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転職組のマーメイド ④

酒にのまれ玄関に辿りついたマーメイド。
酒を波、玄関を沖、と変換すれば、まんま本家になってしまう状況である。
今から家を出れば就業時刻に間に合うが、尾鰭が動きそうにない。
会社の携帯を取り出し、とりあえず会社に休みの連絡を入れようとした。
白鳥部長に電話しようとしたが、酒で声も奪われ、これもまた本家みたいな状態である。

『本日、体調不良でお休みします』

とりあえずショートメールで送った。
すぐに返信が来た。

『お大事に』

休み連絡が届いたことに安心したら、あんなに重かった尾鰭が軽くなった。

玄関から部屋に移る。音がないので、普段観ないテレビをつけた。
各局、暗いニュースばかりで気が滅入る。チャンネルをザッピングしていくと、子供向け教育番組にたどり着いた。
デフォルメされた動物たちの着ぐるみが、人間の小さな子供たちと歌って踊っている。偽物の動物たちは、子供の三倍ほどの大きさであるが、子供たちは怖がることもせず、笑顔でハイタッチをしている。
眺めているうちに『終』のマークが表示され番組が終わった。
その後、間髪入れずに工作番組が始まり、中年男性と着ぐるみが風車を作りはじめた。
まずはじめに、こちらに紙コップを用意しろと促してきた。
そんなに都合よく家には無い。家にある前提での説明に少し苛立つ。
ただ幸いにも、他に必要な割箸とプッシュピンは用意できそうだった。
割箸は昼食を買うときにコンビニでもらえばいいし、プッシュピンは壁掛けカレンダーを剥がせばいい。
作り方を、仕事用で買ったが使用していないメモ帳に書きこんだ。そして、テレビの中で中年と着ぐるみが風車を回したのを見届けた。

そのあと必要である紙コップを買いに近くのコンビニへ向かった。
到着して、割箸をもらうためだけの昼飯と、紙コップを探した。
昼飯はうどんにした。食べたいというより、今はそれくらいしか食べられない。
普段行かないコーナーを覗くと一角に紙コップが置かれていた。
うどんと紙コップを持ってレジに並ぶと、いつもよりセルフレジが混んでいた。

有人レジを覗く。見慣れない姿があった。
体はコンビニの制服。顔は牛。
新人のミノタウロスが立っていた。
制服から見える手元は色白で繊細そうだが、ミノタウロスらしく胸板は厚かった。
ミノタウロスは、公共料金の支払いの対応に手こずっている様子で、隣で高校生のバイトが手取り足取り教えていた。
並んでいた客たちがセルフレジに流れるなか、そのまま有人レジに並び続けた。

「次の方どうぞ」

公共料金の支払い処理を終えたミノタウロスに呼ばれた。

「袋いりますか?」
「いらないです」
「お支払いは?」
「現金で」
「レシートは?」
「いらないです」
「温めは?」
「大丈夫です」
「イートインは使いますか?」
「大丈夫です」

ミノタウロスは覚えたてのマニュアル全開の対応だった。

「524円になります」
「割箸をください」

側からみていると、自分もあんな感じなのかもしれない。

家に帰ると、さっそく風車を作りはじめた。紙コップをハサミで縦に八箇所に切れ込みを入れ、外側に斜めに折って広げる。広げた紙コップにイラストを書き込む。とりあえず八つある面を一つ飛ばしで四面、青のマジックペンで棒人魚を描いた。
そして、底の中央にプッシュピンで穴をあけ、そのまま割り箸に刺して固定した。
完成。
ためしに息を吹きかけると、思ったよりもしっかり回った。
棒人魚が走っているように見える。走り続けていると、雑な絵でも綺麗な青のグラデーション模様に見える。
息を吹くたび、棒人魚は走っては止まった。


次の日。目覚めると体調は回復していた。何回も、いろんな箇所の熱を測っても平熱であった。ため息をつき、もう一度、クッションに横たわった。
そして、今日も会社を休むことにした。
休む正当な理由が何もないので、会社には連絡を入れなかった。
始業時刻を一時間ほどすぎたあたりで、会社携帯に山本さんから着信が来たが、そのまま放置した。デフォルトの着信音をフルで初めて聴いた。

また昨日のように、教育番組にチャンネルを合わせ、工作番組を待つ。今日もまた偽物の動物達のハイタッチを見送ると、今回は粘土で作られたアニメーションが始まった。
番組表を確認すると工作番組は不定期の放送らしい。

手持ち無沙汰になると、急に腹が減った。
炊飯器を覗いてみたが、米は残っていなかった。
新たに炊くために米の袋を開けた。米を見るたび母親が思い浮かぶ。
もし、今の自分を母親が見ていたら、米は送られてくるのだろうか。この米を食べる権利はあるのだろうか。そう考えたら、米を研ぐ気になれなかった。

しかたがなくコンビニに走った。
本当は家に米があると思うと、ご飯ものはもったいなくて買えない。
結果、昨日と同じようにうどん類から選ぶことにした。昨日よりも自分が進歩していると思い込むため、カレーうどんにした。

レジに並ぶと昨日の新人ミノタウロスがいた。
今日も有人レジはガラガラだったので、すぐに案内された。

「袋いりますか?」
「いらないです」
「お支払いは?」
「現金で」
「レシートは?」
「いらないです」

温めてもらうつもりだったが、何も聞かれず、そのまま会計が終わった。

家について、早速レンジでカレーうどんを温めた。表記の時間どおりに温めたのに、温かい部分と冷たい部分が不均等になっていた。
冷たい部分が口に触れる。不思議と心は落ち着いている。多分、それはミノタウロスの至らなさのおかげだ。


職場に行かなくなってから、一週間が経った。
どんなに始業時間をすぎても、会社や山本さんからは何も連絡が来なくなった。
好きな時間に起きたり起きなかったり、好きな時間にテレビをつけたりつけなかったりした。
それでも空腹は、毎日、律儀に規則的にやってくる。まだ母から送られる米を食べる気も起きず、コンビニへ向かう。
食料品を一通り眺め、できるだけデカくて安いカップ麺を持ってレジに並んだ。
有人レジにはまたミノタウロス。
列を見ると、今日はなぜかセルフレジには人が並んでおらず、有人レジに人が集まっていた。
ミノタウロスの勝利。
勝負を面白くするために、はじめてセルフレジに並ぶことにした。
商品をスキャンした後、いくつかの項目をタッチパネルで回答し、機械に現金を投入した。
パネルに『ありがとうございました』と表示されると同時に、エラー音が鳴った。レシートの紙切れらしい。
焦って周りを見渡すと店員は、有人レジのミノタウロスしか見当たらない。

「レシートの紙がないらしいです」

忙しく作業しているからなのか、声が通らないからなのか、ミノタウロスは無反応だった。

「あのー」

何回も声をかけながらミノタウロスに近づく。
気づけば、有人レジの内側まで入っていた。
ミノタウロスと人魚がレジの内側に並ぶ奇妙な空間。
ミノタウロスの手元にはボロボロなメモ帳があった。
ようやく気づいたミノタウロスは作業を中断し、手際よくセルフレジのレシートの紙を変えた。

「大変失礼いたしました」

ミノタウロスは詫び、すぐに有人レジに戻り仕事を続けた。
ミノタウロスは次々と商品をぎこちなくスキャンする姿を、セルフレジからしばらく眺めていた。

コンビニから外に出ると、いろんな企業名が書かれた営業車が走っている。
漢字だったり、カタカナだったり、ローマ字だったり。
今からでも、戻れるだろうか。
微かな曜日感覚を呼び覚ました。
ギリギリ間に合う気もしたし、ダメな気もした。


次の日。
晴れていたので、何事もなかったかのように会社に向かった。
道は覚えてるのに、初日より尾鰭は重たかった。
職場へ入ると、変わらずショパンたちはいつも通りキーボードを叩いていた。

「おはようございます」

どさくさ紛れに、いつもと変わらない控えめの声量で挨拶をすませ、席に座った。
すると、ショパンたちの手が止まった。
全員からの視線を感じる。

「あ、ナリエル!」

ショパンたちが騒つく。
あだ名が、いつのまにか陰口からメジャーへ昇格していた。
白鳥部長が近づいてくる。
無表情だった。

「成田君。ちょっと別室で話そう」

入ったことのない小さな会議室についた。

「すみませんでした」

謝罪をしても、部長はまだ表情を変えなかった。

「俺も実は、新人のとき仕事を飛んだことがあるんだ。だから成田くんの気持ちはよくわかる」

説教がはじまると思って身構えていたが、昔話がはじまった。
過去の辛かった思い出。今のポジションに至るまでの経緯。ここからは雰囲気だが、犬を仲間にしたり、亀を助けたり、そういう話だったと思う。
そろそろ、鬼が出てくるだろうか。
鬼を倒さなくても、部長は置かれたレールの上を進むだけだろう。
めでたし、めでたし。
そう思いながら話を聞いていると、部長は目を真っ赤にして、今にも溢れそうな状態だった。
レールから降りられないのも、それはそれで辛いのかもしれない。

会議室を出る。
フロアへ戻る途中、部長がふと思い出したように言った。

「この前、山本を教育係にするつもりじゃなかったって話したけど、やっぱり山本で正解だった」
「え」
「成田君が休んだの、自分のせいだと思ったらしい」

山本さんはもっと無神経な人間だと思っていたし、そうであってほしかった。


部長とフロアに戻った。
机に座ると、隣で山本さんが外出の準備をしている。
これから同行なのに、目線が合わなかった。


久しぶりに、傷のついた営業車に乗る。
インターから高速道路に入る。

「すみませんでした」

謝罪は走行音にかき消された。
山本さんは無反応だった。
車内ではラジオだけが流れている。
話題に困っていたら、知ってる声が流れた。

「aiko新曲出したんですね」
「aikoちゃう。SHISHAMOや」

山本さんは、ようやくそれだけ言って黙った。

しかたなく窓の外を見る。
遮音壁の向こうに緑色の山が見える。
それも、すぐにトンネルに入り見えなくなった。
暗闇を等間隔に配置されるオレンジ色のランプだけが照らす。
このままaikoが流れず、ラジオも途切れた。

「あの……怒ってますか」

この時間に耐えられなくなり、一か八か聞いてみた。
山本さんは前を向いたまま答えた。

「怒ってるよ。めちゃくちゃ腹たってるわ。当たり前やん」

ようやくトンネルを抜けた。
再びラジオが流れ、窓の外が見える。
遮音壁の向こうは、さっきよりも緑が増えていた。
山本さんはタバコを取り出したが、今日はそれをもらう勇気は出なかった。



⑤へつづく

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