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わが心の近代建築Vol.121 九段ハウス(旧山口萬吉邸)/東京都千代田区

みなさん、こんにちわ。
最近は古民家建築などの和風建築ばかり記載していた当ブログですが、今回は久々に本格的な洋風建築として、東京都千代田区九段に保存されている九段ハウス(旧山口萬吉邸)について記載したいと思います。この邸宅に関しては、自宅からも近かったものの、なかなか訪問する機会がなかったのですが、偶然公開イベントにあたることができたので、やっと記載できる状況になりました。

【九段の歴史】
❏江戸期の九段坂について

この邸宅がある九段について記載すると、名前の由来として、坂に沿って御用屋敷の長屋が九つの段に沿って建てられたとも、旧坂であったため九つの段が築かれたためとも言われています。
また、道幅も広く急傾斜だったことから江戸市中でんも顕著な下町戸山の手の境界で、坂上からの展望が絶景であることから名所として有名でした。

東都名所坂つくしの内 飯田町九段坂之図 歌川広重 (1797-1858)
【文化遺産オンラインから転載】

❏維新後〜帝都復興事業について
明治維新後は坂上野幕府の馬場付近を中心にして東京招魂社とうきょうしょうこんしゃ(靖国神社)が創建され、靖国神社の南側が花街だったのに対し北側には数多くの教育機関が置かれる文教地区として栄えました。
関東大震災後の帝都復興計画で、急坂だった勾配が緩和されて靖国通りが整備され、東京市電が通れるようになりました。

帝都復興後の九段坂付近(後方にみえるのは靖国神社)
【Wikipediaより転載】

❏現在の九段界隈について
関東大震災以降は今までの文教地区として以外にも、九段会館(旧軍人会館)などが建つ軍都として栄え、戦後は、1970年までが都電が走るほか、1954年の千鳥ヶ淵戦没者墓苑が造られたほか、1964年の日本武道館設立などの他、多くの自然を愉しめる環境になっています。

千鳥ヶ淵の桜
【Wikipediaより転載】

【施主 山口萬吉氏について】
❏山口家について

山口家は刈羽郡小国おぐにまち(新潟県長岡市小国町)の豪農 大庄屋として地域を取り締まった一族で、明治期からは新潟議会議員を務めるほか、地の都有力者を集め、誠之社を設立し、石油 鉄道 金融 電力などの様々な事業を手掛け、新潟県の発展に大きく寄与しました。
初代山口萬吉やまぐち まんきちは表三之町(現 新潟県長岡市)で家を興し、小間物問屋「山万商店」を設立しますが、3代目萬吉が戊辰戦争に物資を調達することに商機を見出し、戦火を潜り抜けながら財を成し、戦後は長岡復興に尽くしました。

❏5代目 山口萬吉
5代目山口萬吉やまぐち まんきち(1897〜1977)は20歳を前にして母方叔父を頼って渡米し、8年間勉強に勤しみ帰国します。
帰国後に、「耐震構造の父」と呼ばれた内藤多仲ないとう たちゅうと出会い、関東大震災を体感した萬吉は、内藤多仲が考案した耐震構造理論に共感し、木子七郎 今井兼次の協力のもと自邸を建てます。
萬吉は芸術的感性にも長け、建物はもちろんのこと、内装や家具類にも強いこだわりを見せ、現在もその一部が建物内に残されていますが、家具ユア建具に関しては、鳩山会館 明治生命館などの家具類を担当した梶田恵かじた めぐむに依頼し、その費用は建設費と同額になりました。

❏九段ハウスの歴史
九段ハウスは5代目 山口萬吉の邸宅として1925年に着工し、設計期間中は意匠設計を担った木子七郎きご しちろう今井兼次いまい けんじが何度も現地を訪れ、工事指導にあたり、1927年に竣工します。
山口萬吉は使用人 家族らと邸宅に住みますが、太平洋戦争に突入し、1945年には空襲を受けますが、幸いにも邸宅はその姿を保つ一方、家具類は長岡に「疎開そかい」移動させたものの、鉄道貨車ごと焼失してしまいます。
戦後はGHQの接収を受け将校の邸宅として使用されたのちに返還されたものの、外国政府の関係機関やフルブライト委員会への賃貸が続き、最終的に1963年に山口家の手に戻され子息一家が使用します。
時代は高度成長期からバブル期を迎え、周囲の邸宅は地価高騰や老朽化で急速に消えるものの、この邸宅は護られ、2018年には登録有形文化財に選定され、改修が行われ、各種イベント施設として、生きた建造物として活用されています。

【九段ハウスに関わった設計者たち】
内藤多仲ないとうたちゅう(1886~1970)

内藤多仲ないとう たちゅうは、九段タワーの構造設計を担当し、東京帝国大学卒業後、耐震壁を使用した構造理論を考案し、東京タワー、名古屋テレビ塔、(2代目)通天閣つうてんかくなど、多くの塔を設計したことから「塔博士」とも呼ばれました。

構造設計者 内藤多仲
「山梨近代人物館」より転載

木子七郎きご しちろう(1884~1955)
意匠設計を担当した木子七郎きご しちろうは宮廷建築の名門 木子家の4男として生まれ、和と洋を組み合わせた建造物設計には高い評価があり、県庁、学校、オフィスビル、住宅など、多くの傑作を生みだし、生涯にわたり設計に関わった作品は300近近くとも言われ、代表的な物には松山大学温山記念館、萬翠荘などがあります。

意匠設計者 木子七郎

今井兼次いまい けんじ(1895~1987)
早稲田大学卒業後、同校に就職し、名誉教授になります。
卒業後、東京地下鉄道(現 東京メトロ)の制服や車内内装などを担当し、自ら教鞭を執りつつ、学校や記念館などの建築設計を行うほか、武蔵野美術大学、多摩美術大学の設立に尽力し、ガウディを日本に初めて紹介した人物としても有名で、『日本芸術院賞』を受賞します。

意匠設計者 今井兼続
【Web東京荏原都市物語資料館より転載】

梶田恵かじた めぐむ(1890-1948)
東京部位術学校で岡田信一郎に師事し、卒業後は梶田工房を設立。
『アールデコ展』にも入賞し、岡田信一郎との関係は生涯にわたり続き、全幅の信頼を寄せていました。
鳩山一郎邸(鳩山記念館)、明治生命館などの家具・装飾を手掛けます。

【山口萬吉邸の特徴】
山口萬吉邸は、施主の山口萬吉が関東大震災を経験した経緯から、耐震性に配慮された壁式の鉄筋コンクリート造になります。
耐震性 耐火性を重視され、壁の厚さは8寸に及ぶなどその耐震性は現在の新耐震基準をはるかに上回っています。
その一方、アーチ、スタッコ壁、スパニッシュ瓦など、竣工当時に流行したスパニッシュ様式を施しつつ、和室など日本的な要素も取り組んだ和と洋が混在する邸宅になります。これは施主 山口萬吉やまぐち まんきちの思いを汲み、意匠設計を行った木子七郎きご しちろう今井兼次いまい けんじの力が大きいです

平面図
Unique Venues TOKYOより転載

【たてものメモ】
九段ハウス(旧山口萬吉やまぐち まんきち邸)
●竣工年:1927年
●設計
 ・構造設計:内藤多仲ないとう たちゅう
 ・意匠設計:木子七郎きご しちろう
 ・〃:今井兼次いまい けんじ
●文化財指定:登録有形文化財
●写真撮影:可
●公開状況:通常非公開
 (各種イベント時に公開)
●参考文献:
 ・九段下の歴史においてはWikipediaを参照
 ・BS朝日放映:『百年名家』
 ・九段ハウスHP

【外観部分】
❏正門部分
正門に向かうまで長い塀に囲まれた状況ですが、屋根瓦を見ると、スパニッシュ瓦を使用した西洋風の佇まいになります。

正門部分を臨む

正門側を見るとアールがかかったデザインになり、一見すると和風の門でありながら、屋根瓦にはスパニッシュ瓦が使用された和と洋が混在したデザインになります。

正門部分の写真左側には勝手口がつけられていますが、ここも見どころの一つになっており、竣工当時の東京市時代の表札が掲げられているところに、この邸宅の歴史を感じることができます。

勝手口部分を臨む

❏主屋部分(正面側)
主屋部分は木立の中に建つ瀟洒な洋館になりますが、地上3階建ての外壁が建つだけだと威圧感を与えてしまうため、随所に開口部分を様々な形にすることにより、見るものの目を見事にそらしています。

邸宅自体も、内藤多仲はあくまで建築構造の設計に終始し、邸宅のデザインは木子七郎ら他の建築家が担当しました。
この邸宅の特徴であるスパニッシュ様式に関しては、施主の山口萬吉やまぐち まんきちがアメリカ留学をしていた際にスパニッシュと出会っていたためと、木子七郎きご しちろう自体がも同時期にデザインした松山大学温山記念館(新田邸)や自邸などにスパニッシュ様式を得意としていた点もが考えられます。

側面写真

開口部分の中で、特に2階と3階を繋ぐねじりん棒・・・・の装飾が付いたアーチ窓、ザラザラしたスタッコ壁を採用し、太陽鵜の光を浴びると、様々な形に映し出されるかたちになっているところからもスパニッシュ様式の特徴になります。

2階と3階を結ぶアーチ窓

車寄せ部分を見ると、2つの開口部分、屋根上の装飾もスパニッシュ様式になりますが、車寄せ天井部分は、至ってシンプルな構造になります。日本の近代建築史を見ると、スパニッシュののちにモダニズム建築が流行しますが、その過渡期を映し出しています。

車寄せ部分を臨む

玄関扉部分を見ると、木子七郎の卓越したデザインを映し出しています。玄関扉部分は木製になり、重厚なデザインの中にも無国籍的なものになり、バランス感覚に優れたものになります。

表玄関部分を臨む

【庭園側から臨む】
❏庭園部分

たてもの裏側部分に回ると、大きな和風庭園になっていますが、こちらは2018年での修繕工事に芝庭だったものを改造した箇所になります。
ただ、木々に関しては、元々あったものを再利用しています。

庭園部分

❏ベランダ部分
ベランダ部分を見ると、1階と2階述ベランダは重ねた設えになる一方、1階部分はアーチ型になり、2階部分は四角型の窓が付けられますが、2階部分の通風口が十字であるのに対し、1階部分は日本建築伝統の青海波せいがいはを使用しています。
階段側面には地下室用の明かり取り用の窓が付けられています。

ベランダ部分を臨む

写真左側の部分は、1階2階とも上げ下げ窓が採用されていますが、2階部分は和室にあたり、外観からみて、そこに和室があることを〇で感じさせない設えとなります。
和室に入側のスペースを設けることにより、デザイン的にも違和感のないものに仕上げています。

ベランダ左側を臨む

青海波せいがいはについて
穏やかな波が果てしなく繰り返される様子から、「平穏な暮らしがいつまでも続くように」という願い、平和への祈りが込められています。
水には穢れを清める力があるとされることから、日本古来より厄除けや魔除けの縁起物としても親しまれています。

青海波
【Wikipediaより転載】


【1階部分】
❏内玄関

内玄関部分は腰壁と床タイルにに大理石を使用し、壁側面部には、Mを模ったような形になりますが、萬吉まんきちのMを取ったのではないかとも推測できます。
このデザインも木子七郎きご しちろう指揮によるものです。

内玄関部分を臨む

❏ホール部分
広間として使用された部分ですが、床部分はタイル貼りにし、窓部分は現在はカバーが掛けられていますが、元々はステンドg不ラスとなり、光が降り注ぐ仕組みになっています。
いわば、スパニッシュ様式のパティオ(中庭)にあたる箇所になります。

広間部分を臨む

側面のアーチ部分を見ると、こちらは内藤多中の壁式工法で、アーチ部分を見ると、非常に分厚く作られているのが分かります。之には、関東大震災での倒壊による教訓が働いています。
一見すると威圧的になる部分ではありますが、非常に軽やかに仕上がっています。

アーチ部分を臨む

階段部分を見ると、手すりも大理石製になります。この部分で驚愕なのが、大理石に切り目のない事…
つまり、それだけ大規模な石を使用した証左になります。階段手摺子てすりこをみると、アールデコ風の設えになります。

階段部分

❏応接間部分
昭和初期の姿をそのままとどめた個所になります。大理石製の暖炉を備え、室内の造り付けの家具などすべての家具は、戦前期に活躍した梶田恵かじた めぐむの作品になります。
山口萬吉邸の家具類の多くは、疎開地位の記者の中で空襲に遭い損失しますが、奇跡的に生き残ったものです。

旧応接室

この室内で窓側に設えられた造り付けの椅子に関しても、梶田恵の作品になり、室内に併せて造られ、家具の脚部分にはセントラるヒーティングの通気口が付けられています。

造り付けの椅子部分
【九段ハウスHPより転載】

特に注目したいのが、非常に美しい照明器具類で、こちらも梶田恵かじた めぐむのもので、ステンドグラスを採用し、室内を照らしています。梶田恵の作品の在庫数は希少で、大変貴重なものになります。

天井照明
暖炉わきの照明

❏居間部分
床部分は寄木張りとし、白い壁と天井が設えています。天井部分には鉄筋の梁が付けられていますが、壁式構造だと強度が弱いため、ラーメン構造を融合して使用しています。
通常のラーメン構造は非常に太いものを使用するところ、壁式構造になっているため、そこまで太いものを使用しなくてもよくなっています。

居間部分を臨む

暖炉部分は、大理石と木材を使用したもので、木材部分に葉アールデコ調の装飾が彫刻されています。こちらの暖炉は実際に火をくべるものでもストーブを置くものでもなく、側面部分に通気口が付けられていますが、地階にあるボイラーからのセントラルイーティングを採用しています。

暖炉部分

❏ポーチ部分
居間の分厚いコンクリート壁に付けられたアーチ部分から出られる仕組みになります。床部分には布目タイルを使用し、天井部分にも細い鉄筋を走らせています。外観から見ても3連アーチを使用しており、分厚い壁から広々としたポーチを実現しています。

ポーチ部分

❏旧和室
山口邸は現在、九段ハウスとして民間委託されていますが、その際、経年で山口家により改造された個所に関しては、元々の材を保存したうえで、リノベーションを図り新たなオフィスとして使用しています。

旧和室を臨む

【2階部分】
❏ホール

主階段を上ると、ホールになりますが、床部分は寄木張りにし、天井、アール部分などはダークブラウンにしてアクセントをつけていますが、注目したいのが写真右側で、襖を開けると和室になります。

階段からホール部分を臨む

❏和室
ー次の間ー

和室部分は次の間/座敷双方とも、厳選された材木を使用した正当な和風様式を踏襲しています。この邸宅のデザインを担当した木子七郎きご しちろうは、海外視察するまで日本建築を得意としており、視察以降も、西洋館の中に和室を設けることを得意としていました。

次の間全景

書院を見ると、ちょうど表玄関のアーチ部分になり、書院障子を閉めると、火灯窓かとうまど風になりますが、西洋館の中に和室を設えることについて外観からも内観からも違和感のないように設えています。

書院欄間部分を臨む

ー座敷ー
座敷部分は長押を廻し、、天井部分は次の間同様、竿縁天井とし、床柱も角柱にしています。
特に注目したいのが写真左側部分の入側部分で、ガラスの入った障子は縁を黒漆塗りとし、周囲が白木のため非常にアクセントが加えられています。
非常に狭い空間になりますが、この隙間により、洋館の中に和室があっても表側から違和感を感じさせない仕組みになります。

座敷全景を臨む

床の間部分を見ると、平床になり、天袋を備えた形状になり、床の間部分には銘木の1枚板を使用した、高級材をふんだんに使用した設えになります。特に着眼したいのが、床の間中央部分になり、日本建築伝統 「波に千鳥」が描かれています。

平戸j古部分を臨む

❏ベランダ部分
和室の扉を開けるとベランダ部分になります。
窓部分は網戸のみが付けられ、当初からの設えになります。反対側には寝室があり各部屋から出られることができます。
床部分を赤茶色のタイル張り都市を赤茶色のタイル張りとし、窓下には、アールデコ風の通風口が付けられています。
天井部分は梁を付けられていますが、これは内藤多仲ないとう たちゅうの壁式構造が洗え割れた個所となります。

ベランダ部分を臨む

❏各種談話室
ベランダ脇には3つ(1〜3)、反対側には1つ(4)の談話室の寝室が並び、ますが、それぞれプライベート区間を大切にした設えになっています。日本の建築史をみると、明治期以降、個人が大切にされるようになり、プライベート空間が設けられるようになりました。
また、空間を設けるにおいて、内藤多仲ないとう たちゅうの壁式構造の考え方がマッチし、大きい壁により耐震構造をより強固なものにしました。

談話室1
談話室2
談話室3
談話室4

❏浴室
天井部分は、舟底天井にすることにより水滴がたまる尾を防ぎ、各種用具はおそらくは新調されたものと推測されますが、腰壁と床に使用されたタイルに関しては、角部分をアールにするなど非常に凝ったものを使用しているほか、目地の隙間が狭い左官職人さんが腕によりをかけた設えになります

浴室全景

【3階部分】
❏手前側の部屋
2階より裏階段部分を上り3階部分にいくと、2部屋をつなげた広いスペースになります。もともとは、どのような用途で使用したかは不明となっています。

手前側ホール部分

❏奥側ホール部分
かつての扉が付けられた形跡をたどり奥側は、2階が我男子寝室に充てられたのに対し、女子寝室に充てられました。一人としての寝室ではなく女子全員の寝室に充てられました。

奥側ホールを臨む

2階各寝室も、それぞれベランダに出られるようになっていましたが、3階部分はテラスに出られるようになっています。
窓と扉部分の上部には張り出した装飾が付けられていますが、これはデザインではなく自重式シャッターとなり、それぞれのサイドに付けられたコックを12時の方向に揚げると自動的にシャッターが下りる仕組みになります。

扉部分を臨む

❏テラス部分
扉部分を開けるとテラスになり、一面に庭園をおぞむことができるほか、スパニッシュ様式のスタッコ壁なども堪能できます。テラスを置くに進めていくと、スパニッシュ瓦の屋根部分を堪能できる設えになり、緑に囲まれた空間を味わえます。

テラスから屋根部分を臨む

【地階部分】
❏ホワイエ

地階部分はバックヤードになりますが、地下室には自宅専用の家具職人を雇い、彼らの作業が場置かれました。山口萬吉やまぐち まんきち邸は、建物にかけた金額と同等の金額を邸宅にかけています。

ホワイエ全景
【九段ハウスHPより転載】

❏茶室(旧金庫室)
先述のように、山口萬吉やまぐち まんきちは邸宅に多大な金額をかけていましたが、重厚な鉄扉奥はすべて金庫室という富豪ぶり。
現在は、金庫室を改造して、新たに茶室が置かれていますが、換言するならば、茶会が行えるほどの金庫室を擁していた事が分かります。

旧金庫室を扉部分から臨む

❏ボイラー室
山口萬吉やまぐち まんきち邸では。空調背悦日にも最新鋭のものを使用し、邸宅全体を旧来のように薪や石油で暖めるではなく、セントラルヒーティングを使用し各室内の通風口から空気が流れました。
なお、写真のボイラーは竣工当時のものになります

旧ボイラー室

【編集後記】
九段ハウスにおいてはその存在は知ってはいたのですが、なかなか訪問できず仕舞で月日の見たってしまいましたが、この前、偶然公開イベントがあることが分かり訪問。改めて、その建築的な美しさ、そして東京タワーなどを建てた内藤多仲ないとう たちゅう博士の建築構造を知ることができ大変感動しました。
また、この建物が100年近い時を経て、シェアオフィスなどに使用されるのを見て、日本隠しに点在する建築の新たな可能性を発見できました。

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