第5話|身体が壊れ、私の人生は一度止まった。
『奇跡のそばで。』―私がAlchemistになるまで―
これは、現在の私に至るまでを綴った自叙伝シリーズです
第1話はこちらから
耳の治療がようやく終わった頃だった。
今度は、激しい頭痛と嘔吐が始まった。
最初は、それでも仕事をしていた。
というより、
仕事を休むという発想が、私にはなかった。
気持ちが悪くても仕事に行く。
頭が痛くても仕事をする。
車を運転している途中で吐き気が襲ってくることもあった。
その頃の私は、いつ吐いてもいいように、膝の上にビニール袋を広げて運転していた。
今こうして書いていると、
「いや、もう仕事どころじゃないでしょう」と思う。
でも当時の私は、本当に分かっていなかった。
身体がおかしいことは分かっている。
でも、
仕事を休むほどではない。
そう思っていた。
何を基準にそう判断していたのか、今となってはよく分からない。
たぶん私は、倒れるまで働けると思っていたのだ。
そして、本当に倒れたのだった。
ある日、頭痛があまりにも酷くなった。
これはさすがにおかしい。
というより、
このままでは死ぬかもしれない。
そう思った。
私は自分で車を運転して、脳神経外科へ行った。
病院に着いた頃には、もう自分でまともに歩くこともできなかった。
そして車椅子で運ばれ、そのまま入院することになった。
そこで色々な検査をした。
けれど、原因が分からない。
医師からは髄膜炎の可能性があると言われ、
腰から髄液を採る検査をすることになった。
それは腰椎穿刺という検査だった。
背中から長い針を刺して、髄液を採る。
これが、呻くほど物凄く痛かった。
しかも私は、その時かなり脱水していた。
だから一度目に針を刺しても、髄液がうまく採れなかった。
そして、もう一度。二度目の針が入った。
あの疼くような痛みは、今でも記憶に残っている。
その結果としては髄膜炎ではなかったが
それなら良かった。
……とは、ならなかった。
今度は別の問題が起きた。
腰椎穿刺をした箇所から髄液が漏れる状態になってしまい
いわゆる脳液髄液減少症というものになってしまった。
それから私は、起き上がることができなくなった。
身体を起こすと、激しい頭痛がする。
座ることも出来ず
立つことも出来ない。
トイレへ行くことさえ大仕事だった。
できることは、ただ横になっていることだけ。
それまでの私は、
朝から夜中まで働いていた。
電話が鳴れば出る。
問題が起きれば動く。
誰かが困っていれば対応する。
何かあれば、「私がやります」と言ってきた。
そんな私が、
自分の身体を起こすことすらできなくなった。
病院のベッドで、
私は毎日、天井を見ていた。
頭を動かすことさえ辛いから、
本を読むことも、
テレビを見ることも、
何かをすることもできない。
ただ、天井を見る。
昨日も天井。
今日も天井。
明日も、おそらく天井。
それまでの私にとって、
時間とは「何かをするためのもの」だった。
仕事をする。
考える。
動く。
結果を出す。
でも、その時の私には、
何も出来なかった。
どれだけ頑張ろうとしても、
身体が動かない。
気合いも、
根性も、
責任感も、
何の役にも立たなかった。
私はそこで初めて、
努力ではどうにもならないことがある
という現実の前に置かれた。
数ヶ月入院した後、
私は退院することになった。
でも、治ったから退院したわけではなかった。
身体はまだまだ痛かった。
だから大量の痛み止めを飲みながら、生活することになった。
そして私は、また会社へ行った。
今なら、「なぜ?」と思う。
でも当時の私には、それ以外の選択肢が見えていなかった。
会社へ行き、接客をする時だけ起きる。
それ以外の時間は、会社の奥にあるソファーで横になっていた。
身体は、とっくに「もう無理だ」と言っていた。
それでも私は、まだ仕事を手放せなかった。
そして痛みが続くにつれて、
飲む薬も増えていき、どんどんと強いものになっていった。
そうして気がつけば、
一度に手の平いっぱいの薬を飲むようになっていた。
さらに今度は、別の異変が始まった。
頭が働かない。
言葉が出てこない。
人の名前が思い出せない。
何かを考えようとしても、
頭の中に霧がかかったようになる。
言いたいことが喉元まで出てきているのに、
次の瞬間には何を言おうとしていたのか分からなくなる。
記憶も曖昧になっていった。
私は母に、
「私、どんどん馬鹿になっていってる気がする」
と言っていた。
身体だけではなく、
自分という人間そのものが少しずつ壊れていくような感覚だった。
後から分かった事だけど、あまりに痛み止めが効かないので
病院から処方されていたのはいわゆる抗うつ剤だった。
それでも、
まだ私は会社へ行っていた。
そしてある日。
車を運転していた時だった。
横から入ってくる車が見えなくて
私は近くまで来ている事に気づかなかった。
その瞬間、初めて怖くなった。
頭が痛いことよりも、
吐くことよりも、
身体を起こせないことよりも、
ずっと怖かった。
このままでは、人間として終わる。
そう思った。
仕事ができなくなる、ではない。
役員でいられなくなる、でもない。
もっと根本的な、
自分そのものが失われていくような恐怖だった。
そこでようやく、私は認めた。
もう無理だ。
そして会社に相談して、
私は仕事を辞めることになった。
大学を卒業してから約10年。
自分のほとんどを注ぎ込んだ会社だった。
仕事ができること。
必要とされること。
結果を出すこと。
それを自分の価値だと思って生きてきた私から、
仕事がなくなった。
そして残ったのは、
思うように動かない身体だった。
仕事を辞めて、
私は初めて立ち止まった。
そして初めて、
自分に問い始めた。
どうして私は、こんなことになったんだろう。
それまでは、問題が起きれば外側を見ていた。
どう解決するか。
何を変えるか。
誰に頼むか。
どうすれば結果が出るか。
でも今度ばかりは、
解決しなければならないものが、
自分自身だった。
病院へ行っても治らない。
薬を飲んでも、私はどんどんおかしくなっていく。
だったら、自分で調べるしかない。
自分の身体を、自分で取り戻すしかない。
ここから私は、
それまで一度も興味を持ったことのなかった世界へ入っていくことになる。
身体。
食事。
栄養。
そして、これまでは何かあれば直ぐに病院に行っていた私は
西洋医学的な対処療法ではなく、根本治療の東洋医学に興味を持つようになっていった。
そういった事を入口に、
" 自分の身体を治したい "
ただそれだけで開けたこの扉は
やがて私の仕事も、
出会う人も、
そして人生そのものも、
まったく違う方向へ連れていくことをこの時の私はまだ知ることはなかった。
――続きます。
