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  • 寛容についての手紙 (岩波文庫)

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寛容についての手紙 (岩波文庫)

5つ星のうち4.6 (22)

迫害、拷問、殺戮が、宗教の名によって横行した17世紀ヨーロッパ。信仰を異にする人びとへの「寛容」はなぜ護られるべきなのか? 本書は、この難問に対するロックの到達点。政治と宗教の役割を峻別し、人々の現世の利益を守るのは為政者の任務だが、魂の救済については宗教に委ねられる。後世に多大な影響を与えた「政教分離」の原典。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店
  • 発売日 ‏ : ‎ 2018/6/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 本の長さ ‏ : ‎ 192ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 400340078X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003400784
  • 商品の重量 ‏ : ‎ 100 g
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.5 x 0.8 x 14.8 cm
  • Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 38,219位 (本の売れ筋ランキングを見る)
  • カスタマーレビュー:
    5つ星のうち4.6 (22)

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カスタマーレビュー

星5つ中4.6つ
22グローバルレーティング
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日本からのトップレビュー

  • 星5つ中5つ
    名著
    2021年10月10日に日本でレビュー済み
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    ですます調が良い

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  • 星5つ中4つ
    全てに通ずる「寛容」の精神
    2019年2月2日に日本でレビュー済み
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    基本的には17世紀のヨーロッパにおける宗教上の対立に関して、他宗教の尊重を重んずるべきだとする内容。話の中心は政治と宗教の分離であり、政治と宗教が強く結びつき権力行使の主体となるとロクなことがないと改めて感じさせられた。(私としては戦前の日本において神道と国家が結びつき、他派の弾圧と国民の教化が思い起こされた)。他宗教への寛容が中心であるものの、ここで書かれた寛容の精神は人種や性別、国籍といったあらゆる対立にも当てはまるのではないか。

    ただ宗教の対立以外の対立にももっと具体的な言及が欲しかった。それがマイナス星1の理由です。

    11人のユーザーが役に立ったと感じています
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  • 星5つ中5つ
    今日においてなおアクチュアルな論考
    2022年8月20日に日本でレビュー済み
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    宗教改革によってヨーロッパのキリスト教社会がカトリックとプロテスタントに分裂するとヨーロッパは血で血を洗う宗教対立の時代に突入する。このような状況において宗教的寛容が求められるのは理解しやすい。後に宗教的寛容について考察したヴォルテールは次のように述べている。「もしイギリスに宗派が一つしかなかったなら、その専制は恐るべきものになるだろう。もしも宗派がふたつなら、両派は互いに喉を切り合うだろう。しかしイギリスには宗派が三十もある。だからみんな仲良く暮らしているのである。(ヴォルテール『哲学書簡』光文社古典新訳文庫、58頁。)同じことが日本にも言えるかもしれない。イワシの頭にいたるまで八百万の神々を等しく尊重してきたからこそ、ボクたちはキリスト教の神もアラーの神も彼らのなかの一人として相対化することができるが、天皇制のような絶対的な神が登場すると、「その専制は恐るべきものに」なってしまった。他の宗教を攻撃するのでなければ、いかなる宗教も認められてしかるべきだろう。しかしロックは宗教的寛容を無制限に拡大するのではなく、許容され得る宗教の条件を考察し、次のように述べている。

    「もし、ある宗教的な集まりが幼児を犠牲にしようと考えたり、あるいは(原始キリスト教が誤って非難されているように)不潔な乱交において肉欲によって自らを汚そうと考えた場合、これらの事柄が宗教的な集会で犯されているという理由で為政者はこれらの事柄に寛容である義務があるのでしょうか。私の答えは「否」です。このような事柄は日常生活においてもいかなる私的な家庭においても合法ではないのですから、神の崇拝においても宗教的集会においても合法ではないのです。」(69頁。)

    ロックによれば、法的に許容されている範囲を超えた宗教的活動はそれが宗教の名のもとに行われるとしても許されないというのである。性的乱交や幼児の殺害が許されない社会においては、信仰の名のもとに行われるとしてもそれらの行為は許されない。ロックの思想が今日でもなおアクチュアルであることは明らかだ。宗教団体の活動であっても、法的に許容されない活動は許されないとすれば、オウム真理教のような殺人を正当化する宗教や統一教会のように詐欺的な手法で金銭を巻き上げる宗教が許され得ないのは当然だが、女性差別を「神事ですから」の一言で正当化してきた相撲協会も、男女平等を保障した日本国憲法下では改革を求められるだろう。

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  • 星5つ中4つ
    人間が本来持っている知性と自律性への信頼を感じる
    2024年3月3日に日本でレビュー済み
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    ですます調なんだけど、潤色、政治的統治、匡正、といった、日常でまず使わないような訳語はできれば避けてほしかった。

    学説史的にも重要なんだろうけど、宗教と教会の話一辺倒なのもあって、読み物としてはヴォルテールとかのほうがとっつきやすいのは事実。

    でもやっぱりいろいろ考えさせられる。

    人間が本来持っている知性(Intellectus)に基づいて、外的な強制ではなく、自律的に選ぶのが信仰!だから政治は信仰を強制したり、迫害してはいけない、というのが中心的なロジック。なるほど。理性を持った一人の人間というミクロレベルから見た、政教分離の理論的根拠を見た気がした。

    自分がされて嫌なことは、人にしちゃいけないよ、と言うヴォルテールや、何かを信じることこそ最も尊い!だから他の人の信仰を邪魔してはいけない、と言うロジャー・ウィリアムスなどとも、また一味違って、人間の理性への信頼を感じる。

    福音書には、キリストの真なる弟子たるもの、迫害に耐えねばならぬ、と書いてあって、それを根拠に迫害することが当時横行していたのだろう。すると、「自分がされて嫌なことを人にするな」という大原則だけでは不十分ということになる。

    (あまり飛躍したくないけど、わしらの世代はハラスメントに耐えたのだから、君たち若い世代もそれに耐えなさい、に似ていないこともない。いややはり無理あるか)

    政治権力が及ぶ範囲は、人々の現世的利益だけであり、来世に関するものではない!というのも、目からうろこだった。財政赤字とか環境問題とかで、次の世代につけを残すな、とはよく言われるけれど、来世は盲点だった。

    偶像崇拝が神に対する罪だとしても、為政者がそれを罰してよいわけではない!ここら辺も、本当はけしからんけど、でも見逃してやりなさいよ、というロックの本音?が見え隠れして面白い。森本あんりさんの言う、中世のしぶしぶ寛容論にもつながりそう。

    ひとたび政治的後ろ盾を得ると、慈愛と平和をかなぐり捨てて、迫害行為に及んでしまう。という指摘も、現代政治に思い当る節がある。

    「居酒屋で財産を使い果たしたからと言って、その浪費家を叱る人はいない」という、JSミルに引き継がれた愚行権についての記述も登場。

    せっかく基本的なところでは一致しているキリスト教徒の間に、どうでもいいこと(Indifferent things、儀式のお作法とか教会に来ていく服とか)でケチをつけるために、要らぬ敵対関係を作り出してしまっている。という指摘も普遍性を感じる。

    しかし終盤、

    「神の存在を否定する人間は、決して寛容に扱われてはなりません。」

    と、唐突に前近代的な、無神論者の全否定を食らい、やや興ざめしたのでした。

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