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ゴスロリは、熟れてこそ

 二十歳の初夏、待ち合わせ場所に現れた彼女の背には、あろうことか白き翼がバサァッと羽ばたいていた。幾重にも重なる羽根の造作はあまりに立派で、それは彼女の背後で左右に大きく弧を描き、日常という名の平穏を鮮やかに切り裂いていた。
 縦ロールに巻かれた髪は豪奢ごうしゃな額縁のように顔を縁取り、漆黒のドレスはパニエによって豊潤に膨らんでいる。どこをどう切り取っても、私の卑近ひきんな日常には存在し得ない、異界の住人であった。

「うわ、マジか」

 あえなくこぼれ落ちたその一言は、取り返しのつかない失言であった。初デートにおいて、意を決して天使へと転生を遂げた乙女に対し、これほど無作法な感嘆があろうか。

 彼女の瞳に、みるみるうちに涙が溜まった。

 しかし、それはあまりに、過剰なまでに目立った。ハマダーの格好をした私の傍らを、黒いフリルをシャラシャラ波立たせる天使が歩む。すれ違う人々は一様に足を止め、幼子は驚嘆に目を見開き、背後からは好奇の視線が突き刺さる。
 HEP FIVE前の横断歩道を渡る行為が、図らずもパレードへと変質していく感覚に、私はひどく狼狽した。

 それが、私とゴシック・アンド・ロリータとの出会いである。

 その後、彼女の装いは緩やかに、しかし確実に変質していった。厚底にミニスカート、細く整えられた眉。かくして、梅田に降臨した黒衣の天使は、私の独善的な美学によって、少しずつアムラーへと改宗させられ、背中の翼も、いつしか記憶の彼方へ飛び去った。

 それから、二十余年の歳月が流れた。

 昨今、秋葉原を歩けば、あの頃の残影を思わせる女性たちが散見される。しかし、彼女たちのまとう布地は、私の記憶にあるゴスロリよりも随分と心許ない。
 かつては背中に翼を足すことで完成されていた美学が、今はどう引くことで成立しているかのように見える。

 そして、困ったことに、私は布が少ない方が好きである。むしろ、深く傾倒していると言っても過言ではない。

 ただし、ここには看過できない問題がある。

 可憐な少女がフリルに埋もれる姿に、心がスン……と冷め、ピクリと傾かない。私には、ロリへの趣味がなかった。むしろ、年齢を重ねた女性が、黒いレースとコルセットを纏っている姿にこそ、あらがいがたい情趣おもむきを感じる。

 繊細なレースの隙間から、積み重ねられた人生の陰影が透けて見えるのが望ましい。フリルの甘美さと相反するように、その眼差しには静かな諦念ていねんが宿っていてほしいのだ。ボンネットの陰から、住宅ローン完済という世俗的な達成感さえ漂ってくれば、もはや至高である。

 ところで、ゴスロリとは、一体どこまで脱ぎ去っても、そのアイデンティティを保ち得るのだろうか。

 黒いレース。釣鐘状に広がるスカート。足元を固める編み上げのブーツ。単に露出を増やせば良いというわけでもない。節度を失えば、それは卑俗な欲望の吐露に成り下がる。

 胸元をくつろげたい。脚線も露わにさせたい。だが、布地を削りすぎれば、それはただの下着姿へと転落する。
 チョーカーさえ巻いておけば許されるのか。あるいは、パニエという骨組みさえ残っていれば、まだゴスロリを名乗れるのか。考えれば考えるほど、自らの性癖を供述しているようである。

 私が愛しているのは、ゴスロリではないのかもしれない。

 街の向こうで、私とは無縁の淑女が黒いレースを纏い、矜持きょうじを持ってフリルを揺らしている。その孤高の光景を遠くから眺めることこそが悦びである。

 鑑賞には、侵してはならない適切な間合いがある。

 二十歳の私が困惑した理由も、そこだった。何しろ、私の隣にいた。あまつさえ、天使の翼まで生やして。

 仮に、ある日突然、妻が漆黒のフリルに身を包み、縦ロールを揺らし、背中に白亜の翼を携え、「どうかしら?」と、リビングに降臨したとしたら……。

 おそらく私は、二十歳の頃よりも遥かに洗練された、大人の対応を見せるだろう。
 一切の動揺を見せず、無言で冷蔵庫の扉をカパッと開く。あたかも卵の在庫を確認するかのような平熱の眼差しで、見なかったことにする。

 ゴスロリは、熟れてこそ。

 ただし、見知らぬ他人さまに限る。

꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖꙳✧

🖼️ 第一回ゴーストライティン絵画祭

 ここまで書いてから、念のため「空手家パパ主催 #ゴーストライティン絵画祭 」の企画概要を読み返しました。どうやら私は、根本的に何かを間違えていたようです。

 「 #ゴス祭り 」とは、ゴスロリについて己の性癖を告白する祭りではありませんでした。架空の作家にテーマを託し、その人生まで含めて一枚の絵を楽しむ企画だったのです。

 私は何をしていたのでしょう!?元カノを泣かせ、熟女を愛で、妻から逃げていました。

 どうやら、制作エピソードが必要だったようで貼り付けておきます。

題名:君が熟れるまで
制作エピソード:
 二十歳の初夏、街角で黒いレースを纏った年上の女性を見かけた。少女のための服だと思っていたフリルが、その人には不思議なくらいよく似合っていた。甘さの奥に、長く生きた人が持つ静けさがあった。大学のアトリエへ戻ると、まだ覚えたての絵具を惜しげもなく重ね、何度も輪郭を描き直した。上手く描けない部分ほど、手を止められなかった。

 その頃のMomoの絵は、まだ誰にも求められていない。けれど彼女は、いつか絵にも人にも、似合う季節が来るのだと信じていた。

 さて、今回の壮大な勘違いを生み出した原因については、すでに調査を終えています。

 空手家パパさん
 コロッバー師匠
 はるまき大臣さん

 企画名に「ゴス」と書き、ゴスロリ賞まで用意し、私の性癖を誘導した罪は重い。というわけで、しかるべきご褒美を加えておきました😘✨

題名:華麗なる回し蹴り
制作エピソード:
 最も美しい角度から蹴り飛ばされたいという、本人の強い希望を止める者は誰ひとりいなかった。飛ばされながらも視線の先には恍惚が宿っており、「Motto Motto」の声がこだました。

題名:望まれた晩餐
制作エピソード:
 雪の庭園にて、師匠は踏まれる役と食べられる役の両方を志願したが、さすがに処理しきれないため、今回は踏まれる側に専念していただいた。高笑いする令嬢を見上げるその顔は、敗北ではなく達成感すらあった。

題名:玉座としての春巻
制作エピソード:
 本人の申告によれば、「踏まれるより、座られる方が上級」とのことで、今回は倒れたのち椅子として仕える栄誉を授与した。ご満悦の表情で腰掛ける令嬢の重みを受け止めながら、終始嬉しそうに大臣は己の職責を全うした。

 以上の作品をもちまして、ゴスロリ祭りへの理解を深めるための自主研修を終了いたします。

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