わが心の近代建築Vol.80 成城5丁目猪俣庭園/東京都世田谷区
みなさん、こんにちわ!!
5月後半は、様々なことがあり滞っていたこのBLOG…
今回は、東京都世田谷区成城にある旧猪俣邸庭園について記載します。
成城というと洋館が多い街になり、以前にも旧山田邸を扱いましたが、今回の猪俣邸に関しては、成城の中でも珍しい、数寄屋建築となります。
≪施主 猪俣猛氏について≫
猪俣邸は、労務行政研究所理事長だった猪俣猛氏の隠居先の邸宅として、1967年に竣工。
設計には、かつて扱った東山旧岸邸などを設計した、現代数寄屋建築の旗手 吉田五十八氏があたります。
吉田五十八氏に関しては、成田山新勝寺本堂、世田谷区等々力の万願寺などを設計した方で、吉田作品は、東山旧岸邸(岸信介別邸)に続き、今回が2度目となります。
≪設計者 吉田五十八≫
吉田五十八(1894~1974)は太田胃散創業者 太田信義の8男として生まれたのち、母型の吉田家に養子に出され、1923年に東京美術学校(現・東京藝大)卒業ののち、建築事務所を開き、1925年4月から翌1月まで欧米留学。
自身が欧米の建築を具現化することの限界と、数寄屋建築に魅せられ、新素材を使用した現代数寄屋建築を見出します。
建築家の傍ら、教育者としても東京芸大教授などを歴任して後進を育成。また、長唄の名手としても知られ、1964年には文化勲章を受章します。
成田山新勝寺本堂設計などの寺社建築の建築以外にも、邸宅としては、吉田茂、岸信介...
2人の総理大臣の隠居先も設計した稀有な建築家でもあります。

【邸内展示パネルより転載】
≪たてものメモ≫
成城5丁目猪俣庭園
●竣工年:1967年
●設計者:吉田五十八/増築部分は野村加根夫
●文化財指定:世田谷区指定有形文化財
●入館料:無料
●写真撮影:可
●交通アクセス:
小田急本線「成城学園」駅より徒歩7分
●参考文献:BS朝日放映「百年名家」
≪平面図≫
平面図を見ると…
・表門から玄関までのルート:外露地母屋
・内待合空間:接客としての母屋
・邸宅から茶室までのルート:内露地
となり、建物全体を茶室に見立てており、この要因として、自らも「茶の湯」に精通し、鎮信流(ちんしんりゅう)茶道を極めた施主の猪俣氏の意向と考えられています。

【旧猪俣邸カタログより転載】
≪正門部分≫
邸宅の正門に関しては、上記の要因から、茶室の露地門に邸宅の正門として屋根を載せた形状になっており、武士道精神を重んじた施主の好みを反映し、素朴ながら格調高い造りとなっています、

また、正門の裏側を見ると、建物全体を茶室と見立てていることの証左であるように、表玄関までの外待合を設けています。

また、吉田五十八建築の特徴として、邸宅までに行くまで、段差を設けることが多いのですが、この猪俣邸もその例にもれず、邸宅までのアプローチが設えています。

≪表玄関部分≫
表露地としての通路部分≪表玄関部分≫表露地の飛び石部分から表玄関を臨むと、邸宅は低く抑えられ、直線的なフォルムが印象的となります。

表玄関 廊下部分には玄昌石(げんしょうせき)、宮城県石巻市にある雄勝地方で採られたことから、別名・雄勝石ともいわれ、江戸期には硯などにも使用されたものとなります。
また、柱部分は、数寄屋で多用される面皮柱ではなく華奢な角柱となっています

≪玄関ホール部分≫
とても50年前のものとは思えないような、モダンな玄関になっており、そこに吉田五十八の先見性を見出すことができます。
また、玄関のタタキは、外と内とが連続したものになっており、同じく玄昌石を使用しています。
敷居はまるで空中に浮かんだようなイメージとなります。

特に、玄関とのつなぎ目に関しては、扉のレールを隔てて、連続したものとなっているのも、見どころの一つとなり、これも吉田五十八の計算された部分です。

また、天井部分のトップライトは、表に出さず中に埋め込むことにより視界を邪魔することなく、天井板も、幅の違う木材を当てはめ、それを違和感なく魅せる…
「やたら張り」というものを採用しています。

また、奥に行くと、床の間が付けられた玄関が設えていますが、正方形になっており、左側に見える、奥に向かって斜めに向かう通路は、まるで能舞台のような設えてなっています。

≪居間/坪庭/食堂部分≫
玄関ホールを抜けると大空間になりますが、こちらはかつての居間部分。
書院造りのエッセンスが巧みに取り入れられ、照明なども吉田五十八がデザインしたオリジナルで、段々になっているところには空調が設えています。

また、居間部分の広い開口部は、雨戸/ガラス戸/網戸/障子が柱などが邪魔せず、引き込み戸に閉まる構造になっており、これにより内と外とが連続した空間になっています。
なお、この開口部を可能にしているのが、壁の中に柱を埋め込んだり、柱部分には、何枚もの構造材を貼り合わせたものにアカマツの化粧材で覆ったものとなり、これで邸宅の強度を保っています。

居間に面して坪庭がありますが、100坪の邸宅になると、大屋根をかけなくてはならないものの、坪庭があることにより、それにより、屋根の高さを抑えることができる以外にも、明り取り、通風のための意味合いもありました。

≪食堂部分≫
居間部分に接続して、食堂が備えられています。
こちらはプライベートルームとなり、天井照明においても、居間部分同様、溝部分に空調の府寄付出し口が設えるなど、吉田五十八の建築思想が非常に反映されています。

こちらの室内の床部分は、一見すると正方形に見えますが、実施のところ正方形ではなく、そのため、床の組子に関して、無駄な材料を出さないための配慮として、ひし形に造られています。

≪夫人室≫
夫人室を見ると、居間同様、大きな開口部が設えていますが、この部屋で注目したいのが壁面いっぱいの収納家具類で、これらも吉田五十八氏が独自に作成したもの。
机や椅子も、実際に猪俣邸で使用されたもので、ここから庭園をじっくりと眺めることができます。

夫人室の三面鏡は、竣工当時から照明が設えていますが、この当時としては画期的なもの。
こうした新しい技術を素早く導入し、自身のカラーに変えるのも吉田五十八ならでは、といったところ。

夫人室には付属し、衣装室が備え付けられていますが、こちらの家具類に関しても、造り付けのものとなり、随所に邸宅に住まう方のライフスタイルにあわせて作られています

≪主人寝室≫
夫人室の隣は、主人寝室になりますが、こちらは今までの現代数寄屋建築とはうって変わり、伝統的な書院の設えとなります。
が、その一方で、書院風の端正な床の間で見られる違い棚などがなく、余分なものは排除したものとなります。

床脇部分の違い棚を排除したかわり、側面部分に障子を備え、障子の桟を床板に映し出すため、照明が埋め込まれています。
床板には、障子の桟を美しく魅せるため、漆で塗りこみ、見栄えを変えるため、布目風に塗装されています。

床框部分のストライプは一見モダンな和のデザインかと思いきや、空気の吸い込み口があしらわれており、最新の設備すら自らのデザインに組み込む吉田五十八のスキルの高さを伺い知ることができます。

襖部分にはうっすうらと柄を見る事ができますが、「鳥の子襖」という、従来の日本建築において最上級のものが使用されています。
また、こちらの押し入れ部分を開けると、押し入れの前に鏡の扉が備え付けてあり、姿見としても利用できる仕組み抜なります。

≪書斎部分≫
書斎部分は、吉田五十八が亡くなったち、1982年に弟子の野村加根夫氏が設計したもの。この室内で気になる部分として、床部分の切込みは掘り炬燵がしまわれており、冬などでは庭園を愉しむことができます。

この室内の窓に関しては、庭園全体を見渡せるよう、2面に渡り開口部を設けており、見るものの目を奪う仕組みになっています。

≪茶室部分≫
書斎脇の茶室部分も、増築された箇所となり、水屋が備えられていますが、こちらも増築部分で、野村加根夫氏の作品。壁紙の模様は藁でつけられたものとなります。

邸宅の茶室は究極の狭さといわれる1畳台目の茶室となり、裏千家の重要文化財、「今日庵」の写しとなっています。
この部分も増築個所で、夫婦で茶を愉しむにはちょうど良いものとなります。
また、壁紙には腰張りという意匠を用いています
また、落とし屋根部分の上には空調設備も備えています

≪庭園側について≫
庭園に関しては、施主の猪俣猛氏指揮のもと設計され、特に猪俣氏の茶人としての号に松が入ることから、全体的に松が多く植林されています。

庭園部分から邸宅を臨むと、居間部分を頂点として、段々と屋根が低くなり、夫人室、主人室と繋がります。その理由として、主人室は和室のため、坐の空間となるために低くなります。
また、邸宅には庭園を愉しむため、開口部が広く作られていますが、通常ならば屋根の重さに耐えきれず、軒などにゆがみができてしまいますが、柱を壁に埋め込む、新素材の活用などにより、これらを可能としています。

一方、先述のように、書斎棟に関しては、野村加根夫が担当し、後付けの為、屋根が高くなっています。

≪茶室 勁松庵≫
猪俣庭園は、離れとして茶室を設けていますが、猪股猛氏の号が「勁松」のだったことから勁松庵と命名。茶室設計には、京都から宮大工を招いて作成します。
余談ですが、庭園部分にアカマツなどが多い要因として、この名前が由来しています

また、こちらには玄関とは別に待合がありますが、玄関部分が外待合であったのに対し、こちらは内待合が付けられています。う

室内は4畳半になり「又隠」を模して造られ、4畳半の広さとなるもものの、右側の躙り口の広さは、通常の倍のものとなり、これに関しては、吉田五十八の発想によるもの。
また、壁に関しては、聚楽壁を使用し、鉄分が経年により酸化し、模様が浮き出て、茶室の詫びを醸し出しています。

茶室と室内を繋ぐ渡り廊下も数寄屋風の設え。
天井部分は扇形となり、表の柱が角柱なのに対し、邸宅の柱は丸柱になる設えとなります。

≪編集後記≫
猪俣別邸に関しては、吉田五十八の建築家としての集大成的な作品で、邸宅の随所に、その建築思想が描かれており、建築家の中でも歴代2人の首相の邸宅建築を扱ったのは、彼のみではないでしょうか?
世田谷区や成城界隈に行ったらぜひとも訪問してほしい邸宅の一つと個人的には感じます。
