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悲劇の誕生 (岩波文庫 青 639-1)
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- ISBN-104003363914
- ISBN-13978-4003363911
- 出版社岩波書店
- 発売日1966/6/16
- 言語日本語
- 本の長さ266ページ
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登録情報
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- ISBN-13 : 978-4003363911
- 商品の重量 : 141 g
- Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 31,098位 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- 西洋哲学入門 - 62位
- 岩波文庫 - 177位
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日本からのトップレビュー
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熱を纏った詩
2025年11月24日に日本でレビュー済み哲学新規なのでしっかり理解できたかといえば全然そのようなことはないのですが、ニーチェの熱のようなものは確かに伝わってきたように思います。
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ニーチェとソクラテス
2025年9月28日に日本でレビュー済み芸術の発展というものは、アポロ的なものとディオニュソス的なものという二重性に結びついている。
美であるためには、全てが理知的でなくてはならない、とはソクラテスの立場です。エウリピデス劇はソクラテスの立場に近いため、彼は劇をアポロ的なものの上に築いて失敗した。
ソクラテスは古い時代の悲劇を理解せず、従ってそれを尊重もしなかった。
ソクラテスがエウリピデスの詩作の手伝いをしているという噂がアテナイに広まり、アリストファネスは彼ら二人を喜劇に仕立てた。しかし、デルフィの神託では、ソクラテスを一番賢い者とし、二番目がエウリピデスであった。(三番目はソフォクレス
ソクラテスは、悲劇を、快適なものだけを描いて有用な者を描かない追従の芸術と教え、弟子たちには、このような非哲学的な刺激から遠ざかるよう求めていた。
概念・判断・推論という機構が、ソクラテス以後、自然の最高の活動であり、その最も感嘆すべき賜物として、他の全ての能力以上に評価された。
上記はギリシア悲劇に関するソクラテスの立場をニーチェが非難している記述の数々です。そして:
科学的ソクラテス主義の満足した存在の歓びを、カントとショーペンハウアーはその限界を指摘することで否定した。またこの指摘によって、我々が概念的に把握されたディオニュソス的知恵と呼びうるような見方、倫理的問題の芸術に対する無限に深く無限に真面目な見方が導き入れられたのである。と述べますが、どのようにソクラテス主義の限界を指摘したか、の詳述はありません。
ニーチェはソクラテスの冷徹さ、を認めながらも、ディオニュソス的感興が芸術(悲劇)を高揚させると考えていたようです。
尚、解説に助教授ニーチェが(p296)とありますが、ニーチェは最初から教授としてバーゼル大学に赴いたのであり、助教授時代は無かったと思います。この初歩的な誤りは編集者の責任でもあります。
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難しい
2014年9月9日に日本でレビュー済みいきなりこれを読んだのは失敗だった。この本を読むには
数冊読んでからでないとダメだ
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とても興味深い
2023年8月1日に日本でレビュー済みあらためて読むととても興味深い
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ニーチェの最初の哲学書
2022年5月3日に日本でレビュー済み哲学の授業
芸術についての考察
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ニーチェの処女作だそうです
2005年3月13日に日本でレビュー済みギリシア悲劇の成立を記す一方で、現代ドイツにおける悲劇の再生
を強調、賛美している。
彼はギリシア悲劇を「アポロ的夢幻」と「ディオニュソス的陶酔」と区別しながら論述しているのだが、
*アポロ=純ギリシアの神で公明と明晰の神
*ディオニュソス=トラキアのデーモン(鬼神)で酒と陶酔の神バッカスのギリシア名…である。
その特徴を述べると、アポロが荘厳な格調ある音楽であるのに対し、ディオニュソスは騒々しい舞踏音楽。
アポロが冷静な自己抑制という特性を持つのに対し、
ディオニュソスは陶酔・狂気といった特性を持つ。
また、アポロの奉仕者はミューズの女神たちであるのに対し、
ディオニュソスの奉仕者はマイナデス(酒神信女)である。
この二柱の神の対照から、ニーチェは第一の主題「音楽の精髄からの
悲劇の誕生」、第二の主題である「悲劇の悲劇的死」を解釈し、
第三の主題としてはワーグナーの楽劇を扱っている。
結局彼は、悲劇の「誕生」「死」「再生」の思想を前面に出しており、
現代の世界に徐々にではあるがディオニュソス的精神がめざめつつある
ということが、我々の心によみがえってくると希望を暗示している。
加えて、ドイツ精神のディオニュソス的根底から、一つの勢力が立ちあらわれてきたのだ。それはソクラテス的文化の根本条件とはなんの共通点もない勢力だ、とも言っている。
ふむふむ…、やたら訳注の多い書物ではあるが、対立概念の建設の仕方
そこから論じる内容が独特だな(超人だ)と銘肝する一冊。
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吉田秀和は「悲劇の誕生」から本の読み方を教わったという
2017年6月24日に日本でレビュー済み本書の解説「3.反響と評価」の末尾に「朝日新聞の『一冊の本』に、画家岡本太郎氏も音楽評論家吉田秀和氏も、ともに『悲劇の誕生』を押しておられる」と書いてあるのを、昨年、発見して非常に驚いた。というのも、吉田秀和の「一冊の本」の内容が謎で、その謎を解きたくて、学生時代に悲劇の誕生を買い求めて以来、何回か謎解きに挑戦していたのだ。まさか岩波文庫のその本に、その本を買う理由となった吉田の文のことが触れてあったなんて。しかも、何十年も気づかなかったなんて。
因みに、吉田の「一冊の本」が朝日新聞に載ったのは昭和39年(1964年)9月16日、僕の持っている本書の印刷は1977年(第13刷)。
その「一冊の本」(僕が読んだのは吉田秀和全集第10巻。「もう一つの時間」(海竜社)にも収められている)で、吉田秀和は「悲劇の誕生」から本の読み方を教わったと書いている。吉田の文の要点を引用すると、
1.私が考え、その考えたことをのべることについていちばん学んだのはデカルトとヴァレリーのいろいろな本からである。
2.私は、それから、ドストエフスキーに憑かれ、ランボーに度肝をぬかれた。
3.また、小林秀雄のモオツアルトを読まなかったら、音楽についてかくその手段を模索するだけで一生を終わってしまったかもしれない。
4.にもかかわらず、私がいちばん好きでくり返し読むのをやめられないのはゲーテだ。
5.それにしても、私たちは、なぜ、本を読むのだろうか。芝居をみたり、音楽をきいたり、絵や彫刻をみたり。
6.私たちに潜在する可能性がそこに展開されているからではないだろうか。
7.(この)考え方というか、読み方というか、それを私は、ニーチェの<悲劇の誕生>から教わった。
しかし、悲劇の誕生のどこにそんなことが書かれているのか?
それを、僕は、内田樹に教わった。
内田は、こう書いている。
「(ニーチェは、)ギリシャ悲劇が描いている『劇的経験そのもの』には現代人はもう二度と触れることはできないけれど、劇的経験を追体験している古代ギリシャ人の観客の感動には感動することができるという卓見を述べました。経験そのものは時代とともに風化し消滅する。けれどもある経験を生きた人間の感動は無傷で継承することが可能だ、というのが『悲劇の誕生』の重要な主張でした」(「悪い兄たちが帰ってゆく」というネット上の文章)
それが、「悲劇の誕生」のどこに書いてあるかは、内田の「寝ながら学べる構造主義」の42p~に書いてある。
本をよみ芝居をみるということはどういうことなのか。なぜ私たちは音楽をきき絵をみずにいられないのか。その時私たちにはどういうことが起こるのか。
「悲劇の誕生」とは、そのことについての「卓見」が述べられた本なのだそうです。
以下2019年8月3日に追記。
ところで、「劇的経験を追体験している古代ギリシャ人の観客の感動には感動することができる」という我々の心の働きを「同情」と読み替えると、射程距離は一挙に伸びる。神崎繁の「ニーチェ」という本には「どうして同情してはいけないのか」という副題がつけられている。さらに本についている帯で「他者の不幸を同情する感情には巧妙に仕組まれた正当防衛が含まれているという「同情の禁止」をキーワードにニーチェの人生=作品を読み解く。」とある。
他人に同化して感動したり同情したりするのはニーチェを読み解く肝なのだ。
再び吉田秀和によれば「ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的<美徳>(←注:同情のことです)を口を極めて排撃しているけど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない」(白水社のニーチェ全集の月報)と解説し、ニーチェはその急所をワグナーのパルシファルにより射貫かれ、そのため憤慨し「それが原因でとまではいわないが、狂気の闇に落ちていった」と書いている。因みに、パルシファルでは愚者が同情に目覚めその力で王を救う。
繰り返すが「同情」はニーチェを読み解くキーワードなのだ。
2019年12月23日に以下を追記
吉田秀和は、「荷風を読んで」(「ソロモンの歌」所収)でこのように言っている、(末尾の言葉に注目してください)
「芸術作品の人を魅する力の最大の源は、それがそれまで味わったことのない、ある未知な広がりを感じさせ、その中に一歩一歩、前進してゆくことを体験させる点にある。ある作品では、その未知のものの闇が深く濃く、ある作品ではそこに未聞の光明と歓喜が漲っている。こういう未知なるものへの接近という体験は、どんなに安手の作品の場合でも、不可欠の条件であり、また、純正な作品になればなるほど、その魅力は類まれな純度をおびる。そういうことが可能になるのも、それは、芸術家が制作の際に、それを体験するからだ。」
その、制作者の体験に同化し、追体験し感動するのが(そして、そのことにより人生を拡張するのが、悲劇の誕生に書かれているように)、芸術を鑑賞するという経験なのだ。しかし、そういった感度の極めて高かったニーチェは、弱者に同感する感度も高く、そのことで苦しみ、その克服を図ったのが彼の哲学なのではないか。悲劇の誕生は、そういう意味でニーチェの最初の作品に相応しい。
以下は2020年12月2日付記
最近、柄谷行人の「言葉と悲劇」の中の「「理」の批判」で面白い対比を知った。ニーチェはキリスト教の倫理に拘束されることに苦しみ、拒み、神を殺し、超人哲学へと至るのだが、悲劇の誕生では、そのためにキリスト教以前の文化であるギリシャ悲劇が持ち出される。そして、本居宣長は、朱子学・儒教の思考や用語の束縛(漢心)から逃れるために、ニーチェがギリシャ悲劇を持ち出したように、古事記を研究し、源氏物語ややまとごころを持ち出したというのだ。素晴らしい卓見ですよね。
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生存と世界とは美的現象としてのみ是認される
2011年12月26日に日本でレビュー済みニーチェの処女作であるが、当時の反響はあまりはかばかしくなかった、というよりは黙殺に近い扱いだったらしい。古代ギリシャの芸術はアポロ的なものとデュオニソス的なもの、あえていえば叙事的(定式的?)なものと叙情的(天衣無縫的?)なものが対立しあいつつ調和しあうようなものだったが、ソクラテス以降、人類は分別くさくなってしまった、と断じ、その一方でベートーベンやワーグナーなどの系譜により再びデュオニソス的なものが再生されつつあることを寿ぎつつ、ワーグナーを礼賛している。ちなみに、そのあと、ワーグナーとはたもとを分かつことになるのだが。
キーワードは、「デュオニソス的」と名状される概念である。主観ではなく、存在の深淵から響いてくる夢幻的なもののようであり、形象や概念を必要としない音楽はその最たるものである、という。その帰結として、「生存と世界とは美的現象としてのみ是認される」という命題を宣言している。
分別くささを嫌い、世界の豊穣さをあるがままを受け取ろうとするニーチェの生き方についての予備知識を前提とするならば、本書にはその萌芽みたいなもの感じさせられる。とはいえ、結構、滅裂な文なので、そんなに面白い本というわけではない。
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