える側に回る。そして気づけば、それなしには新しい技術すら立ち上がらない。

メールは死んでいない。

ただ、私たちの目の前から、少し奥へ行ったのだ。(了)

主要参照資料

·The Radicati Group, Email Statistics Report, 2024-2028.

·Statista, “Number of sent and received e-mails per day worldwide from 2021 to 2028,” based on Radicati Group data.

·Hostinger, “Our one-billion-email analysis will make you think differently about your inbox,” 2026.

·Apple, “Mail Privacy Protection” related documentation; Postmark and Klaviyo support materials on Apple Mail Privacy Protection and open tracking.

·Atos “zero email” related materials and subsequent case studies, including INSEAD Publishing and AIS Electronic Library cases.

·IETF, RFC 821, RFC 822, RFC 5321, RFC 5322; IETF Emailcore Working Group materials.

·Journal of Computer-Mediated Communication, 25th anniversary / “What is Computer-Mediated Communication?” related special issue materials, 2020.

·Susan Leigh Star and Karen Ruhleder, “Steps Toward an Ecology of Infrastructure: Design and Access for Large Information Spaces,” Information Systems Research, 1996.

·Paul N. Edwards, A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming, MIT Press, 2010.

·Mizuko Ito, Daisuke Okabe, and Misa Matsuda, eds., Personal, Portable, Pedestrian: Mobile Phones in Japanese Life, MIT Press, 2005.

·岡部大介・松田美佐・伊藤瑞子編『ケータイのある風景:テクノロジーの日常化を考える』北大路書房、2006年。

·Charles R. Acland, ed., Residual Media, University of Minnesota Press, 2007.

·Alexander R. Galloway, Protocol: How Control Exists after Decentralization, MIT Press, 2004.

·伊藤守編『ポストメディア・セオリーズ:メディア研究の新展開』ミネルヴァ書房、2021年。

·Félix Guattari, writings on the post-media era, including texts collected in Soft Subversions.

·Steven J. Jackson, “Rethinking Repair,” in Media Technologies, MIT Press, 2014.

·Andrew L. Russell and Lee Vinsel, The Innovation Delusion: How Our Obsession with the New Has Disrupted the Work That Matters Most, Currency, 2020.

·Russell et al., “Getting on top of work-email: A systematic review of 25 years of research to understand effective work-email activity,” Journal of Occupational and Organizational Psychology, 2024.

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