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悟りと解脱 宗教と科学の真理について (法蔵館文庫)
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それは「全人格的思惟」の実習を通して形なきいのちであるダンマが生の根源態である「業熟体」に顕現することであるとは、いったいいかなる事態なのか。
徹底した禅定実践と学問研鑽によって仏道を求め、かくして到達したブッダの解脱に基づき、東西の思想・哲学・宗教・科学世界を語り、そして一切の枠組みを超えた真理を究明する。
稀有の求道者の今生の到達点を示した最後の書。
解説=丘山 新
《目次》
【第I部】
第一章 解脱への道
一 解脱とは何か
二 ブッダの解脱の重大問題
三 重大問題に対する解答―私自身の禅定―
第二章 仏道の原態
一 解脱の原点
二 ダンマの顕現と人間の本性
三 ダンマ・如来の無限活動
第三章 仏道の基幹線
一 業熟体
二 目覚めていく経路
第四章 宗教を超える真理
一 いのちの開示
二 ブッダとキリスト
三 パウロ
四 ソクラテス
五 孔子
六 まとめ
【第II部】
第五章 人類学とヒトの特徴
一 二つの路
二 科学的世界観と縁起説
三 アウストラロピテクスからネアンデルタール人へ
四 後期旧石器時代
五 ヒトの特徴
第五章 科学といのちとの和解を目指して
一 はじめに
二 医学的生命といのちとの和解
三 科学的宇宙観といのちとの和解
本書の成り立ちについて
解説 わが師、玉城康四郎 求道の生涯 丘山 新
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社法蔵館
- 発売日2021/1/15
- ISBN-104831826197
- ISBN-13978-4831826190
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商品の説明
著者について
1915年熊本県に生まれる。1940年東京大学文学部印度哲学科卒業。東京大学文学部教授,東北大学教授,日本大学文理学部教授など歴任。東京大学名誉教授。
著書『中国仏教思想の形成』(第1巻,筑摩書房),『玉城康四郎 仏教の思想』(全5巻・別巻1),『生命とは何か』(共に法藏館),『現代語訳正法眼蔵』(全6巻,大蔵出版)ほか多数。
1999年1月14日,逝去。
丘山 新(おかやま はじめ)
1948年東京都生まれ。京都大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程満期退学。(財)東方研究会専任研究員,日本大学文理学部専任講師,東京大学東洋文化研究所助教授,ミュンヘン大学客員研究員,東京大学東洋文化研究所教授を経て,現在,浄土真宗本願寺派総合研究所所長。
著書『菩薩の願い―大乗仏教のめざすもの』(日本放送出版協会)ほか。
登録情報
- 出版社 : 法蔵館
- 発売日 : 2021/1/15
- 版 : 第一
- 言語 : 日本語
- 本の長さ : 256ページ
- ISBN-10 : 4831826197
- ISBN-13 : 978-4831826190
- 商品の重量 : 160 g
- Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 543,871位 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について

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悟りと呼吸
2025年4月7日に日本でレビュー済み本書を読んで、次の文章が私の印象に強く残りました。
禅定とは坐禅のことである。(中略)そして、姿勢を正し、呼吸を調え、心を呼吸に集中する。やがて頭も心も魂も、そして体も、全人格体が一体となり、ひとかたまりになって坐るのである。
この呼吸について、ひすいこたろうさん&SHOGENさんの「今日、だれのために生きる?」という本には、次のような文章が書かれています。
どんな時も、まず息を整える。息を整えることで、心にゆとりが生まれるからです(中略)一瞬一瞬を丁寧に味わうと、より深く喜びを味わえるようになるんです。息を整えると、自分自身の存在をはっきり認識することができ、自分の心の中にある本当の喜びを大切にして生きていこうと、改めて思えるんです。
改めて、悟りにおける呼吸とボディワークの重要性を再確認できました。その面から、ネドじゅんさんの「しあわせ右脳で悟リズム」で紹介されている「エレベーターの呼吸」は、伝統に根差しながらも、よりシンプルでパワフルになった素晴らしいボディワークだと思います。
また「エレベーターの呼吸」を実践するうえで、楽禅ヨガ創始者・有野真麻さんの「天岩戸『さとりゲート』をひらけ!」、能楽師・安田登さんの「能に学ぶ『和』の呼吸法」の2冊の本はとても参考になりました。
これらの本から貴重な学びを得たおかげで、期せずして私も「悟り体験」することができたからです(ネドじゅんさんの「エレベーターの呼吸」、有野真麻さんの「楽禅ヨガ」、安田登さんの「ストロー呼吸」を組み合わせた、独自のボディワークを行いました)。その恩寵に心から感謝しています。
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求道心と深い学識の融合
2023年12月10日に日本でレビュー済み著者は東大の教授を務めたほどの碩学であるが、同時に求道の人である。
本書の冒頭に述べられている著者の長年にわたる求道遍歴とその体験は、私の心をわしづかみにした。
著者は若き頃に坐禅で得た「大爆発、木端微塵、茫然自失」の体験を、長い年月をかけて「ダンマが私自身に顕わになった」と自覚化し深めていった。
本書はこうした著者の求道体験を基盤として展開されたものである。
私はこの本を読んで、親鸞の『教行信証』における思索を想起した。
親鸞は「念仏もうさんとおもいたつこころ」(『歎異抄』)が発起した体験を、長年の求道と聞思によって「本願に帰す」(『教行信証』)とまで自覚化した。
これは本書における著者の学的営為と全く同じものである。
こうした学問方法は、仏教本来のものであり、著者が単なる「仏教学者」ではなく「仏者」であることを物語っている。
本書は、読者をしてその求道心を奮い立たせ、また実際の求道の指針になる貴重な一冊である。
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悟りとはダンマといういのちが私に現れること
2022年11月3日に日本でレビュー済み禅定実践と学問研鑽により玉城師は、悟りとはダンマという一つのいのちが私に現れることを描いた。般若心経の般若=智慧は、そのことを意味しているという。禅定を生涯実践された師の記録として大変貴重である。
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仏道の基幹線
2018年2月11日に日本でレビュー済みこのテキストでは、「仏道の基幹線」という(ちょっと驚くような)考えが述べられています。解脱ヘ至るまでの(世界と自分についての価値観を転換する)心理的プロセスが明示的に示されており、それが(宗教的&哲学的に)標準的なこころの成熟パターンであると述べています。この考えに初めて出会ったのは、著者の正法眼蔵 上(佛典講座37上)の序論でしたが、その後、華厳入門・ダンマの顕現および本テキストへと読み進むにつれて、少しづつその意味がつかめるようになってきました。
つづめて言うと、①「業熟体」としての自分が、②「入出息念の定」を実行するとき、(初地・中地・後地という3段階を経ながら)③「ダンマ」が顕現する(心のまことに感応してダンマの方から現われる)のを実感する、ことで価値観の転換が得られるという。ここで、①業熟体とは、人類の無限の連鎖の中で世界との幾多の相互作用(業)を経て生まれた自分であり、②入出息念の定とは、Anapanasati Suttaパーリ語(入出息念経・南伝大蔵経 巻十一下 pp.83-96 和訳、Mindfulness of Breathing, by T. Bhikkhu 英訳)による、いわゆる(止)観の瞑想(四念処観;ありのままに見る智慧を実践)しつつ入息出息するのであり、③ダンマとは、形は見えない(けれど存在が感じられる)悠久のいのちそのもの(あるいは、あらゆる存在を存在たらしめるエネルギー:ダルマ・法・(大日)如来・盧遮那仏とも)、と解釈されます。 われわれ俗人には、②全人格的な思惟と③ダンマ(とその顕現)はちょっと分かりにくいところですが、基幹線を明らかにしてもらったことでたくさんの仏典を前にして闇夜に灯台を見つけたという思いがします。
ところで、人間は人間苦から逃れられない(たとえば親族との永遠の別れは苦・悲しみの極みである)と考えるのが自然と思われる。しかしここで、苦・悲しみに取り込まれないで心の中心を少しズラして考えてみる、より広い視点で考えてみる、そして瞑想のなかで心をrelease(解脱?@入出息念経・和訳)してみる などを通して、人間苦と「融和する」(あるいは苦を少し緩和する)ことならばできるかも知れない。その過程で価値観を再構成しながら 生きること・いのちの意味を考えるならば、悠久のいのちそのもの(ダンマ)を実感することに繋がっていくのではなかろうか、などという疑問が残っているので、著者の最後のテキストとして繰り返し読み込んでいきたいと思っています。
蛇足ですが。奈良・某大寺の長老先生(玉城先生と同世代)によると、「(いまでは想像するのが難しいかも知れないが)日本の仏教学の黄金期は大正から昭和の初めにかけてであった。天才的な学者・そうそうたる碩学・超俗的な僧侶が大勢おられた。若いころそのような先生方の話を聴けたことは(書籍からは得られない)一生の宝となった。」とおっしゃる。玉城先生の著作には、当時の高揚した雰囲気を彷彿させる記述が散りばめられているように思えます。
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キリストとか孔子とか出てきた
2021年2月10日に日本でレビュー済み悟った方なのかもですが、悟りについては語れないのだなと思いました。エッセイ集として電子書籍で読みたいですね。
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生前にお会いしたかった。
2008年6月5日に日本でレビュー済み玉城先生の本で手に入る物は全て講入しました。
私は自分の20歳の時の体験が玉城先生の大爆発と同じであった事を
2006年に先生の本のレビューをこのサイトで見て仏教に全然関係
の無い自分の進む本当の道が分かりました。しかし余りにも遅すぎ、
年をとりすぎました。残念です。
先生のことを神秘主義者の一言で片付けないでいただきたいと思います。
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魂の記録。
2006年10月29日に日本でレビュー済み玉城康四郎は行学二道の人である。生涯にわたる体を張った求道体験と、広範な学問的研究をもと「悟り」とはいかなるものであるかを明らかにする。座禅により筆者は次のような体験をする。
もう何もかも行き詰って、どうしようもなくなったある日、突然、大爆発、木端微塵、茫然自失した。どれだけ時間がたったかわからない、ハッと我に帰った瞬間に、腹底からむくむくと歓喜が燃え立ち、全身を包んだ。これこそ、長い間求めに求めてきた解脱であり、手の舞い足の踏む所を知らなかった。(4ページ)
このような体験をしたものの、筆者は「後戻り」に苦しめられる。体験は一週間もするともとの木阿弥になってしまうのである。50歳になり「意識の奥の、さらにその奥の無意識のなかに、手つかずのまま我塊が蟠居」していることに気づき禅をやめ、「ブッダの禅定」を終生修する。78歳のとき「求め心がぽとりと脱落し」、83歳のとき「ダンマ・如来は通徹のあまり、私の全人格体から限りなく大空間に向かって放散されるように」なったという。
こうした体験と文献学的研究をもとにブッダの悟りを「ダンマが顕わになる」と表現する。
さらにイエス、パウロ、ソクラテス、孔子などもブッダと共通の体験をしていると述べている。貴重な自分の体験に即して語られるので、その論述は独特の説得力を持つ。
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玉城さんがよくわかる本。
2012年12月26日に日本でレビュー済み著書の目覚めと悟りの階梯がわかる本となっている。
著書がひとつの宗教だけでは本質はわからず、他の宗教や哲学などと比較することでその本質がわかると書いている部分は、共感する。
これは和尚がタントラから禅・仏教・キリスト教などさまざまな分野を真理という観点から講話したことと似ている。
ただこの本は、著書自身が探究しながらまた修養しながら進んだ道が書いてある。
内容的には、和尚の本を数冊読めば本質的なことは重なる。
また、仏教系の著書の本を読む場合は、事前に西洋的に整然と語る覚醒系の本を数冊(和尚を勧めるが)読んで体系のイメージをつかんでおかないと、挫折しかねない。
ただ著書のすごいところは、孔子の言葉ではないが、50過ぎて、60過ぎて、70過ぎてさらに探究かつ修養している点である。見習うべき姿勢と思う。
ひとつの宗教家でそれなりの年になると、悟ったような姿をする人が多い中で、最後まで探究と修養を怠らない姿勢こそ玉城さんのすごいところだ。
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