虎猫からの手紙㊼赦されないことを前提に生きる──舌打ち事件と虎猫の葛藤
虎猫は、改善指導「被害者の視点を取り入れた教育(R4)」の時間に、「赦し」について語り、同囚から舌打ちを受けました。
その日の出来事とともに、「遺族に謝罪したい」という揺れる胸の内を手紙に綴ってくれました。
虎猫の手紙
R4の舌打ち事件の起因は、私が「赦し」について話している時のことです。
その日、DVDを見せられました。
そこに映っていたのは、コンビニ強盗で人を刺殺した男でした。
その後、刑務所で被害者のことについての教育を受けて、犯した罪の重大さに気づき、謝罪文を送ったり、毎日手を合わせ祈ったり、被害者の会に寄付するなど…色々と行動に移してやっていたが、全く被害者の遺族から返事が届かない。
悩み…迷い…今やっていることに意味があるのかと疑問に感じていた。
今までの私たちを見ているようでした。
そこで、各自この男性に対する意見を述べよと言われた。
私も同じように、償いの意味を求め、罪との向き合い方に迷い、葛藤し、長期間悩みました。
「赦し」という見返りを抱いているから、結局は行動の核は他人のためではなく、自分自身のためになってしまい、最後は自己満足に繋がってしまう…
映像の男は、遺族から返事がないことに凄く悩み、これからどうすれば良いのか?
何をやれば良いのか?見失ったのです。
私は、返事がないことが遺族からの答えであると思った。
私たち加害者は、謝罪や償いなど、相手のためと言いながら、結局は自分のことしか考えていなかった。
一度謝罪文を送るだけで返事がくると思いますか?
逆の立場で考えたら分かるはずです。
大切な人の命を奪った者を、手紙の一通や二通で赦せますか?
私たちは一生、赦されない立場であることを、まず認めなければならない。
命を返さない限り、死者を元の人生に戻すことができない以上、「赦し」などあり得ないのです。
赦されることを願うのではなく、一生赦されないことを前提に、その事実を心に刻み込み、謝り続けること。
それこそが、奪ってしまった命に対する最低限の礼儀であり、償いの道に立つための唯一の姿勢なのだと思いました。
ここで舌打ちされました…汗!
今こうやって発言を振り返ってみると、加害者にとって気分の良い話ではないのは分かる…
だからといって舌打ちはないよね。
映像の男性も私たちも、償いや謝罪に対する迷いや疑問は「赦し」という見返りを意識の中に抱いているからではないでしょうか?
私たちの償いの道は、結論もなければ正解も和解もない。当然終わりもないと思っています。
実は最近、事件の遺族に接触したいと考えている。
前にも白猫に話を聞いてもらって、二次被害を避けるため、自ら接触することを断念したけど、このままで良いのかと考え始めた。
18年という歳月が流れ、気持ちも落ち着いてきて、当時の恐ろしい記憶も薄れた今、また当時の恐怖と悲しみを掘り起こさせて苦しめることを、一番避けたかったが、これはあくまでも私の勝手な想像でしょうか?
相手は、私の謝罪なんか望んでいないだろう。
謝罪したところで何も変わらない。
あるのは悲しい苦しい思い出しかないと考えている私は、逃げるための口実ではないか?
と思いました。
このまま何もしないのは一番楽かもしれない。
でもそれは、本当に相手のためを思っているのか?疑問に思った。
もしかしたら、このまま何もしないことは、相手にとって一番傷つくのかもしれない…
私自身にとっても一番ためにならないのだと思う…
私は、自分自身にケジメをつけたいです。
愛し合っていた2人を永遠に引き裂いた罪悪感も日ごとに重くのしかかっている。
一生背負っていくしかないけど、何もしないことを重く感じる一方です。
ケジメをつけたいのは、結局は自分の気持ちを楽にしたいだけの自己満足に過ぎないのかもしれない…
愛する大切な人の命が奪われた苦しみを知ることは、本人でないと絶対にできないと思っていますが、本当に申し訳ない気持ちを伝えたいです。
謝り続けていきたいです。
一歩踏み出したいと言ったらヘンに聞こえると思うけど、踏み出すと思っている。
白猫の意見や考えが聞きたいです。
率直に思っていることを聞かせてほしい。
白猫
まず、ここには具体的に書いていませんが、虎猫は同囚に舌打ちされたことに、かなりキレていました。
私はそれを指摘しました。
これも虎猫の手紙です。↓
虎猫
舌打ち事件は、また同じ事をされても黙って我慢するほうが正しいのかな?
大したことではないし、敬意の知らない奴はほっとけばいい、人と争う気持ちは良くないけれど…
私には、その大きい心と器がないよね。
自分を偽りたくないのです。
またやってくれるのを楽しみにしているのは、確かに人と争う気持ちの表れだと思う。
人の過ちを絶対見逃さない、許さない!
自分を棚上げして、正義を武器に相手を正論で叩き潰すのは逆に最低だよね…
器が小さいだけではなく偽りだよね。
自分の過ちは許してほしいが、他人のミスには厳しい人間に成り下がりたくないです。
やられたら絶対にやり返してやる!ではなく、
やられたら、やめてくださいね〜と諭してあげる…
それでもまた続いたら叩き潰せばいいよね〜笑
それで良いですか?
争うことが好きじゃない白猫に言われて、凄く考えさせられたのです…
白猫より
改善指導の場で「赦し」について真剣に向き合おうとした虎猫。
それは、彼が18年逃げずに考え続けてきたからこそ、出た言葉だったのだと思います。
一方で、手紙の最後にあった、
「それでも続いたら叩き潰せばいいよね〜笑」という一文には、思わず苦笑してしまいました。
「やられたらやり返す!」
これは、いかにも彼らしい剥き出しの反応です。
馬鹿にされたと感じた時に湧く怒りは、まだ彼の中に消えない「余裕のなさ」の表れでもあるのでしょう。
それでも——。
虎猫の怒りも、迷いも、揺れも。
そのどれもが、「自分を変えたい」という切実な願いの過程にあるものだと感じています。
その気持ちを丸ごと受け止めながら、これからも彼の言葉と向き合い続けていきます。
「遺族への謝罪」という非常に重いテーマについて、私なりの率直な考えは、また改めて別の記事(虎猫からの手紙【53】)で書きたいと思います。
▼こちらです。
