わが心の近代建築Vol.117 遠山記念館/埼玉県比企郡川島町
みなさん、こんにちわ。
今回は、4月初頭に訪問するも、メンタル不調などで記載できずじまいだった場所から、今回は埼玉県比企郡川島町に保存された遠山記念館について記載します。
【川島町について】
遠山記念館がある川島町について記載すると、埼玉県中部に位置し、四方を河川に囲まれた輪中になっています。
・北側:市野川を境に東松山市・比企郡吉見町
・東側:荒川を境に北本市・桶川市・上尾市
・南側:入間川を境に川越市
・西側:越辺川を境に坂戸市
に隣接しています。
荒川や荒川敬河川の流域であることから、町内は荒川低地となり立地を活かして農業が盛んにおこなわれ、隣接自治他の和が御絵駅や若葉駅などを最寄りとする竣工住宅団地や工場も開発されています。

【Wikipediaを参照】
【施主 遠山元一氏について】
|遠山元一《とおやま げんいち》(1890~1972)は日興証券の創業者で初代社長を務めた人物になります。
現在の川島町の豪農の家に生まれるものの、父 義三の放蕩で生家が没落したため、高等小学校卒業後、15歳で上京し、遠縁の水野廉太郎の書生をしながら、南佐久間町の私塾に通い、東京日本橋兜町の株や半田商店に丁稚奉公を5年ほど勤めたのち、1918年に独立し、川島屋商店を設立。
1920年に株式会社化をし、満州事変以来の好況により事業を発展させ、1936年には母親のため川島町に、この豪邸を建て生家を再興させるに至ります。1938年には川島屋證券を創業させ、1944年に川島屋商店を吸収合併し、旧日興証券との合併により社長に就任。1952年に日興証券会長に収まり、1964年に退くまで戦後日本の証券業界の近代化に尽力させます。
1968年には川島町の邸宅を法人化し、遠山記念館敷地内に美術館を建て、長年にわたる貴重な蒐集美術品を収蔵します。

『東上沿線物語』より転載
【設計者 室岡惣七】
室岡惣七(1885~1951)は、現 埼玉県狭山市に生まれ、1909年に東京帝国大学工学部建築学科に入学ののち和洋の建築学を学に卒業。
1913年より司法省に入省し、1914年に上野公園で行われた大正博覧会の事務嘱託となり、のちに内閣の高等官に任命され、建築技師に就任。
その後、東京電燈会社に入社して建築技師として設計に携わった後、現 市依田区外神田に室岡工務所を構え、1945年まで各地の建物設計を行う傍ら、晩年期は埼玉県立川越工業学校にて、一般構造と設計製図の格子を勤め、1951に逝去します。
代表的な作品として、遠山記念館以外にVol.74で扱った登録有形文化財の石川組製糸西洋館があります。

『狭山市文化団体連合会「狭山の文化人を知ろう」プロジェクト』より転載
【平面図を臨む】
遠山記念館は、1936年に生家の再興と母の安住の住まいとして建てられ、邸宅は茅葺屋根の東棟、2階建ての中棟、数寄屋造りの西棟が雁行型に並び、1933年から竣工まで2年7カ月もの期間がかけられ、日本全国から銘材をかき集め、総監督を弟の遠山芳雄、大工棟梁には東京・阿佐谷の中村清次郎が担当し、直接工事に関係した者だけでも延べ3万5千人を動員しました。
母亡きあとは、日興証券の迎賓館として使用され、1970年に遠山元一が所有する美術品とともに一般公開されます。
2000年には、現代では再現することのできない建造物として、また、近隣の景観に寄与する建物として、登録文化財に選定され、2018年には国指定重要文化財に選定されました。

遠山記念館HPより転載
【たてものメモ】
遠山記念館
●竣工年:1936年
●設計者:室岡惣七
●文化財指定:国指定重要文化財
●入館料:¥840
●写真撮影:可
●留意点:通常中棟2階は非公開。特別展示で一般公開
●交通アクセス:
JR高崎線で桶川駅下車、東武バス川越行きで牛ケ谷戸(うしがやと)下車、徒歩15分
【長屋門】
近世の大名屋敷や代官屋敷の長屋門を参考にして作られ、総ケヤキ造りにしています。その一方で、厳しさを軽減させるため、屋根勾配を低くし、出格子窓を設けるなどの工夫がされています。門扉は府中から取り寄せた欅の珠杢で、正式な退却などがあった際に開かれます。

【東棟部分】
❏茅葺屋根部分
千鳥破風の茅葺屋根になっています。かつて豪農であった生家に再興を象徴しています。
茅は箱根の仙石原のものを使用し、太さを揃えてから葺いており、厚さ3尺の屋根を与次郎組みという伝統的架構で支え3つの妻からなる独特な姿をしています。・

❏表玄関部分の車寄せ部分
天井部分は欅珠杢の格天井とし、沓脱石も京都の鞍馬山から産出される鞍馬石を使用しています。これらは貨車と河舟を用いて運ばれたものとなります。

段差を付けて板を張る玄関は、「式台構え」と呼ばれる貴人を迎える武家屋敷的な作りになり、舞良戸を備えています。敷石は桜花崗岩を使用した、伝統的な造りになっている一方、照明は竣工当時に流行したアールデコになっているなど、新旧合わさった造りになります。

❏玄関の間
車寄せから最初の部屋を玄関のとし、貴賓客が見えた際は、ここで応対します。玄関の間から左右に2つの応接室を擁し、東側を供待用の部屋とし、左側を応接用の部屋としています。

❏廊下部分
背後の廊下は畳敷とし、東棟→中棟→西棟と蛇行しながら結ばれ全長は100mにも及び、角を曲がるたびに使用する材を変え、訪問者の目を飽きさせない工夫が凝らされています。また、右側のフックは帽子掛けになり、右側の襖には菊があしらわれています。

❏内玄関部分
表玄関が主人や賓客用のものに対し、内玄関は、家族や使用人はこちらの内玄関を使いました。
亀甲模様の土間は、左官職人が小砂利とセメント、顔料を混ぜて塗り固めて磨いた人造石研ぎ出し(通称 人研ぎ)の技法が用いられ、土間吹抜け部分から、登り梁や束が組まれた小屋裏がのぞけます。

また、小さいながらも沓脱石が設けられており、この部分から居間に上がる形になります。
写真右側の柱が大黒柱となり、ケヤキ製となりますが、東棟は総ケヤキ造りとなっています。

❏居間
囲炉裏のある居間は、古くは家族が団らんする空間で、関東の田舎家ではこのような縁無しの坊主畳が用いられました。
現在の畳は複雑な形をしていますが、これは遠山記念館のある川島町出身の現代彫刻家である長澤英俊(1940-2018)の美術作品で、「浮島/Isole galleggianti」(2009)というタイトルが付いています。これは、川島町が4rつの荒川敬河川の氾濫でただ大部分が残された様を描いています。

遠山元一の母 遠山美以は、数寄屋風の西棟より、東棟を好み、来客時にはここに招いて茶などを提供しました。
が、天井部分は古民家らしく吹き抜けだったものの1年目にして「寒い」ということで、塞がれました。
天井は中央部分をケヤキ材の網代、三方向をケヤキとヨシ、北側一面のみを平天井としました。

❏仏間
居間奥の部屋で、写真左側に仏壇が備えられ、天井部分は網代になります。
写真右側の襖絵には鶴の絵が描かれ、壁材も居間部分を同じく稲荷土本磨きとなります。

【東棟から中棟までのアプローチ】
東棟から中棟への渡り廊下の天井部分の天井は、1枚物の鏡板を使用し、右部分の地袋は、市松状に木材の柄を選び、その上部の障子部分は、繊細な組子があしらわれるなど、非常に細やかな造りになっています。

❏脱衣室
天井部分は、網代天井になっています。照明も竣工当時からのもので、和風モダンを具現化した場所にもなります。また、流し部分には銅板が使用されているほか、蛇口が2カ所設けられていますが、竣工当時からボイラーが備えてあり、当時からお湯を使用することができました。

❏浴室
天井部分は、垂木が放射状に走る唐傘(からかさ)天井にし、中央部分に葉通気口が設けられています。
唐笠天井の手法は通気性の便がよいからで、近代の浴室にしばしば見られます。ここで注目したいのがシャワーで、この邸宅では竣工当初から、ボイラー給湯で蛇口からお湯が出せるようになっていました。

❏化粧室
浴室脇の化粧部屋は、数寄屋造りとなっています。
光沢のある档(あて)材を使った面皮柱、名栗材を桜の枝で止めた衣紋懸けなど、様々な材の使用が見どころです。
肌色の磨き壁、書院窓前の垂れ壁を飾る雲形の曲線などに、優れた左官仕事が見られます。

化粧室の階段のスペースには、出っとスペースを活用し、棚が設けられています。こちらの引き出しはシャッター状になりなす。
また、棚上部には階段に併せ、収納スペースが設けられるなど、限られた場所を最大限に利用する設計者の意匠が込められています。

【中棟部分】
❏外観から
東棟が、力強い武家と豪農建築であったのに対し、中棟は上方を凸に反られたむくり破風を正面に見せる入母屋屋根の2階建て建造物となります。
2階部分の高欄が華やかな印象を与える、近代和風建築の醍醐味を表した建造物になります。
また、こちらの沓脱石部分も、京都鞍馬山から運ばれた鞍馬石を使用しています。

【1階部分】
❏化粧室
壁は淡い紅色の磨き壁となり、天井部分は垂木になっています。
流し脇と袖壁上部にまたがる見切りに使用した曲木の名栗がアクセントとなっています。また写真右側の洋式トイレ部分には、かつて和式便所があった名残が残されています(洋式トイレも日本に登場した当時のものを使用しています)

❏次の間
次の間の欄間部分は折もので使用する「筬」の形に似た筬欄間としています。また、壁部分の紫色の部分に関しては、大客間と同様、柘榴石(ガーネット)を砕いたものを壁に塗り込み使用していますが、近代和風建築では、今までなかったような天然石を砕いて使用することが増えていきます。なお、襖部分には松の葉が描かれています。

❏大広間
18畳の書院造りの室内で、正式な来賓があった際に招き入れる、遠山邸で一番格が高い室内になります。
床柱は京都北山で採れた北山杉の天然の絞り丸太で遺伝子変化で1000本に1本の割合でしか発見されない大変貴重な木材になります。また天井部分はスギの柾目材を使用していますが、およそ2尺という大変幅の広い材になりますが、これを用意するためには3尺〜4尺ほどの大変大きい材木を使用する必要があり、極めて貴重なものとなります。

大広間の付け書院の書院欄間は桐材を使用しています。
花菱七宝繋ぎを3段重ねにし、間隔をあけて遠山家の家紋「丸に二匹両」が描かれています。
非常に細やかな細工が施されており、特に3段目の花は〇で宙に浮いているかのような透かし彫りになります。

❏縁側部分
縁側の垂木を受ける軒桁は、奈良県吉野産の垂木材を使用し、約12mの長さを継ぎ目なしにとっています。
窓ガラスにおいては、大広間からの景観が重視され、大広間に座った際に桟が邪魔をしないように、大きなものを使用しています。

【中棟 2階部分】※通常非公開部分
❏ホール部分
どの室内にも行けるようになっています。天井部分もスフれた材木が使用されており、床材も厳選された柾目材を使用した、非常に手の込んだ場所となります。なお、照明なども竣工当時のものがそのまま使用されている、アールデコの時代を感じさせるものになります。・

❏厠部分
2階にも厠を備えていますが、竣工時から洋式トイレになります。天井部分は格天井になり、特筆したいのがタイル部分で、目地が見えないように敷き詰められており、ここからも遠山邸に関わった左官職人の方のスキルの高さと非常に手の込んだ造りであることが窺い知ることができます。

❏数寄屋書院
14畳の室内になり、床柱には桐材の四方柾とし、落とし掛けにも桐の柾目を使用し、床框にはヒノキ材を漆塗りにし、天井部分は春日杉を使用した銘木ぞろいの室内とします。
壁は稲荷聚楽壁とし、最高級品の聚楽土のなかでも京都の伏見深草で産出される、特に色の濃い上質な黄土を用いています。
襖は菊を描くことで床柱と足してで菊桐の意匠を組み合わせています。

この室内で特に目を見張るのが丸窓の書院欄間部分で、書院欄間は遠山に千鳥を透し彫りにしています。
床脇の2つの明かり障子は、竹兜巾と呼ばれる特殊なものになります。
竹材を薄く削ぎ、これを2つ割にしたものを合せて節の付いた桟を作り、組子にしています。
これは、愛知県犬山市の博物館明治村に保存されている坐漁荘(西園寺公望邸)にも見られる、大変手の込んだもので、遠山邸建築に関わった大工さんの高いスキルを垣間見ることができます。

❏応接間
応接間部分は、内装をアールデコ様式としながら、床の間を設けるという、独創的な空間になります。
天井部分には、春日杉の3尺幅の杢目板を使用し、床柱を桑の杢目材にし、落とし掛け部分をアカマツ材、床框と床板をケヤキ材の珠杢といった最高級品を使用しています。

高窓とガラス窓上部には唐草模様を透し彫りし、その間にはオパールガラスを嵌めています。床は寄木張りとし、その意匠に合せた特注の絨毯が敷かれています。

応接間の3枚の扉はすべて桐材で、特にベッドルームとの間の扉は、幅約1.5mという巨大な桐材を用いた特別なものになります。
正面に施された浮き彫り彫刻は、嵌めこみではなく一枚材から掘り出されたもので、大工の腕の冴えを見せつけています。
象牙と鼈甲の象嵌が、アクセントになっています。

応接間に据えられた棚は、東京を代表する指物師、前田南斉の大作になります。材には江戸指物で最高位の御蔵島産の島桑が贅沢に用いられています。青海波や七宝文を透かし彫りとし、脚部にはパルメット文様を取り入れ、「彫嵌」は木内省古が担当。金具の彫金細工も傑出しており、昭和戦前期の東京工芸の粋を集めた傑作です。

❏寝室
寝室部分も床は寄木張りとなり、天井には春日杉が使用されています。こちらの壁には「遠山霞」のクロス張りとしています。
寝室の家具は、応接間同様、高島屋装飾部が担当しました。現存する近代和風建築の多くはGHQに接収されて家具類を取り換えられていますが、遠山邸には当初の家具が良好な状態で保存されています。

窓枠部分は応接間同様に唐草模様を透かし彫りにし、オパールガラスを貼ったものになります。なお、床材は応接間同様に寄木張りとしているものの、それとはデザインを変更している点もい大きな特徴になります。

【中棟〜西棟の渡り廊下部分】
中棟から西棟へ続く渡り廊下は、中央部分に畳を敷き、北側の柱は書院造りの角柱、南側は数奇屋造りの面皮柱とし、様式の変化を暗示しています。
写真右側のガラス引戸の腰部分は、波型の隙間を作り、同形の連子を付けた無双窓で、ここを開け締めができ、室内の通気性を調整できるようにしています。

【西棟部分】
❏外観
庭に沿って、3つの座敷が雁行型に配置しています。
どの部屋も東南面を大きく開口し、屋根と軒にも変化をつけています。
屋根部分は西京瓦葺き、庇部分は銅板とし、壁部分はホタル壁とした数寄屋的意匠の外観となり、もともと、母 遠山美以 の居室として作られたものの、実際は東棟を気に入り、こちらはあまり使用されませんでした。

❏土蔵部分
白漆喰に理にされた壁面に、鉄扉が設けられています。
土蔵には遠山家で使用した家財道具などを保管しており、扉には遠山家の家紋「丸に二匹両」が付けられています。
沓脱石部分は、人造研ぎ出し石(人研ぎ石)が配されています。

❏8.5畳数寄屋/行
西棟には3つの和室が備えられていますが、それぞれ「真・行・草」とわかれていますが、この部屋は中でも「行」の部屋に該当します
床の間の落とし掛けには錆竹、床框には档丸太を使用しています。天井部分はスギ材の間に目透かしに網代を挟む、超絶技法を盛り込んでいます。

8.5畳和室部分の附属部分として水屋を備えていますが、材こそは分からないものの、落とし掛け、竿縁に面皮付の自然木を使い、床柱には節が付いた変僕を使用するなど数寄屋的な意匠になります。

❏7畳和室/草
西棟の3つの和室の中で「草」にあたる部屋で、3つの室内で最も崩した室内になります。
天井材には春日杉の杢目板を使用し、床柱はアカマツの面皮柱、落掛にアカマツ材、床板には黒松を使用しています。

この部屋の最大の特徴は壁部分になり、「天王寺」という土壁を使用しています。元々は白色の壁でしたが、経年により現在の色に代わり、建築材の「貫」材が入っている部分のみ、変色のスピードが遅れ、現在の柄になり「墨差天王寺」と呼ばれています。

この室内は、半土間を2方に設け、茶会があった際、庭園から直接、ここから入り草履をここで脱いで参加する仕組みになります。
土間の瓦板は、磚と呼ばれる黒い艶消し瓦を用いています。照明はアールデコ調になり、この部屋専用に設えたものになります。

❏数寄屋12畳数寄屋「真」
西棟で最も格式の高い室内になり、母 遠山美似が居室として使用した部屋になり、書き物や寝室に使用しました。
床柱には北山杉の天然絞り丸太、落とし掛けには桐の柾目材、床框はアカマツ材を黒漆に理にしています。

付書院部分を見ると、床の間を2畳敷にし深くしています。天井部分を網代天井にし、狆潜りは木瓜火灯形にして大きく開口し、開放感のある空間とし、付書院を松杢目棚板にしています。

欄間部分は桐材を使用し、桐花透かし彫りとし、襖部分は菊が描かれ、菊桐の意匠としています。菊桐は、日本において最も品格が高いとされる2大紋様になり、2つが合わさることで、最高級の意匠になっています。

天井部分は、「極上の薩摩杉」が使用され、非常に緻密な杢目を見せています。大阪の銘木商「大政」から岩崎財閥が手の出ない中、遠山芳雄が非常な高額で落札した逸話が残っています。
また、照明部分はボンボリ状になり、母 遠山美似に合わせた女性らしいデザインになります。

❏仏間
仏壇は、。東京を代表する指物師 前田南斉の工房が担当。桐の幕板の火灯口に、鳳風と宝相華を浮彫りにした板戸を納めています。壁においては、7畳数寄屋「草」で用いられた墨引き天王寺が使用され、建材の「貫」部分が白くなるデザインになります。

❏厠部分
鮮やかな紅色の壁が印象的ですが、ベンガラを混ぜた土を用いた磨き壁で、紅差大津磨になります。
ここで注目したいのが、壁には一切の鉾跡を残さない仕事で、この邸宅に関わった左官職人の方々の超絶技法を垣間見ることができます。また、材に関しても、便座廻りの床は、楠材の一枚張りという大変貴重なものが使用されています。

❏玄関
タタキ部分は粒を揃えた那智黒玉石が並びます。
作成方法は、タタキの表面が乾かないうちに、水洗いして小石を浮かび上がらせる「洗い出し」の技法を用いています。
沓脱石は扇形鞍馬石を使用しています。

【庭園部分】
庭園の広さは、長屋門からの車廻しを含め、およそ3000㎡で、春は梅・サクラ・ツツジ・サツキ。夏は花菖蒲と蓮花、秋を紅葉が楽しめます。
主屋の前には回遊式の日本庭園が造られ、四季折々の風情を愉しむことができます。
松を中心にし、秋に美しい高揚を愉しめるようにモミジを植え、かつての生家が「梅屋敷」と呼ばれていたことから、白梅も多く、要所に十三重塔や石灯篭が付けられています。

【編集後記】
遠山記念館は、名前こそ知っていたものの、今回初めて訪問し、その建物の凄みをとくと堪能しました。また、今まで様々な邸宅を見てきましたが、国内第第一級品の材木と職人をふんだんに使用しており、随所に見どころ多い邸宅になっています。
今回、記載したものの、まだ勉強不足でその素晴らしさを伝えきれておらず、改めて勉強し直す必要があると感じさせる邸宅でした。
また、母親孝行のために邸宅を建てた例として静岡県静岡県駿東郡小山町にある豊門会館もありますが、改めて、遠山元一氏の母に対する愛を感じさせられました。
