灯を吹いてはいけない
——日の短くなった頃の、夕方の集まりで
堂に灯がともっていた。日が落ちるのが早くなって、集まりの終わりにはもう暗い。夏のあいだは灯を出さずに済んでいたのが、この時期から毎晩の支度に加わる。
堂の灯は、背の低い台に据えた素焼きの皿で、そこに油と芯がある。上から被せる覆いが一枚、いつも脇に置いてある。
堂師さまは、灯を吹き消さない。覆いを、上から静かに伏せる。今日はその話だった。
「息は、生きているものの風である」
聖典の言葉である。消えていく灯に、生きているものの風を当てる。それが無作法なのだという。だから伏せる。
小さいのがひとり、吹いたらどうなるの、と訊いた。
「何も起こりませんよ」
堂師さまは笑って答えた。
「戒律には三つの層があって、これはいちばん軽い層です。破っても、咎めはありません。由来も、正直なところ、はっきりしないのです」
いちばん重い層は、と誰かが訊いた。
「二つだけです。まず、頂いた流れを、自分の淵に溜めないこと」
分かるようで、分かりません、と同じ人が言った。
「頂いた力で、自分の倉だけを満たしてはいけない、ということです。……環の神官の身は、樋なのだそうです。雨水を受けて、畑へ流す、あの樋です」
樋が、水を自分のために取り込みはじめたら。
「それはもう、樋ではありませんね」
流れることをやめた水は腐る。囲い込んだいのちと、同じ形の罪なのだと教えは言う。
「もうひとつは、結ばれた流れを、自分の手で断たないこと」
これは、と堂師さまは少し間を置いた。
「背中を預けてくれた人を、売ってはいけない、ということです」
それだけですか、と誰かが言った。
「それだけです。……この条の話は長くなりますので、またいつか」
たった二つですか、と最初の人が言った。
「たった二つです。いちばん重い層が、いちばん少ない。……縛るために律を頂いたのではなく、支えるために頂いた。その証なのだと言われます」
真ん中の層は、そう生きようと志す層である。弱っている人を見捨てない。無駄な殺生をしない。正直であること。沿えない日があっても、力は失われない。
「ただ、沿えなかった日は、軽く流さないほうがよいそうです。……自分はこうしたくなかった、と口に出しておく。それだけで、次が違うのだと」
じゃあ、なんで守るの、と子が言った。灯の話に戻ったのである。前のほうの子は、いつも二度訊く。
堂師さまは、少し考えてから答えた。
「手が覚えるからだと思います」
そして、いざというとき、という言い方をした。
送りの式では、亡骸を白布で覆い、灯を先頭にして、行列は日の沈むほうへ進む。墓所で祈りを唱え、その最後に司式者が灯の覆いを伏せる。
堂が、というより野が暗くなって、しばらく誰も動かない。それから司式者が静かに、環は開いている、と言う。会衆が、流れは、巡る、と応える。新しい灯がともって、行列は日の昇るほうへ帰る。
往きは日の沈むほうへ、帰りは日の昇るほうへ。消す灯と、ともし直す灯。式の全体が、教えを足で歩く形になっている。
「あの日は、手が震えます」
堂師さまは、自分の手を見た。
「わたしが初めて送りの式を執ったとき、灯の前で手が止まりました。何をするのか、思い出せなかったのです。……いえ、覚えてはいたのですよ。頭のほうが、動かなくなっていました」
堂が静かになった。
「そのとき、手が勝手に覆いを取りました。……毎晩やっていたことだけが、残っていたのです」
作法は覚えるためにあるのではなく、思い出せなくなった日のためにある——そういうことなのだと受け止めた。
「ですから、今晩からでよいので、吹かずに伏せてみてください。……お家の灯で構いません」
同じことは、祈りの言葉にも言えるのだそうだ。唱え慣れた文句は、悲しくて頭が真っ白になった日にも、口のほうが先に出る。
「あれを、暗記と呼ぶのは少し違う気がします。……体のどこかに、置いてあるのでしょうね」
戦場では、灯がないこともある。そのときは掌を伏せて、灯の作法に代える。祈りも、後半だけでよいのだそうだ。眠りは生の完成、という行より後だけを唱える。
「形の半分を欠いても、心の全部があれば、式は立ちます。……ただ、半分になった形のほうを覚えていないと、代えることもできませんね」
略式は手抜きではない、と教えははっきり言っている。堂師さまは、そこを二度繰り返した。
「野で亡くなった方に、堂と同じことをしてさしあげられないのは、こちらの都合です。……足りないのは形のほうであって、あの方の側ではありません」
それから、少し軽い話になった。
習わしの層には、辛い物を慎む、というのもある。辛い物には悪魔が宿る、と里では言うが、これは教えの言葉ではないそうだ。
「破っても咎めはありません。ただ、翌日は体が言うことをきかない。……分かって食べるなら、それはその方の選びです」
大きな笑いが起きた。堂師さまも笑った。子どもが、悪魔はいないの、と訊いた。
「教えは、言っておりません」
いるかもしれないの、と子が食い下がった。三度目である。
「わたしは、辛いものを食べた翌日の自分のほうがこわいです」
堂じゅうが笑って、子は納得しない顔をしていた。納得しないまま覚えて帰るのも、たぶん習わしの層の伝わり方なのだろう。
そう言って堂師さまは、その日の灯に覆いを伏せた。
いつもより、ゆっくりだった。話をしたあとだからだと思う。覆いが皿に触れて、小さな音がして、明かりが下から順に消えた。
堂は暗くなり、しばらく誰も動かなかった。子どももじっとしていた。
それから誰かが立って、外の戸を開けた。まだ、少しだけ明るかった。帰り道が見える程度には。