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著者の本をもっと見つけたり、似たような著者を調べたり、おすすめの本を読んだりできます。

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刊行中の西尾幹二全集の中でこの巻だけは文庫や単行本、古本では入手できないものであり必見である。
内容は若きニーチェを調べ上げた『ニーチェ』(全集第四巻)に対して、老い始めた狂い始めた、晩年というにはまだ遠いその十年前のニーチェを扱っている。
ニーチェの病跡については梅毒ということはないだろうものの、単に菜食主義に徹したことによる栄養失調から重度の若年認知症を発症したということだろう。
ところで、ニーチェは無神論者かと云えば一般的にはヤーと言うほかないだろうものの、本書には以下のような記述がある。
「ニーチェはイエスを明らかに肯定していた」44頁
「彼がキリスト教を否定していることはたしかに疑うべくもない。しかし果たして彼は神を否定しただろうか」47頁
これは解釈である。ニーチェは人間キリストも神も肯定しそれらを分けて三位一体をのみ否定したということではないだろう。
ニーチェ自身の言葉は、「人間とは超えられるべき何ものかである」「神が死んだことを人々は本当に知らないのだろうか」だった。これはくどくど云えば、神は元々居なかったという無神論ではない。神は居たけど居なくなったという無神論である。そして、神なき時代を肯定してより強くよりよく生きよ、というのが核心であろう。
しかし、真っ正直に正気のニーチェに反論するとしたら、私なら「過去に居た神とは何だったのか、何者だったのか、それが解らない限りよくも強くも生きられないのではないですか」と問うてみたい。神はまだ死んですらいないと私は考えているが、百歩譲って少なくとも神という呼称などで考えるべきではないものに成り下がったにしても、デカルトの近代そのままに幾百年幾千年人間が自力で知性を鍛錬してこの宇宙や生命を超えていく過程で、この問題を解決せずに進んで行くよりはでき得れば解決すべき、それくらいの強さに含まれる余裕がなければならないのではないか、ということである。
かってソクラテスは、自身は内面のダイモニオンの声を聴きながら、「解らない解らない」と云って人々を先導し扇動した。確かにそれが何者であるか誰にも判らなかったのだが、彼はそれ(ダイモニオン)を否定したり人間の立場からそれに反抗しようとしたりしたわけではない。ソクラテスは有神論者であり、神霊(悪霊かもしれない)利用者であった。勿論、このことによって死罪となる自信と覚悟までがあった文献学で追える最初で最大の哲学者だったのだが。
翻って、ニーチェは本当は有神論者だったというのは多分あまりに文学的な深読みのしすぎである。ニーチェは本心からの一つの無神論を実現し確立しようとしていたが、最初の問いの立て方が間違っていたしそれに耐えられるほど単に身体的生理的に強いわけでもなかった。というのが実際だったのではないか、と考えさせてくれる。
白水社版(グロイター版)の遺稿集が出せなかった日本の出版状況の中で貴重な一冊である。
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著者はいい文章を書く。
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