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異質なものとの調和力 ──なぜ、ぼくは書くのか。

「なぜ書くのですか?」

もし、そう尋ねられたら、
以前のぼくは少し困っていたと思う。

記事を書くことは習慣になっていたし、
気づけば三〇〇〇を超える文章を綴っていた。

でも、
その理由を言葉にしたことはなかった。

最近になって、
ようやく一つの答えに辿り着いた気がする。

たぶん、
ぼくは世界に何かを教えたいわけじゃない。
自分が正しいことを証明したいわけでもない。

ただ、

暮らしの中で生まれる小さな違和感を、
そのまま通り過ぎたくないだけなんだ。

それは、
「異質」と言い換えてもいい。

自分という「同質」の外側にあるもの。

ぼくのセンサーは、
そこに反応する。

もちろん、
すべての出来事に反応するわけではない。

今日は暑いな。
今日は寒いな。

そんなふうに受け止めて終わる景色も、
暮らしにはたくさんある。

すべてに意味を探していたら、
心も思考も疲れてしまう。

だから、
ぼくのセンサーが反応するのは、
同質から少しだけ距離のある異質だ。

近すぎれば空気になり、
遠すぎれば興味にならない。

その「あわい」にだけ、
ぼくは立ち止まる。

その距離感は、
生い立ちや経験、
そして価値観によって
育まれてきたものなのだと思う。

だからこそ、
それは誰にも真似できない。

AIにも代替できない、
その人だけの創造の源泉なのだと思っている。

ぼくの場合、その源泉は、

トランス・サイエンス。

二項対立。

調和とハーモニー。


そして、
点描画のように世界を見る感覚がある。

個々の点(主義・主張)を尊重しながらも、
全体として調和する点描画が、ふと浮かぶ。

ジョルジュ・スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

ジョルジュ・スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884-1886)
パブリックドメイン(完全著作権フリー)
https://publicdomainq.net/georges-seurat-0014560/

それらは少しずつ混ざり合い、
いつしか一つの言葉になった。

異質なものとの調和力

この言葉は、
ぼくの創作の出発点であり、
帰ってくる場所でもある。

燕の巣の下に積もった白い糞

通勤電車で転がっていったイヤホン

「026」という数字

誰かにとっては、
ただの出来事。

でも、
ぼくには、
そこにまだ名前のない物語が見える。

だから書く。

書くことで、
世界を説明しているようでいて、
本当は世界へ問いを返している。

「これは、本当にそうなんだろうか。」

「別の見え方はないだろうか。」

その問いを投げるたびに、
世界は少しだけ広がる。

そして、
ぼく自身の同質領域も
少しだけ広がっていく。

以前のぼくは、
記事をギャラリーに飾る作品だ
と思っていた。

その感覚は、
今も変わらない。

ただ、
一つだけ気づいたことがある。

ぼくが展示していたのは、
作品ではなかったのかもしれない🧐

問いだった。

暮らしの中で拾い集めた小さな違和感を並べ、
まだ名前のない物語を浮かび上がらせる。

一つの記事を書くたびに、
ぼくは世界の見え方
少しだけ編集している。

だから文章は、
思考の記録でも、
感情の日記でもない。

書くことそのものが、
生きることの実験なんだ。

そして、
その実験の途中で、

「あ、私もそう感じていた。」
そう立ち止まってくれる人がいたなら。

ぼくの問いは、
ぼくだけの問いではなくなる。

それが、
何より嬉しい☺️

だから、
ぼくは今日も書く✍️

答えを残すためではない。

問いが生まれ続ける場所を、
この世界に少しだけ増やしたいから。

ぼくは文章を書いているのではない。

世界に散らばる、
まだ名前のない問いを、
読めるかたちに翻訳している。


《A Drop Remains.💧

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