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中院通頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
中院 通頼
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 仁治3年(1242年
死没 正和元年8月8日1312年9月9日
別名 三条坊門大納言、土御門宰相中将
号:中院、土御門
官位 従一位准大臣
主君 後嵯峨上皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇花園天皇
氏族 村上源氏中院家
父母 父:中院通成、母:宇都宮頼綱の娘
兄弟 通頼通教、禅助、顕子、房子、三条実重正室
養兄弟:大炊御門冬忠?
姉小路顕朝の娘
通重通時鷹司冬平正室
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中院 通頼(なかのいん みちより、仁治3年〈1242年〉 - 正和元年8月8日1312年9月9日〉)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿内大臣中院通成の長男。官位従一位准大臣中院または土御門と号す。中院家3代。

経歴

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寛元2年(1244年叙爵左近衛中将を経て、康元2年(1257年)16歳で従三位に叙せられ、公卿に列する。その後、正嘉2年(1258年正三位正元2年(1260年参議弘長元年(1261年権中納言左衛門督、弘長2年(1262年従二位検非違使別当、弘長3年(1263年正二位文永5年(1268年中納言、文永6年(1269年権大納言と昇進を重ねる。弘安10年(1287年)権大納言を止められ、翌弘安11年(1288年)本座。

永仁5年(1297年従一位に昇叙し、准大臣宣下を蒙る。翌永仁6年(1298年奨学院別当となる。

正和元年(1312年)薨去、享年71。

官歴

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注釈のないものは『公卿補任』による

系譜

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尊卑分脈』による

脚注

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  1. 平戸記』寛元2年正月5日条
  2. 経俊卿記』建長5年12月2日条

参考文献

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