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第2話|17歳、私はホステスになった。

『奇跡のそばで。』―私が現在の仕事に辿り着くまで―
これは、現在の私に至るまでを綴った自叙伝シリーズです


私は、子どもの頃から「お金」というものにかなり敏感だった。

ものすごく貧しい家庭で育った、という話ではない。

父も母もいて、一見するとごく普通の家庭だった。

父は子煩悩な人だったし、母も家族のためによく尽くしていた。

家族で出かけた楽しい記憶も、もちろんある。

ただ、家にはいつも、どこかにお金の心配があった。

小学校低学年の頃。

夜、両親がお金について話しているのを、
たまたま子ども部屋から聞いたことがある。

そこで話されていたのは借金のこと。

家にもうお金がない、という母の声。

気になって、床に耳をつけて聞いていた。

そして、不安で苦しくて聞きながら泣いた。

目から鼻を伝い、耳へと流れていく涙の感覚は今でも覚えている。

もちろん子どもの私に詳しい事情など分からない。

ただ、「うちには、お金がないんだ」

ということだけが私の心に物凄く重い影を落としていった。

子どもというのは、大人が思っている以上に家の中の空気を感じている。

そして私は、いつしか

お母さんのために、いい子でいよう。

と思うようになった。


私にとっての「いい子」は、親に迷惑をかけない子だった。

そして、出来るだけお金のかからない子でいることだった。

欲しいものがあっても、欲しいと言わない。

でも「我慢していた」というのとも、少し違う。

我慢するには、まず「欲しい」と思わなければならない。

私は欲しいと思うこと自体を、見ないようにしていた。

欲しいと思わなければ、苦しくない。

お母さんを困らせることもない。

部活を選ぶ時も、お金のかからないものを選んだ。

そして勉強は、とにかく頑張った。

生徒会もやった。

学級委員もやった。

成績も良かった。

いわゆる、優等生だった。

そして私は、そんな自分にかなりプライドを持っていた。

「私はちゃんとしている」

「私はできる」

そういう自分でいることで自分を保っていた。

今になって思えば、それは私の内側にあった不安や葛藤を、
人に見せないための仮面だったのかもしれない。

お金のことで不安で泣いている自分ではなく、
勉強ができて、先生から信頼されて、何でもちゃんとできる私。

そちらを私は、自分だと思って生きていた。


そして高校は地元でも有名な進学校へと進んだ。

アルバイトは禁止だった。

でも私にとって高校生になるということには、別の意味があった。

やっと働ける。

そう思った。

私は学校からずいぶん離れたところにあるラーメン屋を見つけて、アルバイトを始めた。

学校から離れた店を選んだのは、もちろん学校に知られないためだった。
そして同級生にも知られない為だった。

部活には入らなかったけど

その代わり、週6日で働いた。

学校へ行って、終わったらアルバイトへ行く。
それが私の高校生活だった。

だから、高校時代を振り返って、
「青春だったなあ」
と思い出すようなことが、私にはあまりない。

部活に夢中になった記憶も、
放課後に友達と遊んだ思い出も、ほとんどなく

バイトばかりしていた。

別に、それを不幸だったと言いたいわけではない。

何故なら当時の私は、自分でお金を稼げることが嬉しかった。

親に何かを買ってもらわなくてもいい。

自分のことを、自分で少しずつできるようになる。

それは私にとって、自由でもあった。

たぶん私は、人より少し早く大人になりたかったのだと思う。

いや、

大人にならなければならないと思っていた、のほうが近いのかもしれない。

そんな高校生活を送っていた高校2年の17歳の時だった。

父が脳梗塞で倒れた。

仕事返りに家の前に倒れているのを近所の人が見つけてくれた。
意識不明で横たわる父を見ながら、生きて欲しいと心から願い
一緒に救急車に乗り、この先の事が一気に不安になった。


昨日まで働いていた父が、突然働けなくなり

父は入院し、母はその看病に付き添うようになった。

家に誰もいない時間が増えた。

そして私は、その時、一つのことを決めた。

「これからは、一人で生きていこう」

それは誰かに言われたわけではない。

母から「自分でなんとかして」と言われたわけでもない。

私が勝手に決めた。

今の私なら、17歳の女の子に、

そんなことまで背負わなくていい、と言うと思う。

でも、あの時の私にとっては、とても自然な答えだった。

考えてみれば、ずっと前からその準備をしていたのかもしれない。

お金をかけない子でいようとして、

欲しいものを欲しいと言わず、

高校生になったらすぐに働き始めて。

「自分のことは自分でなんとかする」

という生き方を私はすでに始めていた。

父が倒れたことで、それが明確になった。

そして私は、もっと働こうと思った。

昼間は学校がある、

でも、父が倒れた事でそれ以降の進学は諦めた。
だから、段々と学校へは行かなくなっていった。

そしてラーメン屋で週6日働いても、稼げる金額には限界がある。

どうすれば、もっと稼げるだろう。

そう考えた17歳の私が次に選んだのが、

夜の世界だった。

私は歳をごまかして、スナックで働き始めた。

それが、その後約7年間続くことになる、

私のもう一つの人生の始まりだった。


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