地方都市へ行きたくなることがある
『海がきこえる』を観てから寝たら、田舎に越す夢を見た。
知らないおばさんから、勤め先、出身校、親や恋人について矢継ぎ早に質問される。私は自分が彼らの仲間たり得ることを証明しなければならないと感じる。緊張感のある夢だった。そして、そのよそよそしさを、どこか見知った風景のように感じた。
目が覚めてから、地元の人同士であれば、そんなことはあまり起こらないのかなと思った。値踏みなどせずとも、なんとなく相手の人となりがわかるのではないだろうか。
私は世田谷生まれのお嬢さんではないが、東京から地方へ来たという点は里伽子と共通していて、『海がきこえる』の空気感には、どこか身に覚えがあった。
東京で生まれ育った私は、中学に上がるころ北関東へ引っ越し、近所の中学校に通うことになった。周りを田んぼに囲まれた白い校舎だった。クラスメイトの女子から最初に話しかけられたとき、「日本語が上手だね」と言われたことを覚えている。その頃の私はよく日に焼けていたし、ブラジル系の移住者が多い地域だったので、本当に外国人に見えたのだろう。クラスメイトにとって、そもそも日本人かどうかさえ怪しかった私は、はじめのうちこそ東京者だと言われることもあったが、そのうち周囲に馴染むことができ、楽しい学生生活を送った。
高校は中学の友人たちとは違うところへ進学した。学校があるのは田んぼの真ん中ではなく、シャッターを下ろした店が立ち並ぶ地方都市だった。そこではあまり友人ができず、いつからか強い対人不安を抱くようになっていた。
思春期真っ盛りで、自分が周囲によって再解釈されることに、私は耐えられなかったのかもしれない。
それが尾を引き、就職した今でも職場というものに馴染めた試しがなく、職を転々としている。
変な映画と変な夢を見て、私は自分の中で、よそ者でいることへの不安とまだ知らない場所への期待が、ひとつの循環する機構をなしているような気がした。
人間関係に見切りをつけたくなると、逃避的にどこかよそへ行きたくなる。そこには違う人たちがいて、そこでなら私は馴染めるのではないか、もしかしたら歓迎される存在なのではないかという夢を抱く。
ただし、よそへ行けばまたよそ者になるだけである。良くも悪くも周囲から好奇の目で見られ、値踏みされ、比較される。
よそ者である側と受け入れる側、双方にとって相手は未知のものだ。
自分とは異なる経験をしてきた人と向き合ったとき、人はまず自分と相手の立ち位置を見極めようとするのだろう。
私はそういうことが苦手なのだと思う。
地方都市に行きたくなることがある。
Go To トラベルが実施されていたころは、よく地方へ行った。
そこで見た漁港や、大きなアーケード、閑散とした城下町、若者の集まる居酒屋。『海がきこえる』が、そういったイメージと自分自身との結び目になって、あんな夢を見たのだろう。
ちょっと四国に行きたくなった。
