人を一番壊すもの
朝、目が覚める。
仕事に行く人もいれば、学校に行く人もいる。家の中で一日をやり過ごす人もいる。
それぞれの一日が始まる。
職場で理不尽なことを言われる。教室で居場所がない。家の中にいても息が詰まる。
笑顔をつくって、何でもない顔をして、やり過ごす。
夜になって、ようやく一人になれる。布団に入って天井を見つめる。
すると、昼間やり過ごしたはずのことが浮かんでくる。
誰にも言えなかったことが、静かに重くなっていく。
みんな、一人で生きている。
自分の人生を、他人は代わりに歩いてくれない。
それは当たり前のことだ。
だが、当たり前だからといって、一人で抱え続けていいわけではない。
嫌なことがあった時、「今日しんどかった」と言える相手がいるか。
疲れ果てた時、「もう無理」と弱音を吐ける場所があるか。
何でもない日に、「今日ご飯つくったよ」と報告できる誰かがいるか。
そういう人や場所があるかないかで、人が壊れるかどうかが決まる。
人を一番壊すもの
余は、人を一番壊すのは辛い出来事そのものではないと思っている。
孤独だ。
辛いことがあっても、「聞いてくれる人がいる」だけで、耐えられることがある。
逆に、大したことじゃないはずの出来事でも、誰にも言えないまま一人で抱えていると、内側からじわじわと腐敗していく。
孤独が、辛さの重みを何倍にも増幅する。
「誰にも言えない」
「誰にもわかってもらえない」
「自分だけがこんなに苦しい」
この感覚が、出来事そのものよりも深く、長く、人を蝕んでいく。
余はこれまで何通もの手紙を受け取ってきた。
壮絶な出来事の詳細よりも、「それを誰にも言えなかった」という一文の方が多かった。
何年も、何十年も、一人で抱え続けてきた人たちがいた。
だから、電脳寺をつくった
一人で抱え込まずに済む場所。
外の世界で戦って、疲れて、傷ついて、そのあとに帰ってこれる場所。
余はそれをつくりたかった。
そして実際に、電脳寺はそういう場所になってきている。
朝、「おはよう」と書く。
誰かが「おはよう」と返してくれる。それだけで、1日の始まりが少しだけ楽になる。
仕事や学校が終わって、疲れ果てて帰ってきた時に、「今日も頑張った」と書く。
「えらい」「おつかれさま」と返ってくる。
誰かに認めてもらえる。たったそれだけのことが、どれだけ支えになるか。
辛いことがあった日は、思いのままに吐き出す。
上手くまとまらなくていい。言葉にならなくてもいい。
それを読んだ誰かが、「わかる」と言ってくれる。否定されない。説教されない。ただ、聞いてもらえる。
少し余裕がある日は、好きなゲームの話をしたり、つくった料理の写真を載せたり、好きな曲を共有したりする。
苦しい話だけじゃない。楽しいことも、くだらないことも、同じ場所で話せる。
ある参加者がこう書いてくれた。
「実家より居心地がいい」と。
別の参加者はこう書いてくれた。
「暗いまま終わる場所じゃなく、明日も頑張ってみようかなと思える場所」だと。
電脳寺の実際の様子と、参加者たちの声をまとめた記事がある。気になる人はこちらを見てくれ。
一人で抱え込むな
大した悩みじゃない。大した苦しみじゃない。
そう自分に言い聞かせている人がいると思う。
だが、「大したことじゃない」と思って一人で抱えている間に、それは内側で静かに悪化している。
気づいた時には、自分ではどうにもできないところまで来ていることがある。
余が受け取ってきた手紙の多くが、そうだった。
だから、早い段階で出してしまえ。
完璧に言葉にできなくていい。まとまっていなくていい。
「しんどい」の一言でもいい。スタンプ一つでもいい。
外の世界で戦って、疲れて、帰ってくる。
ここはそのための場所だ。
電脳寺の門は、いつでも開いている。
電脳寺はここから入ることができる。
未成年は無料で招待する。mondから、年齢と、noteのIDと、入りたいということを書いて送ってくれ。
