ろくな案が出ないので、漕ぐことにした
その日、僕をいちばん遠くまで運んだのは、一歩も前に進まない乗り物だった。
話は、「ろ」から始まる。
事の発端は、noteのお祭り企画「エッセイしりとり」である。タイトルでしりとりをして、エッセイを書いて次の人へバトンを渡す。
そんな楽しそうな企画のバトンを僕に回してくれたのは、朝霞はじめさん。
以前から素敵な文章を書く人だなあと思いつつ、コメントを残す勇気がないまま今日まで来た。それを「エッセイしりとり」のバトンが繋いでくれた。
そんな浮かれた僕に与えられたお題は「ろ」だった。
ろ。
僕は途方に暮れた。一文字しかないのに、なんて広大なのだろう。「ろ」から始まる言葉。ろうそく、ロボット、ロケット。いくつか頭の中に並べてみるが、どれもこれもエッセイになりそうな顔をしてくれない。「僕、エッセイには向きませんよ」と早々に背を向けている感じがする。
だいたい、僕はいつもエッセイを書き終わってからタイトルを決める派なのだ。先にタイトルが決まっているなんて、いつもの作法の真逆である。服を着る前に靴を履けと言われているような、猛烈な違和感がある。
こういう時は、机の前で唸っていても仕方がない。僕は立ち上がり、仕事部屋の中央にでんと構える巨大な黒い塊――愛用の「エルゴ」に乗った。
エルゴとは、ボートの船漕ぎ運動を再現するトレーニングマシンである。
2.4メートルもある無骨な塊に座り、ハンドルを持つ。全力で脚を蹴り出して、背中で引く。体を半分に折りたたみ、また伸ばす。その繰り返しだ。
シュゴォォッ、シュゴォォッ。
フライホイールが風を切る音が部屋に響く。
デカい、うるさい、振動がすごい。
見た目は運動器具というより、小型飛行機から翼を取り上げたような姿である。一般家庭に置くものとして正しいのかは分からないが、すでに置いてあるので正しいことにしている。
運動としてはかなりきついが、でもこいつは最高に楽しい。タブレットで動画を見ながらでも乗れる。筋トレだと思うと三日で嫌になるが、乗り物だと思えば毎日でも乗れる。どうやら僕の筋肉は、理屈ではなく車種によって動いているらしい。
単調な動きを繰り返していると、アイデアが降ってくることがある。僕は最近お気に入りのお笑いチャンネルの動画を流して、漕ぎ始めた。
そして五分後、僕はヘラヘラ笑っていた。
「ろ」のことなんて、完全に脳内から消去されていた。
いかん。これではただ楽しく運動している人である。
ろ、ろ、ろ……。
ローラースケート。ロボット掃除機。ローラースルーGOGO。
ああ、ローラースルーGOGO!子供の頃流行ったなぁ。僕は持ってなかったけど、近所の誰かが持ってて、みんなで代わる代わる乗って楽しかったなぁ。……って、今は昭和の乗り物博物館を開いている場合ではない。もっとこう、エッセイの核になるようなものはないのか。
「ねえトラ子さん、何かないかな?『ろ』から始まるやつ」
ちょうど部屋に入ってきた妻のトラ子さんに聞いてみる。
「ろ?……うーん、ろくろ首は?」
ずいぶん首の長い候補が来た。
夏らしく怪談を書く手もあるが、僕は怖い話を書いた夜、自分でトイレへ行けなくなる可能性がある。作者が作品に敗北するのは避けたい。
ロ、ロ、ロー……。
なんだか、ゲシュタルト崩壊してきた。
見つめすぎたせいで、カタカナの「ロ」と漢字の「口」の区別までつかなくなってきた。
どちらも、ただの四角である。
四角い穴。……湯船みたいだな。
おお、露天風呂はどうだろう。
そうだ、露天風呂といえばオープンカーだ。真冬に屋根を開け、ヒーターを足元に送り込むと、顔は冷たいのに体は温かい。あれはもう、タイヤのついた露天風呂と言ってもいいやつだ。
オープンカー……そうだ。ロー、ロード、ロードスターだ!
シュゴォォッ、シュゴォォッ。
妄想に合わせて、漕ぐペースまで上がっていく。
僕の脳内は突如として活気づいた。
そういえば、我が家の愛車・ソリオが11月に車検を迎える。通すか、いっそ新しい車にするか。
そもそもソリオは、トラ子さんが「買い物とか、狭い道を行く時に取り回しの良い車が欲しいの」と言うから買ったのだ。それなのに、彼女は買い物にはいつもZ4(オープンカーである)で行くし、狭い道など一度も走っていない。
我が家のソリオは、狭い道を走るためにやってきたのに、一度も狭い道を走っていないのだ。志望動機と配属先が完全に食い違っている。かわいそうなソリオ。
ならばもう、次はロードスターでいいんじゃないか?
Z4とロードスター。オープンカー2台体制。素晴らしい。夢が膨らむ。
一度オープンカーに乗ると、次もオープンカーが欲しくなるのだ。「念のために屋根のある実用車も……」とならなくなるのが怖いところである。
問題は、トラ子さんにどうプレゼンするかである。脳内で作戦会議を始める。
「次の車、ロードスターというのはどうだろう」
そう切り出した場合、トラ子さんはおそらく真っ先に「二人しか乗れないじゃん」と言うだろう。
いいんだ、想定内だ。
ここからが僕の腕の見せ所だ。
「二人で乗るんだから、二人乗りで足りる」
「荷物は?」
「厳選する」
「雨の日は?」
「屋根がある」
「でも開くやつでしょ」
「閉めることもできる」
いける。完璧なロジックだ。
少なくとも、ロードスターを買いたい人間の中では完璧である。
さらに僕は畳み掛ける。
「小さくて取り回しがよく、燃費もそう悪くない。屋根もついている。もちろん、二人で買い物にも行ける。つまりロードスターは、かなり低くて荷物の載らないソリオである」
ふふっ。天才か。
この「実質ソリオ理論」をぶつければ、トラ子さんも「なるほど、それなら実質ソリオね!」と膝を打つに違いない。
……いや待て、違う。違うぞ。
僕は車の買い替えを検討していたのではない。エッセイの「ろ」を考えていたのだ。
あぶないあぶない、「ろ」という一文字のせいで、危うく我が家がオープンカー二台体制になるところだった。
シュゴォォッ、シュゴォォッ。
気を取り直して、別の「ろ」を。
あ、ロードバイク!
最近乗ってないなあ。最後に乗ったのは、トラ子さんと川沿いのせせらぎを見に行った日だったか。
水面にはカモがプカプカ浮かんでいて、僕たちは途中で自転車を止めておにぎりを食べた。ロードバイクで出かけた記憶のはずなのに、思い出すのは走っている場面より、おにぎりをモグモグ食べている場面ばかりだ。
カモとおにぎりで、一本書けるだろうか?
書けるかもしれないが、それはもう「ピクニックの思い出」で、「ろ」からどんどん離れていく。
結局、何も思いつかないまま二十分が過ぎ、僕は汗だくでエルゴを降りた。いいアイデアなんて、そう簡単に降ってくるものではない。
ようやく両手が空く。
とりあえず、あすけんに今日の運動を記録しよう。
えーと、「ローイングマシン、二十分」と。
そこで、スマホを叩く指がピタリと止まった。
……ローイングマシン。
そう、エルゴの正式名称は「Concept2 RowErg(ローエルゴ)」というローイングマシンだ。
ローイングマシンを漕ぎながら、ロードスターを買う未来へ妄想を飛ばし、ロードバイクで走った過去へ思いを馳せていた。その奥には、借り物のローラースルーGOGOで走る子どもの僕までいる。
僕はどうやら、この二十分間、「ロ」のつく乗り物ばかりで頭の中を走り回っていたらしい。それでいて「ろ」に気づかなかったのだから我ながら情けない。
そんなことを考えながら、今日僕をいちばん遠くまで運んだのは、一歩も前へ進まない「ローイングマシン」だった。僕は、二十分と、それなりのカロリーを費やして、ようやく「ろ」にたどり着いた。
タイトルは、「ろくな案が出ないので、漕ぐことにした」にしようか。結局、書き終わってから決めることになった。いつも通りである。
さて、僕は一歩も進めなかったが、バトンにはもう少し先まで行ってもらおう。
次のお題は、「た」。
今度はちゃんと、前へ進む乗り物が見つかることを願っている。
今回のエッセイは、マイキーさん主催の「#エッセイしりとり」コンテスト2026夏の陣のバトンを、朝霞はじめさんから受け取って書いたものになります。
▽朝霞はじめさんのお題のエッセイ
朝霞さんのエッセイは、まずタイトルがいいんですよ。読者の肩をつかんで、「ちょっと、これ読んでいってよ」と振り向かせる力がある。
僕はいつも、隣で面白い話をしているようなエッセイを書きたいと思っているのだけれど、朝霞さんは、その語りかけるような文章がとても上手いんです。気づけばみんな朝霞さんの世界で楽しんでる。
本当に素敵なエッセイストさんです。
そんな朝霞さんからバトンを回していただけて、とても光栄でした。本当に嬉しかったです!
そして、この楽しい企画を開いてくださった主催者のマイキーさん、審査員のまきさん、諏訪貴信さん、ありがとうございます。
▽「#エッセイしりとり」コンテスト2026夏の陣
そして、僕からバトンを渡したい人はこちらの三人です。
一人目は、ゆげしさん。
大好きなnoteクリエイターさんです。
ご自身では「コミュ障/陰キャ」と紹介されていますが、コメントはいつも鋭くキレッキレ。僕のエッセイにも楽しい言葉を残してくれて、その返信を考える時間まで含めて、毎朝の楽しみになっています。もちろん、ゆげしさんの書く文章もとっても素敵。
先日の「クリエイター図鑑」では、ゆげしさんから僕へバトンを回してもらったので、今回はお返しですー!
ただ、もしかして、すでに誰かからバトンを受け取っていますか?
二人目は、piyo〜n!さん。
文章、イラスト、料理、手芸。何を作ってもお店に並んでいそうな水準まで仕上げてしまう、センスの塊のような人です。僕がファンになったきっかけは、ご自身で書いた小説をご自身で製本し、一冊の本へ仕立てた作品でした。その完成度があまりにも高くて、「ここまで自分で作れるのか」と驚いたのを覚えています。さまざまなジャンルで僕たちを楽しませてくれるエンターティナーです。
紹介したい記事はたくさんありますが、今回は僕が思わず吹き出してしまった、とびきり楽しい一作を。
三人目は、それからさん。
僕とほぼ同じ時期にnoteを始め、それから毎日投稿を続けているクリエイターさんです。日常の中で感じたことを、飾らない素直な言葉ですくい上げ、読みやすいエッセイへ仕立てています。その率直な語り口が、とても気持ちいい。
更新されると、つい読みに行きたくなる。僕にとって、毎日の投稿を楽しみにしている大好きなクリエイターさんです。
というわけで。
お三方、突然のバトンパスで本当に申し訳ない。
「今は無理!」と思ったら、遠慮なくスルーしてください。
楽しめそうだなと思ったら、受け取ってもらえると嬉しいです。
次のお題は、「た」で始まるタイトルです。
本文140文字以上、3000文字以内くらい。タグに #エッセイしりとり を付け忘れると審査対象外になるのでご注意を。
締切は8月31日23時59分まで。賞金も出るそうです。
詳しくは、「#エッセイしりとり」コンテスト2026夏の陣のページをご覧ください。
朝霞さん、ご指名ありがとうございました!
相生エッセイ
▽ note創作大賞2026に応募したエッセイ作品はこちらに収録しています。ぜひ読んでみてください。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました😌
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他にも、創作大賞にも応募している 日々の何気ない瞬間を切り取ったエッセイを綴っています。よかったら覗いてみてください。
Threads 、Substackで、このエッセイができるまでの裏話とnoteには掲載しきれなかったイメージ画像を投稿しています。
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