虎猫からの手紙【53】謝罪への道①──遺族の心を最優先にするということ
文通を始めた当初から、私たちは「謝罪」のあり方について、何度も話し合ってきました。
前回の記事(㊼)で、虎猫が「一生赦されないことを前提に生きる」という覚悟を語りましたが、そこからさらに一歩、具体的な行動へと踏み出すことになりました。
▼前回の記事
私は虎猫から事件の詳細を聞き、遺族への謝罪について積極的に動くことが本当に善いことなのか……と、ずっと自問自答してきました。
遺族の方々は、親子や兄妹とはまた異なる、それぞれの関係性の中にありました。
もし、彼らが新しい家族と共に、新しい生活を築いているのだとしたら。
いまさら過去の事件に触れることで、ようやく手にした今の幸せや日常が、再び揺らいでしまわないだろうか……。
実際の状況を知るすべはありません。
だからこそ、私は安易に謝罪へ動くことには慎重でした。
その懸念を伝えると、虎猫も「確かにそうかもしれない。中途半端な謝罪は、かえって相手に辛い思いをさせてしまうかもしれない……」と納得し、一度は謝罪の気持ちを胸に留めたまま、時を待つことにしたのです。
それでも──やはり謝罪したい。
一歩を踏み出し、償いの形を示したい。
虎猫はそう考え、まず被害者の方のために供養を行うことを決めました。
近くのお寺の住職さんにお願いし、位牌を建立して、永代供養をしてもらう。
その費用を、自分が日々刑務所で働いて得た「作業金」から支払うため、現在、願箋(がんせん)を提出して手続きを進めているところだそうです。
これは、誰に指示されたわけでもなく、虎猫が自らの意思で選んだ行いです。
虎猫は毎日、朝と夜に手を合わせ、被害者や遺族への申し訳ない想いを唱えています。
そして写経を続けながら、静かに罪と向き合っています。
これらは直接的な謝罪ではありませんが、彼なりの償いの形として、位牌の建立を考えたのだと思います。
事件から、すでに17年以上の歳月が流れました。
いま動くことが、遺族に再び辛い記憶を呼び覚まさせ、苦しめてしまうかもしれない──。
そのリスクを十分に理解した上で、虎猫は語りました。
「それでも、ケジメをつけたい」
その言葉を聞いたとき、虎猫の心はすでに決まっているのだと感じました。
私は手紙で、ひとつだけ大切なことを伝えました。
「ケジメは、決して自分のためのものであってはならない」と。
過ちを犯した者が謝罪するのは当然のことです。けれど、「自分が納得したいから」「自分が楽になりたいから」という自己満足の謝罪は、本来の形ではありません。
どこまでも遺族の視点に立ち、遺族のための謝罪でなければならないのです。
その想いを、丁寧に手紙に綴りました。
(虎猫からの手紙【54】に続きます)
