未完成婚・セックスゼロで母になる!?#36 童貞喪失・処女喪失はどこから?|膣性交なしの体外受精を経験して
好きという感情はあっても性欲はゼロ、ロマンティック・アセクシュアル気味で男性不妊の夫と、性欲多めの当時40歳の私が、射精セックスなしのまま妊活に奮闘中!
夫と一緒に暮らして約1年のとき、膣性交ゼロの未完成婚のまま体外受精を行なった。
非常に辛く悲しい体外受精だったが、受精卵移植の直前にわずかな時間であるが膣性交を実現できた。
膣性交ゼロで移植をしていたなら、どんなに夫からの愛情はあると頭では理解できていたとしても、心はぼろぼろに傷ついていただろうと想像した。
なぜ、わずかでも膣性交があったことで、私は落ち着いて凍結胚を移植できたのか?
その理由を深掘りしていたら、そもそも
『童貞喪失・処女喪失は、どこから定義するのか?またその理由は?』
という疑問が湧き上がってきた。
私は、心理カウンセラーでもなく、性の専門家でもないので、自分の意見が正しいかはわからない。
アセクシュアル気味な夫の妻として、セックスゼロの未完成婚を経験した立場から考えてみた。
まずは、『童貞喪失 どこから』で検索してみた。
童貞喪失(脱童貞)は、一般的に生まれて初めて女性と性行為(ペニスを膣に挿入)を行った時点を指します。性行為の有無が基準であり、これ以外に厳密な定義や科学的な判定方法はありません。
どこからが童貞喪失?:性器の結合(挿入)が基準。
基準:一般に、男性器を女性器(膣)に挿入した瞬間、またはその行為。
それ以外:キス、愛撫、オーラルセックスなどは通常、「童貞」の基準には影響しない。
あくまで主観や社会的な通念に依存する定義です。
次に、『処女喪失 どこから』で検索。
「処女喪失」は初めての性交(初交)を指し、主に膣の入り口付近にある処女膜が伸びたり破れたりする、または膣が拡張することで起こり、痛みや出血を伴うことがありますが、必ず出血するわけではなく、個人差が大きい**です。
ー中略ー
「どこから」の解釈について物理的な場所:膣の入り口(処女膜・膣口付近)。
経験的な感覚:初めての挿入による「伸びる」「破れる」感覚、痛み、そしてそれに伴う心理的な変化。
この2つから、『性行為:男性器を膣に挿入する』との認識が、一般的なんだろうと解釈した。
それは、なぜなのか?
約1年前に疑問に思ったときに、ふと読んだ文章が頭に残っている。
「たとえ避妊をしていたとしても、膣の中に男性器が挿入された時点で妊娠の可能性が生まれる。
女性側に『万が一、この人の子を宿してもいい』という気持ちがないと、挿入は許されない。
膣への挿入が童貞喪失の線引きのラインとなるのは、『妊娠の可能性を許可されるかどうか』を意味しているからだ。
妊娠の可能性の許可を得た者が、童貞卒業を許される。」
だいたい、こんなような見解だった。引用元を探したが、残念ながら見つけられなかった。
この言葉を読んだとき、膣性交ゼロの採卵期間では精神崩壊寸前だったのに、避妊ありで射精のない2分間の膣性交の後の胚移植は、精神を安定させて処置できたのはなぜなのか、その理由が腑に落ちた。
夫の挿入=夫との子を成す可能性を、受け入れたことが一度もない。それなのに、体外受精をして妊娠しようとしている。
自分の身体が許可をしていないのに、医療技術で妊娠しようとする不自然さから生まれる辛さは、論理的な思考で納得させられるものではなかったのだ。
体外受精に代表される生殖医療の歴史は、たった約50年しかないが、人類は生殖と関係なくセックスを楽しむために、紀元前から避妊の方法を研究し実行してきている。
現代では、コンドーム、ピル、ミレーナなど、避妊率の高い低いはあれど、いくつかの効果的な避妊方法が確立されている。
しかし、一昔前まではどうだっただろうか…
『昔の人 避妊方法』で検索してみた。
昔の人の避妊方法は、動物の腸や皮を使ったコンドーム、植物の種や羊毛を膣に挿入する方法、ハチミツや糞を使ったペースト、また、射精を避けるなどの物理的・自然的な手段が中心でした。古代から中世では、水銀やヒ素など危険な薬剤を服用するケースもありました。
詳細な歴史的な避妊法は以下の通りです。物理的・バリア法
動物の素材: 紀元前3000年頃のエジプトでは、ヤギやブタの膀胱、腸、魚の浮袋が用いられた。
植物・雑貨: 羊毛、ライム、ザクロの種などを詰める。
古代のキャップ: 16世紀には、リネン製の鞘状のコンドームが性病予防用として考案された。
薬剤・座薬
古代のペースト: ワニの糞やハチミツ、炭酸ナトリウムを混ぜたものが、膣内での殺精子剤として使用された。
危険な服用: 鉛、ヒ素、水銀など、劇薬が避妊効果を信じられて飲まれていた。
自然的な方法
膣内射精の回避: 古代中国やヨーロッパでは、射精を避ける「coitus interruptus」が普及していた。
ハーブ: ローマではシルフィウムという植物の樹液や根が避妊・中絶薬として高価に取引されていた。
近現代への移行
ゴム製品: 1900年代初頭には、日本でもゴム製のコンドーム(「突撃一番」など)が販売された。
これらの方法は避妊効果が不確実で、中には身体に深刻な悪影響を及ぼす危険な方法も多く存在しました。
色々と衝撃である……!!!
人々の何千年にも渡る試行錯誤が見え、その涙ぐましい努力にいたたまれない気持ちになる。
⬇️避妊具の写真もある、どれも痛そう!!やりたくないー!(泣) 現代に生まれてよかった………
このナショナルジオグラフィックの記事は、カトリックは避妊を認めないという文化的規範を覆し、ローマ教皇フランシスコが「避妊は絶対悪でありません」と発言していたことにも触れ、興味深かった。
それじゃ、望まない妊娠の確率がとても高い、挿入は妊娠の許可だなんて言ってられない、性産業に従事する吉原の遊女たちは、どうやって避妊してたのか検索したら、春画付きのおもしろい記事を見つけた。
和紙を膣に詰めて、終わった後にともかく水で洗う………
いや、無理だろう!!!
全長0.06mmの精子を、どう頑張ったって阻止できるわけない!!
ともあれ、こんなに痛い思いをする、死と隣り合わせの避妊方法で、おまけに信憑性も確実性もなかったのが、一昔前だ。
避妊方法を調べてたらおもしろくなって、ちょっと脱線したが、『性行為:男性器を膣に挿入する』となぜ定義されるのか?という話に戻ると…
人類の歴史では、避妊方法が確立されていない時代の方がはるかに長い。でも、性欲はずっとある。妊娠目的じゃない性行為だって、当然ある。
効果的な避妊方法がない時代、妊娠・出産という女性にとって生命を脅かす危険のある行為が性行為と捉えると、『膣に男性器が挿入されたか否か』が重要になってくるのは必然だ。
排卵日の性行為なら、先走り液(我慢汁ともいう、射精前に分泌されるカウパー液)でだって妊娠する確率は十分にある。
先端だけでも、1秒だけでも、男性器が膣に挿入されれば妊娠の確率は発生する。
『挿入したかどうか』がセックスの線引きラインなのは、文化的・世俗的な見解だけではない、妊娠のリスクという防御本能に起因していると考える。
『セックスする、挿入を受け入れる』ことは、『この人との子を成す可能性を受け入れる』こと。
私が経験したのは、その逆だった。
『挿入を経験していない、セックスをしていない』ことは、『この人との子を成す可能性はゼロである』こと。
生殖医療が始まる約50年前までは、これは当然、当たり前の摂理である。
私はその摂理から外れ、今の生殖医療の最高峰である体外受精でもって、挿入を経験せずセックスをしていないのに、子を成すことに挑戦した。
これはもう、
自然の摂理から外れた、本能に背く行為
だった。
そう考えると、私が経験した『膣性交あり、なし』での体外受精の辛さの度合いの差に納得がいく。
採卵のためのホルモン剤投与が、精神の乱れに大きく影響していることも十分考えられるので、一概には言えない。
それでも、膣性交ゼロでの体外受精の採卵期間は、精神崩壊寸前になるほど辛く苦しかった。
一方で、避妊ありで射精のない2分間の膣性交の後の胚移植は、精神を乱すことなく処置できた。
その後、2回目の膣性交(挿入時間短め、射精なし)を経て、2回目の体外受精も経験したが、1回目の膣性交ゼロ体外受精よりも驚くほどラクで、心が安定していた。
夫が私を好きなこともわかっている。
夫に性欲がなく性行為をしたいと思ってもいないのに、私が求めるからセックスをしようと努力しているのもわかっている。
挿入はなく回数は少なくとも、お互いへの愛撫や前戯はあり、それをセックスと呼べることもわかっている。
挿入や射精のあるセックスができるようになるまで妊活を待ってはいられない、40歳の私には妊娠出産できる残された時間が少なく、膣性交よりも先に体外受精を決行したのは自分の意志であることもわかっている。
頭ではいくら、これらのことを理解しても、どうしても心を本当に納得させることができなかった。
夫の精一杯の努力が愛情の証であるのに、膣性交にこだわる自分の心の狭さや、固定概念に縛られている愚かしさを感じ、苦しみを上塗りした。
セックスと子作りを切り離す、と決めて夫との再構築を選び、妊活に踏み出したにもかかわらず、膣性交ゼロの体外受精が辛くてたまらなかった。
私は言葉とは裏腹に、ついに最後まで、セックスと子作りを完全に切り離すことはできなかったのだ。
⬇️セックスと子作りを切り離し、夫と再構築し膣性交するよりも先に不妊治療をすることを決意したとき
⬇️膣性交ゼロのまま体外受精をはじめ、心身ともに限界寸前になったとき
でもそれは、心が弱いからとか、ホルモン剤で心が乱れていたからとか、そんな話なだけではなかった。
ヒトの前頭葉がどんなに発達し思考する生き物になったとしても、本能に背く行為をすることで生まれる辛さは、論理や思考でコントロールできるものじゃない。
未完成婚のまま
膣性交ゼロのまま
セックスゼロのまま
一度も夫から誘われないまま
一度も夫から触れられないまま
一度も夫の身体に触れられないまま
そんな状態に納得してるわけでもない、それでも捨てられない、夫へのなにかしらの情を抱いて、夫との子を成そうとしている女性たちへ
その辛さが、とんでもないのは当たり前だ!!
本能に背いているんだから。
その本能レベルの辛さを抱えながら
私たちは、がんばっている!!!
誰にでもできることではない!!!
だから、自分に自信を持って、ときには自分を労って…
