異質なものとの調和力 ──なぜ、ぼくは書くのか。
「なぜ書くのですか?」
もし、そう尋ねられたら、
以前のぼくは少し困っていたと思う。
記事を書くことは習慣になっていたし、
気づけば三〇〇〇を超える文章を綴っていた。
でも、
その理由を言葉にしたことはなかった。
最近になって、
ようやく一つの答えに辿り着いた気がする。
たぶん、
ぼくは世界に何かを教えたいわけじゃない。
自分が正しいことを証明したいわけでもない。
ただ、
暮らしの中で生まれる小さな違和感を、
そのまま通り過ぎたくないだけなんだ。
それは、
「異質」と言い換えてもいい。
自分という「同質」の外側にあるもの。

ぼくのセンサーは、
そこに反応する。
もちろん、
すべての出来事に反応するわけではない。
今日は暑いな。
今日は寒いな。
そんなふうに受け止めて終わる景色も、
暮らしにはたくさんある。
すべてに意味を探していたら、
心も思考も疲れてしまう。
だから、
ぼくのセンサーが反応するのは、
同質から少しだけ距離のある異質だ。
近すぎれば空気になり、
遠すぎれば興味にならない。
その「あわい」にだけ、
ぼくは立ち止まる。
その距離感は、
生い立ちや経験、
そして価値観によって
育まれてきたものなのだと思う。
だからこそ、
それは誰にも真似できない。
AIにも代替できない、
その人だけの創造の源泉なのだと思っている。
ぼくの場合、その源泉は、
トランス・サイエンス。
二項対立。
調和とハーモニー。
そして、
点描画のように世界を見る感覚がある。
個々の点(主義・主張)を尊重しながらも、
全体として調和する点描画が、ふと浮かぶ。
ジョルジュ・スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

パブリックドメイン(完全著作権フリー)
https://publicdomainq.net/georges-seurat-0014560/
それらは少しずつ混ざり合い、
いつしか一つの言葉になった。
「異質なものとの調和力」
この言葉は、
ぼくの創作の出発点であり、
帰ってくる場所でもある。
燕の巣の下に積もった白い糞。
誰かにとっては、
ただの出来事。
でも、
ぼくには、
そこにまだ名前のない物語が見える。
だから書く。
書くことで、
世界を説明しているようでいて、
本当は世界へ問いを返している。
「これは、本当にそうなんだろうか。」
「別の見え方はないだろうか。」
その問いを投げるたびに、
世界は少しだけ広がる。
そして、
ぼく自身の同質領域も
少しだけ広がっていく。
以前のぼくは、
記事をギャラリーに飾る作品だ
と思っていた。
その感覚は、
今も変わらない。
ただ、
一つだけ気づいたことがある。
ぼくが展示していたのは、
作品ではなかったのかもしれない🧐
問いだった。
暮らしの中で拾い集めた小さな違和感を並べ、
まだ名前のない物語を浮かび上がらせる。
一つの記事を書くたびに、
ぼくは世界の見え方を
少しだけ編集している。
だから文章は、
思考の記録でも、
感情の日記でもない。
書くことそのものが、
生きることの実験なんだ。
そして、
その実験の途中で、
「あ、私もそう感じていた。」
そう立ち止まってくれる人がいたなら。
ぼくの問いは、
ぼくだけの問いではなくなる。
それが、
何より嬉しい☺️
だから、
ぼくは今日も書く✍️
答えを残すためではない。
問いが生まれ続ける場所を、
この世界に少しだけ増やしたいから。
ぼくは文章を書いているのではない。
世界に散らばる、
まだ名前のない問いを、
読めるかたちに翻訳している。
《A Drop Remains.💧》
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