笑いと僕 第2話:TOKYO
中学での「海老反り」で、自らを犠牲にしてとる笑いの味を知ってしまってからというもの、僕の思考回路は少しずつ過激な方向へと進化していった。自分は、例えばトークなどといったセンス系のことより、海老反りのような常軌を逸した行動を取った方が、人に何倍も笑ってもらえるということに気付いたのだ。
そこからは、平均からいかに逸脱した行動をとるかということを意識し、笑いをもぎ取っていった。そしてそれが僕の日課となり、生き甲斐にさえなっていた。
高校に進学した頃、僕のその生活は、ひとつの「危険な哲学」を育んでいった。
そもそも「笑い」って何だろう。なぜ人は笑うのだろう。 呼吸や排泄のように生物として生存するために必要な機能では、どう考えてもない。にもかかわらず、なぜ人間だけが他の動物と一線を画し、腹を抱え「ハッハッハ」と発作のように喉を鳴らすのか。
数週間の熟考の末、当時の自分が導き出した仮説は、これだった。
笑いとは、警報だ。
意味が分からないと思うので、解説させていただく。人間は古来から集団の中に明らかに様子がおかしい個体が現れたとき、「異常事態だ」「危険な奴がいる」と仲間内に知らせる必要があったはず。そのシグナルこそが「笑い」なのではなかったのだろうか、というのが当時の僕の仮説だ。
現にその場にそぐわない行動をした人やあえて口に出すべきではないことを言った人に、人は笑っている場面が多いと感じたのだ。つまり、人間が集団で「ハハハハ!」と声を揃えて笑うのは、目の前にある異物に対する警報であり、言わば生存本能のシグナルなのではないか。
今考えれば、ツッコミどころ満載な、いくらでも反証可能な仮説である。
しかし、笑いが生物としての危険シグナルであると仮定するならば、それを取るための答えは、至極簡単だった。危険であればいい。僕自身が、この集団の中で最も壊れた、異様な存在になり続ければいい。尊大な表現になってしまったが、要は人が常識的に取らないような「変なこと」をし続ければいいというのが僕の笑いにおけるモットーになった。
その仮説は今考えるとあまりに乱暴であり、一歩間違えれば犯罪までいってしまう可能性もあったが、笑いを取るという観点においてはあながち間違いではなさそうだった。常軌を逸すれば逸するほど、僕はクラスメイトから笑いを取れるようになっていった。
高校に入学した当初、僕はまず軽音部に入った。当時はモテの方向にも少し興味があったし、尾崎豊に深く傾倒していた。ロックがあれば、彼のような破滅的で優しいスターになることができると思った。
しかし現実として2010年代の軽音楽部というものはBUMP OF CHICKENやエルレガーデンをすまし顔で演奏する場所であり、それが性に合っていなかった。地道なギターの練習を続けられるような精神力はなく、週に一度の部室での音合わせがひたすら憂鬱で息が詰まった。そのうえ頭の中では音楽ではなくお笑いのことばかり考えている僕は、あっさりとクビを言い渡された。
放り出された僕を拾ってくれたのは、同じクラスの友達だった。 「中学のとき、卓球部だったんだろ? 来いよ」
連れて行かれた体育館の上の小部屋のような場所。高校では自分のレベルよりもうんと賢い高校に入ってしまい「なんかみんな冷めてて面白くないな」と失望していた僕の目の前に、信じられないほどの猛者たちが揃っていた。
チビのツッコミマシーン。アフロデブ。めちゃくちゃ声が残念なイケメン。宇宙人みたいなやつ。若干ソッチ系のやつ。
まるでギャグマンガの世界だった。
卓球台を挟んで、全員がラリーの合間に猛烈な勢いでボケとツッコミを飛ばし合っている。おしゃべり卓球部。そこは、男子校のような熱気と笑いに飢えた怪物たちの溜まり場だった。

そんな環境にも慣れてきて、試しに僕がラリーの途中でふざけた一言を放った瞬間、体育館の空気がピンと張り詰め、次の瞬間には部員全員が腹を抱えて爆笑した。
「あ、自分の居場所はここなんだ。」
直感でそう感じた。
週一の軽音部で感じていた憂鬱が、嘘のように吹き飛んだ。それから僕は毎日卓球部に通い詰め、笑いのリミッターを完全に解除した。部活の最中、突然服を脱ぎ捨て、体育館中に響き渡るような異常な声量で、クイーンの『We Will Rock You』をアカペラで全力で熱唱する。
ドン、ドン、チャッ。足を踏み鳴らし、叫べば叫ぶほど、床を叩いて腹を抱える部員たち。 僕という異常な個体の出現を知らせる警報の合唱は、体育館の小部屋を突き抜けるほどの大音量となって僕を包み込んだ。今考えると、高校生特有の意味不明なノリといった感じであまり面白くはないが。
いつしか会話のラリーの中で、どんな角度から球が飛んできても、僕は即座に打ち返して場を沸かせられるようになっていた。同級生相手にも、先輩相手にも、口を開けばバンバン笑いが取れる。夜な夜なお笑い番組を見続けたことによって、当意即妙なトークもそこそこいける口になっていたのだ。
そんな環境も相まって、僕は学年でも「あいつは面白い」というキャラを確立することができていた。
しかし、光が強くなればなるほど、影も濃くなっていくもの。 男達がお腹を抱えて笑い転げるその反面、女子たちからの支持率は日に日に下がっていった。否、もともとなかったものがマイナスになったという感じだ。
もともと中学の頃から女子には"無"として扱われていたが、高校で服を脱ぎ、下ネタを叫び、床を這いずり回る僕を見て、女子の目線はもはや軽蔑を通り越して「汚物を見る目」そのものへと変わっていった。 廊下ですれ違えばスッと距離を取られ、冷ややかな視線を浴びさせられた。
胸の奥に、どす黒い悔しさが膿のように溜まっていった。 どれだけ身体を張って場を沸かせても、現実の男としての価値は下がり続けている。笑いを取れば取るほど、生身の人間から遠ざかって行く感覚があり、ただ嗤われるだけの哀しきピエロになっていった。
(ふざけんなよ。お前らが一生かかっても聞けないほどの笑いを、俺は1日でかっさらってやる。)
その「歪んだ執念」が最高潮に達した高三の春、僕は学校で波長の合う同級生を見つけ、漫才をやろうと持ちかけた。相方は一日悩んで、僕の誘いを承諾してくれた。
放課後のファミレスや公園のベンチで、ああでもないこうでもないとノートを突き合わせ、ネタを練り上げる。お互いのこだわりがぶつかり合い、構成のテンポやボケのチョイスで何度も揉めながらも、人が笑うに適切な言葉を無駄なく配置していく作業は、途轍もなく刺激的であった。
本番の2週間ほど前、ネタも完成してきたころ、学年のリーダー格だった横田が、僕たちの前に立ちはだかった。
「お前ら、漫才どこでやる? 藤棚か、それとも後夜祭の校庭か」
試されているのが分かった。藤棚は校舎と校舎の間の小さなスペースであり、収容人数はだいたい100人以下。もしスベっても「身内のノリ」で済まされる。だが、後夜祭はほぼ全校生徒、先生含めおよそ1000人ほど参加する。もし後夜祭で、校庭のど真ん中でスベれば、残りの高校生活は完全に終わる。
僕は横田を見据えて、即答した。
「いや、校庭しかないっしょ」
逃げ場を塞ぎたかった。 透明人間になりかけたあの日々も、地下鉄で悶々と考え続けた日々も、女子たちの視線に傷ついたプライドも、全部まとめてこの校庭のど真ん中で精算してやる。何より自分が夜な夜なテレビやYouTubeで食い入るように見続けたお笑いが、絶対的に正しいということを証明してやりたかった。
ついに文化祭が終わり、後夜祭が始まった。校庭にはおよそ1000人の生徒が集まり、異様な熱気でざわついていた。 ようやく僕たちの番が来てマイクの前に立つ。後夜祭、心臓が肋骨を突き破りそうなくらい跳ねていた。
「どうもー、二人合わせてキツネです。お願いします」
パチパチパチ。知った顔たちから拍手と「がんばれよー!」的な激励をいただき、ホッとしたその瞬間。
頭が真っ白になった。最初の第一声がどうしても思い出せない。パニックだ。喉がカラカラに張り付き、冷たい汗が背中を伝う。隣に立つ相方の視線、そして大勢の人から向けられる視線を感じながら、必死に練習の記憶を手繰り寄せ、ギリギリのところでなんとか台詞を絞り出した。
「………結婚式のあいさつって緊張しますよねー」
なんとか、漫才が始めることができた。第一声のあとは芋ずる式にスルスルと言葉が出てきた。最初のボケがウケたことで、そこからは調子を掴んでいった。練習した通りトスを上げ、ボケを打ち込み、掛け合いが加速していく。練り上げた台本に間違いはなく、計算したところで笑いが返ってきた。
そしてネタの中盤、自信のあるくだりに入った。結婚式で父親から娘へ手紙を読み上げる場面、僕はポケットから手紙を広げるフリをして、五文字のアルファベットが大きく印刷された紙を見せながら、ボソッとつぶやいた。
「……トーキョー。」

僕がネタ作りの中で発案した、2020オリンピック開催地発表の瞬間の、あの理事長のオマージュだった。当時、日本中の誰もが擦り切れるほどテレビで見た、あの「溜め」と「言い方」を完コピしたのだ。
僕の声がマイクを通し、スピーカーから射出されたその瞬間。
ドォォォォンッ!!
向こうの方で、何かが爆発したのか?と思った。大地が揺れた。 校庭を埋め尽くした全校生徒総出の大警報が、地鳴りのような轟音となって足元から突き上がってきた。
おそらく、実際の「トーキョー」の瞬間よりも盛り上がっていたんじゃないかと思う。
ウケた。狂ったようにウケた。 男子も、女子も、後見人の横田も。全員が腹を抱えて膝から崩れ落ちている。オチまで笑いの波が途切れることはなく、最後の礼をして顔を上げたとき、僕は真っ白な全能感に包まれていた。
漫才をやってからの学生生活は、とにかく楽しかった。誰でも自分の言うことを笑ってくれたし、女子にも多少ちやほやされた気がする。
その後、体育祭でも、卒業式でも、僕たちは漫才で笑いを取り続けた。他にも、有志団体「心技体」の台本を書き上げ、先生まで巻き込んだ大爆笑の劇を完成させたとき、僕は完全に有頂天に立っていた。
ああ、自分は「笑い」の天才だったのか。
だが、その行き過ぎた万能感と笑いへの絶対的信頼こそが、その後の人生における残酷な罠だった。
卒業式で桜のアーチをくぐり抜けた瞬間、僕を包んでいたあの温かい警報音の合唱は、冷たい社会の風にかき消されていった。 社会という、無関心で広大な海に放り出された僕を待っていたのは、何者でもない自分と、笑いという底なしの沼に手足を絡め取られ、引きずり込まれていく惨めな青年の姿だった。
第3話:靴
