公認心理師が読む、防衛白書に描かれた組織的メンタルヘルス対策の本気度
もし同僚が、笑顔の下でひとり心をすり減らしていたとしたら、あなたは気づけるでしょうか。私は公認心理師として、「不調は本人にしか分からない」という現実に、日々向き合っています。心が疲れているサインは、本人でさえ見過ごしてしまうことが少なくありません。だからこそ、それを支える「仕組み」そのものが問われるのだと、私は考えています。先日、令和8年版の防衛白書に目を通していて、思いがけず手が止まりました。国防という硬派なテーマの中に、隊員とご家族の心を守るための、驚くほど丁寧な仕組みが記されていたからです。今日は、そこから見えてきた、どんな職場にも通じる「心を守るヒント」についてお話ししたいと思います。
公認心理師が読む、防衛白書に描かれた組織的メンタルヘルス対策の本気度
防衛白書とは、防衛省が毎年公表している、日本の安全保障環境と自衛隊の取組をまとめた公式な報告書です。令和8年版では、これまで以上に厳しさを増す安全保障環境について、多くのページが割かれています。
けれど私が心を動かされたのは、そうした情勢分析の先にある「人的基盤の強化」という章でした。国を守る組織もまた、そこで働く一人ひとりの心の健康なしには成り立たない。白書はそのことを、静かに、しかしはっきりと語っていました。
数字が語る、静かな危機
白書には、防衛省職員の自殺者数の推移を示すグラフが掲載されています。平成18年ごろには年間100人を超えていた数字は、近年は40人前後まで減ってきています。
これは、組織としての取組の成果だと思います。ただし、ゼロにはなっていません。どれほど鍛え上げられた組織であっても、そこにいるのは生身の人間です。強さと心の疲れは、決して矛盾しないのだと、私はこの数字を見ながら改めて感じました。
この状況を受けて防衛省は、2022年に設置された防衛省自殺事故防止対策本部のもとで、「防衛省のメンタルヘルスに関する基本方針」を策定しています。全職員を対象にしたメンタルヘルスチェックとカウンセリングの利用を後押しし、有資格のカウンセラーを確保し、上司とカウンセラー、医療機関が連携できる体制を整えている。これは事実として、白書に明記されています。
心の不調を「個人の弱さ」ではなく「組織として向き合うべき課題」として位置づける。この姿勢こそ、多くの職場に足りていないものではないかと、私は感じています。
「前・中・後」という発想
白書を読み進めていくと、もうひとつ興味深い仕組みが出てきます。海外に派遣される部隊員に対する、段階的なメンタルヘルス支援です。
派遣前には、ストレスとどう付き合うかを学ぶ教育が行われます。派遣中は、専門知識を持つ医官を中心にしたチームが派遣され、不安や悩みを相談できる体制が整えられています。そして帰国前には気持ちを整理するための教育が、帰国後には健康診断が用意されている。
まるで、長い航海に出る船のようだと、私は思いました。出港前の入念な点検、航海中の見守り、そして帰港後の整備。この「前・中・後」という発想は、そのまま私たちの日常にも応用できます。
転職、出産、大きなプロジェクト。人生の節目となる出来事に立ち向かうときほど、始まる前の準備、渦中での小さな確認、終わった後の振り返りを、意識的にセットで用意しておく。それだけで、心の消耗はずいぶん違ってくるはずです。
一人にしない、という仕組み
白書には、もうひとつ見過ごせない視点がありました。心の健康を守る仕組みが、本人の努力だけに頼っていないということです。
防衛省・自衛隊は、自衛隊家族会などとの間で家族支援に関する協定を結び、海外に派遣された隊員とご家族が直接連絡を取れる通信環境を整えています。大規模災害の際には、ご家族の安否確認や生活支援でも、外部団体と連携する体制がとられています。さらに、休日や勤務時間外にも相談できるLINEの窓口を設けるなど、ハラスメント防止の取組も進められています。
相談先がひとつしかなければ、そこにたどり着けない人は必ず出てきます。窓口が複数あること、支える人が一人ではないこと。これこそが、本当の意味でのセーフティネットなのだと、私は思います。
白書には、ギャンブル等依存症への対策も記されていました。これは金銭トラブルなどを通じて、周囲との関係にまで深刻な影響を及ぼしうる、れっきとした精神疾患のひとつです。「意志が弱いから」ではなく「治療が必要な状態だから」向き合う。この姿勢は、依存症に限らず、心のさまざまな不調に通じる基本だと、専門職の一人として強く感じます。
弱音を吐くことは、決して甘えではありません。誰かに頼ることは、我慢を手放す「チャレンジ」なのだと、私は伝えたいのです。近年は、水泳のマイケル・フェルプス選手や体操のシモーン・バイルス選手のように、世界の頂点に立つアスリートたちが、自身のうつ状態や不安と向き合い、専門家の支えを受けてきたことを公表するようになりました。心の強さと、助けを求める勇気は、両立するものなのです。
まとめ
今回の防衛白書から、私が受け取ったメッセージは、次の3つです。
心の不調は、鍛えれば消えるものではないこと。まずそこを認めること。
「前・中・後」という段階的なケアの発想を、自分の生活や仕事にも取り入れてみること。
相談先は、ひとつではなく複数持っておくこと。
国を守る最前線でさえ、心のケアはこれほど丁寧に設計されています。であれば、あなたの職場や家庭でも、同じように心を守る仕組みを作ることは、決して不可能ではないはずです。
あなたにも、きっと変えられます。今日から、ほんの小さな一歩でいいのです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
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